[今週のINDEX]
第十一回井戸端評定開催の御案内
第十回井戸端評定の結果
歴史deCHATの「井戸端評定用シンボル」について
投稿記事募集
御挨拶
空きハンドルネームリスト作成について
此度、井戸端評定において、毎週議題を設けて評定を開催致します。
開催は毎週日曜日午後十一時三十分〜翌午前一時迄で御座ります。
議題の内容は、戦国中心となりましょうが、それ以外(三國志など)も可と致します。
第十回は、平成十年一月十一日午後十一時三十分。
戦国の議題・「関ヶ原合戦談義」
関ヶ原地方談義は後になります。
※ 随時井戸端評定の案内(「評定開催」)へ掲載されております。
※ 評定が始まれば参陣の方々には挨拶をしないで下さい。拙者等代表が挨拶しますのでご安心下さい。
※ 当面は参加者のお名前を参考に、各大名家にまつわる議題で進めて行きます。
※ 各自議題を用意して評定に望んで下さい。毎評定終了後に次回議題を決定します。
※ 傍観も認められています。
奮ってご参加くださいませ。
尚、昼衆の皆様にはこのように新聞にて結果を発表したいと思います。
何卒ご容赦下さいませ。
さて、白熱の論議が交わされた第十回の評定は無事に終了しました。
参加出来なかった方々の為にも結果を掲載します。
戦国の議題・「関ヶ原前哨戦」
※西軍総大将毛利輝元が動かなかったのは何故か?
・花柳病であった説。
・吉川広家に動かないように支持されていた説。
小早川隆景、吉川元春亡き後は広家に実権があった