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其の133

其の135




歴史game のお話 其の134


将軍様さん
E-mail:
kanyama@mvf.biglobe.ne.jp

信長の野望 覇王伝 今川義元編

私は、久々にみんなで覇王伝(PS)をしました。
まーみんなで信長するってのもおかしな話ですがね。
シナリオ1でプレイしました。
私は、駿河の今川義元で
友達のFは毛利元就
Kは織田信長
Hは上杉でやりました。
私は、まず後になるとなかなか落ちないので始めのターンで駿府城と遠江(城名忘れてしまいました)の城の米を半分ほど雇い、兵が高いのを承知で雇いました。
そして、次のターンで義元に訓練をさせ小田原城に大原雪斎を出陣させました。
武田にも援軍をたのみました。
北条軍は小田原城を出て野戦で勝負をしてきました。
兵力は今川軍8千 対 北条軍5千でした。
しかし、相手の兵はほとんど雑兵ばかりで大原隊にあっという間に全滅させられました。
その中武田からの援軍・小山田信茂4500が送られてきました。
すると北条氏康は小田原城に退却していきました。
城攻めになり、小田原城を見てみると 規模15防御度56で鉄砲と馬はなし、兵数は1200でした。
私は鉄砲が無いと見て城の近くにより力攻めは援軍の武田に任せ、自軍は潜入ばかりをしていました。
これを繰り返すこと10ターン目に武田軍は撤退しました。
しかし、武田軍もなかなかやってくれ防御度も16になっておりました。
ここからは力攻めで行きました。
そしてついに北条氏康は河越城に退却していきました。
この戦いで敵軍の北条幻庵と大道寺政繁など優秀な内政官を登用できました。
私は速攻で玉縄城を武田の援軍を借りて落としました。
そして、北条との戦で武田の兵力はほとんど無くなったところで武田との同盟を破棄して友達のK君の織田(CPUとなら絶対不可能)と同盟を結び甲斐の国と南信濃の国へ一斉に侵攻し名門武田家をあっという間に滅ぼし武田の有能家臣と金山を手に入れました。
そして再び関東制圧へと乗り出しました。
次回に続く

チョモランさん

毛利元就

将軍さん、Fさんの毛利元就はどうなったんですか。
(毛利元就しか知らないもので)
あと、Hさんはなにか、特別な名前とか、つけたんですか?

将軍さん

信長の野望覇王伝 今川義元2

前回
北条の小田原城を倒し、武田も倒した義元は関東制圧に向かった。

1552年になった。本国駿府城は町と金山があってかなり、金が入った。
他の金山でももうウハウハである(笑)。
小田原城と躑躅館には兵はもともと、駐在させておいたため小田原城からは大原雪斉を大将とする玉縄城からの進路と躑躅館からは八王子城を進路として山県昌景を侵攻させた。
玉縄城は、大原隊8千に対し北条は籠城した。その数1200である。
私は、兵の損傷など考えずに一気に総攻撃を命じた。
もともと、玉縄城は防御度が低いので5ターンもすると北条氏規は河越城へと退却していった。
八王子城も同じような現象がおこっていた。
そして両軍は江戸城を攻め落とし合流した。北条の城は一つだけとなったのである。
しかし、河越城にはかなりの兵数がいた。私はこれを利用することを考えた。
石川数正を外交として派遣し北条氏康を傘下に加えたのであった。
そして大原雪斉に命じて下野の宇都宮氏を攻めに行くようにした。
しかし、北条との戦で兵力が減ってしまってそんな時期ではない。
しかし、月を見てみると今は8月、兵は10月が一番安いので10月に備えてみんなをパスさせた。
このころの全国の情勢を見てみると。
中国地方では友人のFの毛利氏が尼子晴久を倒しており、さらに三村氏も倒していた。
九州では大友宗隣が大内家の豊前に盛んに攻め込んでいた。
近畿・東海ではKの織田が北畠氏を滅ぼし、三好の大和に攻め込んでいた。
北陸・東北ではHの長尾(上杉)が神保を滅ぼした後、進路を東北の方に変えており、安東を滅ぼしていた。
そして、月日がながれ10月になった。
まず・駿府城で兵を2万ほど雇い、1万を江戸城に派遣し義元自身は岡部元信を連れ、1万を連れ小田原城に入った。
里見氏を倒すためである。
さらに小田原城でも兵を6千やとい、訓練をさし100まで高めた。
江戸城ではまず、気合いの高い者から訓練をさせた。
全員終わったところでやっと100になった。
そして11月、まず江戸城が先だったので、兵2万を率いて大原雪斉隊を宇都宮氏の小山城へ派遣した。
むろん傘下の北条にも兵をださせた。
宇都宮はどうやら蘆名家と同盟を結んでいたようで蘆名から兵が送られてきた。
小山城に芳賀高定が籠城した。
兵数は2日後に宇都宮城からの兵と蘆名の兵を集めると今川軍・北条軍4万 対 宇都宮軍・蘆名軍2万5千である。
まず、私は宇都宮からの援軍を集中攻撃し一人を捕虜にすることに成功した。
続いて蘆名を攻めていると小山城から和議を「結んでくれ」といってきたので承諾した。
続いて小田原城の義元は2万5千を率いて、里見の城(城名忘れちゃった)に攻め込んだ。
里見氏はあっという間に滅んだのであった。
続いて私はそのまま義元を結城氏にぶつけた、ここは北条の城に援軍要請が出来るので要請してやった。
戦の最前線で戦うのはいつも北条軍、これによって北条の兵力をじょじょに削っていったのである。
結城を滅ぼした後は佐竹である。
大原隊も宇都宮城を落とした後は蘆名には侵攻せずに宇都宮城に守備隊として1万をのこし上野の上杉憲政を河越城を飛び越して攻めに行った。
義元は佐竹をあっという間に攻め滅ぼした。
大原も上杉をあっというまに攻め滅ぼし、続いての目標を北条として北条が兵を雇う前に主従関係を破棄して河越城に江戸城と平井城の挟み撃ちで攻め込んだ。
北条は戦にかりだされ兵はすでに0であった。
だが最後の抵抗とばかりに雑兵を連れ野戦に出てきた。
あっというまにこの雑兵を蹴散らし氏康も河越城に退却した。
北条の兵は0対して我らは4万である。河越城は一回の攻撃で落城したのであった。
これで関東制圧は完了した。つぎなる目的は京都である。
しかし、織田とは同盟しているから京都への道をふさがれる前にさっさと村上氏を倒しそして美濃の斉藤道三、北近江の浅井、南近江の六角、そして将軍義輝を京から甥だそうと考えた。
しかし、戦ばかりしていたから国内は駿府城以外は無茶苦茶、先に村上氏を滅ぼし義清を自害させてやった。
そして1553年の3月から私は来年まで内政を続けるのである。

続く・・・

将軍さん

信長の野望覇王伝 今川義元編3

あらすじ
関東制圧を完了した今川義元は1年間内政に励んでいた。
そして京都を目指すべく義元は動いた。

1554年1月、すべての城を商業中心で行っていたのをやめ今度は軍事中心へと方針を変えた。
まず、京に向かっているときに長尾に攻め込まれないように長尾をやっているHと同盟をむすんだ。
それでも一応心配なので平井城に1万、海津城に1万を残した。
2月、すべての城で金を半分使って兵を雇用した。
3月、すべての城で訓練を行った。
4月にはその兵を斉藤攻めの拠点となる深志城に集めさせた。
義元も自ら駿府城の兵3万を連れて深志城に向かった。
6月、すべての兵が深志城に集まった。
その兵数は、7万である。
そして7月、米が入ったところで稲葉山城に嫡男・今川氏真を大将とする先発隊4万を送った。
斉藤家は、友達のKがやっている織田家と同盟を結んでいるが、織田は斉藤からの同盟要請を蹴って、我が今川軍(1551年に織田とは同盟)についてくれた。
そして出てきた斉藤勢2万と大垣城からの援軍1万を織田家から来てくれた柴田勝家5千と協力してまず、大垣城からの援軍稲葉一鉄・氏家ト全を集中攻撃して、この二人を捕まえた。
稲葉山城は、かなり堅固な城なので私はこの二人と交換に斉藤道三に勧告をした。
すると道三はこの勧告を受け入れ、大垣城へと帰っていった。
続いて大垣城に攻め込もうとすると、同盟国のKの織田がこのままでは今川の天下だと思って大垣城に先に攻め込んだのである。
さらに援軍要請が来たのである。
まで織田の力は必要なので私は渋々、兵を4千ほど送った。
大垣城は織田勢にあっという間に滅ぼされてしまった。
斉藤の有能な者たちもみんな織田に取られてしまった。
8月、私は浅井を倒そうと考えたが、そうすると織田が先に京に入ってしまうおそれがあるので目標を六角氏に定めた。
織田にも援軍を要請し、出してもらった。
またまた今川氏真を大将に5万を送った。
六角家は足利と同盟しており足利からも京極高吉1万が送られてきた。
京極には山県昌景七千をぶつけ、他の隊と織田からの援軍、羽柴秀吉4500で六角本陣を攻めた。
兵力は、今川5万5千  六角が3万2千である。
京極隊は山県隊に壊滅状態にさせられ、高吉は、二条城へと引き揚げていったのである。
足利勢が退却するのを見ると六角も観音寺城に籠城した。
この氏真指揮する、今川軍は武辺者ばかりで智謀の高いものは援軍としてきた秀吉だけである。
しかたなく、力攻めを言い渡した。
観音寺城は10ターンほどで落城したがこちらの兵の損傷もひどかった。
しかし、そこに今川義元の3万が観音寺城にて合流した。
9月、私は三好長慶と同盟を結ぶことに成功した。
六角にもう力がないと思った私は、馬場信房の1万だけで日野城を攻めこれを落とした。
織田信長も六角の伊賀城を落とし、ここに六角は滅亡したのである。
10月、義元は自ら出陣し足利家の二条城に三好とともに攻め込んだ。
足利義輝は、先の六角の援軍で1万を失い、兵はほとんどなかったため二条城に籠城した。
今川・三好軍6万  足利軍2千である。
二条城はあっけなく落城し、義輝は自害し、弟の義昭は浪人となった。
ここに室町幕府は滅びたのである。
全国を見渡すと、九州では大友宗隣が龍造寺氏を滅ぼし北九州を治めていた。
中国ではFの毛利元就が、大内義隆を滅ぼして四国に出兵していた。
近畿・東海では、Kの織田信長が破竹の勢いで大和・河内和泉・紀伊・摂津を手中に治めてこちらも毛利同様に四国に出兵していた。
北陸・東北では、Hの長尾氏が今川との同盟で背後の敵をなくしたため東北の蠣崎・南部・伊達を滅ぼしていた。
勢力図を見てみると
1 今川義元(私)
2 織田信長(K)
3 長尾景虎(H)
4 毛利元就(F)
5 大友宗隣
というふうになっていた。
次なる敵は丹波丹後の波多野氏である。

将軍さん

訂正

玉縄城戦がかぶってました。
もうしわけありません。
あと、チョモランとか言う人は私ではありません。
あれは貧しい皇帝さんです。

将軍さん

信長の野望覇王伝 今川義元編4

あらすじ
京都に今川義元はついに入った。

1555年1月、私は簡単に波多野氏を倒した。
そして、山名氏を倒そうと戦の準備をしていると・・・
FとHが「そんなに戦争したらあかんぞ」と言ってきた。
ちょっとむかついたので文句をいえないようにするためあくまでも秘密に長尾征伐の兵を蓄えはじめた。
まず、今川義元を二条城に2万を残し、駿府城に4万をひきいて帰らせた。
途中の美濃などからも兵を徴収し、その数は7万に膨れ上がっていた。
4月、全兵力をまず、駿府城に集め始めた。
6月、ついに、駿府城の兵力は14万にもなっていた。
このころ、Kの織田信長が四国を統一し、本拠を摂津荒川城にうつして内政をしていた。
これを見た、Fの毛利元就は私に献上金200を渡さして同盟を結んであげた。
そして毛利は九州へと出兵しはじめた。
で、問題の長尾はというと私の兵力に危機感をいだいたのか、東北の兵力を春日山城に集め始めた。
しかし、兵数は4万ほどである。
7月、軍を大原雪斉の信濃からの侵攻と義元の上野からの侵攻の二つにわけ、両軍を出発し始めた。
10月、長尾景虎との同盟を破棄、誰もいない、新発田城を攻め、開城させた。
さらに、また誰もいなかった、佐渡城も開城させる。
これをみたHの景虎は全兵力を富山城に移しはじめた。
おそらく、無駄に兵を失いたくなかったのであろう。
そして、海津城と新発田城の二城で春日山城を攻め、これを落城させた。
すると、滅亡を恐れた、H氏が私に恭順を表してきたのである。
しかたなく、傘下に加えてやった。
この戦いにより、H氏が勢力第2位だったのに4位まで落ちてしまった。
しかし、Hはあきらめることなく、北陸の畠山・朝倉・一色・浅井・山名を東北の蘆名を倒し、再び2位に戻ったのである。
私の周りを見てみると、東北・北陸は傘下の長尾(H)、近畿・東海は同盟国織田(K)、中国は最近、同盟を結んだ毛利(F)である。
つまり、攻めるところがないので、しかたなく内政に励んでいた。
1557年になった。
毛利元就が大友宗隣を倒し、北九州を手中にした。
織田信長が本拠・荒川城を完璧(規模12防御度100城兵7万貫高800商業90治水100)である。
長尾景虎は、本拠を一乗谷に移して軍事中心に兵力増強をしていた。
私はというと、経済力が豊かなので、朝廷に金を送り、官位をもらい、今では従四位中務卿になった。
そして、本拠地を駿府城から江戸城にうつしていた。
3月、毛利元就が九州に出兵していて中国地方の城には兵がいないとよんだ、織田信長が播磨の姫路城に侵入する。
毛利氏は二条城(駐在兵力4万)の私に援軍要請をしてきた、織田氏も同じである。
しかし、私は両勢力とこれからも仲良くしたいので両方の援軍要請を断った。
織田軍4万に対し、毛利軍は7万である。
これを見た、Kは毛利に和議を求めてきた。
F(毛利)も、無駄な争いはやめようと、和議を承諾した。
そして戦後、あろうことかKの織田とFの毛利が同盟を結び、さらに織田と毛利が婚姻関係も出来たのである。
これを見た私は、おそらく、私に対抗するものだと思い、関東の兵力を宇都宮城と太田城に4万ずつ、残し、京都二条城に入った。
これで二条城には兵が13万、隣の観音寺城にも6万が入った。
さらにHの長尾にも従順のままでは怒って、織田につくかもしれないと思って、同等の同盟を結んであげた。
そして、8月、思った通り、織田と毛利が私との同盟を切り、二条城に戦を仕掛けてきたのである。
織田軍からは姫路城の毛利が同盟軍を送った。
今川軍には、小谷城の長尾から同盟軍が送られてきた。
私は野戦を挑んだ。
織田・毛利軍14万  対  今川・長尾軍 22万である。
兵力はこちらが勝っているとはいえ、織田・毛利は優秀な武将がいるから要注意である。

続く・・・

将軍さん

信長の野望覇王伝 今川義元編5

あらすじ
1557年8月
織田信長と毛利元就が同盟を結んで、私の二条城に攻め込んできた。

織田の武将は、柴田勝家・羽柴秀吉・滝川一益・前田利家・松永久秀の九万
毛利の武将は、宇喜多直家・吉川元春・陶晴賢の五万
今川の武将は、今川義元・馬場信房・山県昌景・大原雪斉・酒井忠次・斉藤利三・最上義光の14万
長尾の武将は、浅井長政・赤井直正・下間頼廉・鬼小島の8万である。
最初のターンで、私は騎馬100%の山県・馬場隊4万を敵の大将・柴田勝家を目指して、進軍させた。
毛利には長尾があたった。
織田は、なんの陣形も組まないままがむしゃらに進軍していた。
そして、ついに山県・馬場隊が前田利家隊と接触し戦闘状態に入った。
前田隊との戦いは、今川の優勢であった。
そこに、いきなり松永久秀1万5千が織田を裏切って今川についてくれたのである。
さらにこれをみて、毛利も宇喜多直家2万も今川についたのである。
この両隊の裏切りを見て、勝てないと悟った毛利勢は退却した。
これで、戦場に残る敵は織田勢6万である。
これに長尾軍が加わり、前田利家を捕まえることに成功した。
織田は私に和議を求めてきたが、私は和議を受け付けなかった。
しかたなく、織田勢は退却をはじめたのである。
この退却で羽柴秀吉を私は捕まえた。
そして、羽柴と前田を登用してその月、すぐに三河岡崎城に残して置いた5万で、鳴海城に侵入した。
鳴海城はあっけなく落城、そのまま、清洲城も織田は兵を荒川城に詰めていたため、簡単に落とせた。
さらに、美濃稲葉山城から大垣城に侵入、これも落城させた。
すると、織田信長が献上金500をもって、同盟の使者を送ってきた。
しかし、私はその使者をはねつけてやった。
そして、観音寺城から伊賀・伊勢を制圧した。
二条城からも兵を出し大和・紀伊を制圧した。
これで、Kの織田信長の領地は摂津・四国全域だけとなった。
荒川城を攻めようと思ったものの、さすがにこれを落とすには時間がかかるため、織田信長との同盟を復活させた。
長尾は、毛利領へと一気に侵攻し、またたくまに美作・因幡を制圧したのであった。
そして、私は毛利との同盟を復活させ、織田(K)に毛利(F)との同盟を破棄せよと命じたら織田はその通りにし、毛利との同盟を破棄した。
そして、織田も長尾同様に中国へと兵を出し始めた。
私は、ひたすら朝廷に金をおくっていた。
1560年5月、ついに念願の征夷大将軍になることが出来た。
全国情勢を見てみると。
今川義元・・・関東・甲信越・駿河・遠江・三河・尾張・美濃・南近江・山城・伊勢・伊賀大和・紀伊
長尾景虎・・・東北・北陸・北近江・但馬・因幡・美作

織田信長・・・摂津・四国・備後・備中・播磨

毛利元就・・・九州・周防・長門・安芸・石見・出雲・伯耆

で、この4大名以外にもう大名はいない。
続く・・・

将軍さん

信長の野望覇王伝 今川義元編6

1561年、私は、長尾征伐を考えた。
そして、5月、関東勢全員を宇都宮城に集めて、松平元康を総大将に20万の兵で東北を制圧しに行った。
これを見た長尾(H)は東北の全兵力を山形城に集結した。その数7万である。
東北は松平に任せて、義元は自ら東海・甲信越の兵15万を持って、北陸の富山城に攻め込んだ北陸には、景虎が中国に兵を集めているため全然いなく、あっという間に富山城・七尾城御山城・一乗谷・金ヶ崎と次々に落としていった。
1562年7月、東北を制圧した松平勢は、京都に向かった。
そして、京都二条城にて義元と合流して最後の長尾征伐に出発した。
長尾は中国出兵のため兵を損傷しており、最後の鳥取城で籠城した。
今川・毛利軍20万:長尾軍2万である。
さっそく、総攻撃を命じた。
5日ほどで、名門長尾家は滅亡した。
そしてそのまま、毛利との同盟を破棄した。
中国毛利軍は、次々と勧告を受け入れて、九州の立花城に集まった。
とにかく中国も制圧したのであった。
そして毛利は今川の傘下に入った。
そして織田信長も傘下に入り。
名実ともに今川義元が天下を治めたのであった。

完

農民のみ助さん

浅井長政の息子?

WIN95版将星録の根津甚八が、何故か浅井長政の息子としてでてきます。また浅井長政の息子という設定なので、パワーアップキットでの追加シナリオで根津甚八がはじめからいるシナリオでは、秀吉の一門衆になっています。
セガサターン版の天翔記で浅井長政の息子の浅井井頼?の列伝が根津甚八になっていたような気がします。
何故でしょうか。

山県三郎兵衛さん

そうなん?

へー。
知らんかったなー

根津家は、武田信玄の最初の側室のネズ家(漢字忘れた)と関係あるんとちゃいますか??三条夫人の次の人です。
それと、霧隠才蔵は浅井長政の家臣の子供らしいよーん。

ZINさん
E-mail:
falcom@geocities.co.jp

RE:浅井長政の息子?

伝説では浅井長政の息子と言うことになっているらしいですねぇ。
確か、光栄の出している攻略本にかいてあったはずです。

しんたろうさん
E-mail:
sn-dos@mbox.kyoto-inet.or.jp
HP:戦国武将覚書

根津甚八について

根津甚八が浅井長政の息子として登場するのは、長政の息子といわれる浅井井頼が根津甚八のモデルといわれるからだと思います。
ただ根津甚八のモデルは、武田家家臣根津小六(記憶曖昧)だったとも、、、

ごんざえもんさん

水滸伝の隱しシナリオについて

水滸伝天導108星のプレステ版を買いました。そこで教えてほしいのですが、隠しシナリオはあるのでしょうか。お願いします。

堀さん

水滸伝 天導一〇八星の隠しシナリオ

ぼくは、パソコン版でやったんですが、1度だけ、隠しシナリオを出したことがあります
3番目のシナリオは、名前忘れちゃったんですけど、宋江、王慶など、4人ぐらいの好漢でプレーできます。もちろん、宋江は梁山泊で108人の義兄弟とともにいます。ちなみに、ぼくは宋江でやりました。人気は800、1120年ぐらいだったんじゃないでしょうか。
出し方はよく分かりません。その前は ちょうがい でやっていたと思います。
それから、東京のちかくには、牛頭山があって、王江と董海がいます。(小説を読んだことがあるなら、わかるでしょう(笑))

ZINさん
E-mail:
falcom@geocities.co.jp

隠しシナリオ

シナリオ3の選択方法は、シナリオ1〜2を選んでクローズボックスかキャンセルを押すことを繰り返してシナリオ選択に戻る、と言う作業を2から3回ほど繰り返せば可能です。
まぁ、PC版ならシナリオファイルに当たりをつけてリネームすれば簡単なんですが(苦笑)

そう言えば、三国志6(�困箸�ローマ数字って機種依存のような気がするんだけど・・・)(そのようです。極力修正するようにはしてますが、修正抜けがあるかもしれないです...。管理人) のショートシナリオを通常シナリオにリネームして無理やりプレイしても駄目なんですよね。
結構、同じこと試してみた方いらっしゃると思うんですけど、どうでしょう?
シナリオファイルの何バイト目かにシナリオIDが格納されているのはまぁ分かるとして、IDを変更してもやっぱり駄目なんですよね。どなたかやり方分かる方はいますか?

通常シナリオよりショートシナリオの方が面白い状況がそろってる気がするんですよね。

水滸大好き!忠恒さん

PS版の出しかた、ついでにSS版も

 天導は、PSでもPCでも持ってるおかしな僕です。

さて、出し方なのですが、

PS版:ゲームスタートのメニュー画面でL1、R1、方向キーの左を同時に押しながら「新しくゲームを始める」を○ボタンで選択すると、シナリオ3が出てきます。

ついでにSS版ですが、
ゲームスタートのメニュー画面で、「以前の続きから始める」をCボタンで選択して、ロード選択画面になったらBボタンでキャンセル、メニュー画面になったら「新しくゲームを始める」をCボタンで選択すると、出てきます。

 ただ、SS版は持ってないんで、本当にそうなるかどうかは分かりません(苦笑)

 シナリオ3は期間が少ないのでかなりつらいですが、頑張って下さいね!
 PS版はやってびっくりするから・・・(^^;>俸禄不足etc

秀吉さん

将星録の職業特性

将星録の職業特性ってなんですか?

(題名の記述がありませんでしたので、表題のように付けさせて頂きました。管理人)

TOKIさん
E-mail:
tadasuke@mtb.biglobe.ne.jp

たしか・・・・

「忍者」まあこれは基本。これを使わないと統一に時間がかかります。一応、間者のパワーアップ版ですな。間者よりも、計略が成功しやすい 、移動力が多い、開門が抜群に成功しやすい、関所に捕まらない、などでしょうか。
「僧侶」一向一揆が発生しにくくなると思いました。あと、戦闘の時に「坊主」と言われたり、前田慶次の出奔イベントで(これは大名が僧侶の場 合)、普通の大名とは違うグラフィックが見れたりします。
「剣豪」戦闘のときにクリティカルヒットが出やすくなります。あと、これはバグかもしれませんが、忍者に剣術書をあたえた直後、暗殺の成功 率がかなり上がったことがありました。(戦闘が70くらいの奴まで殺せました)
「切支丹」宣教師が来やすくなる。それだけだと思いました。
「茶人」これはわからない。予想ですが、外交の成功率が高くなるとおもいます。


あんまり役に立つ情報じゃないですね。

せらたさん
E-mail:
joseph_m@bc4.so-net.ne.jp

将星録の職業特性について

僧侶武将が城主の城では、たまに金銭収入が多くなることがあります。
月の変わり目に農民のグラフィックが出てきて、
「○○さまの善政により、いつもより多めに収めさせていただきます」
というメッセージが表示されます。
茶人については、戦闘時に「えせ茶人」と言われることがあります。
「えせ茶人が何か言ってるようだが、まったく聞こえんなあ」
てな具合にです。
また、切支丹に関連してですが、切支丹でなくとも、領国においてキリスト教の布教を許可すると、本願寺家との有効度が一気に「0」となり、一向一揆を起こされやすくなります。
もちろん、本願寺家が滅亡していれば、そんなことにはなりませんが…。

ZINさん
E-mail:
falcom@geocities.co.jp

将星録の職業

このHPにも3回ほど掲載されたんだから、過去ログ見て欲しいところ(涙)
でも、ここの過去ログってないのかな?将星録のイベント一覧とか、結構がんばって作ったのに・・・

(すみません...。まだ移行してません。管理人)

まぁ、他の人からもレスポンスが居てるみたいなので、重要なやつを一つ。

剣豪が鬼丸(シナリオ初期設定では足利将軍・秀吉が所持)を持っているとき、城門を本陣で攻撃すると一撃で開ける事ができる。これです。

まぁ、忍者はあるとないでは天と地の差がありますが、そのほかは特に意味は無いでしょう。

其の133

其の135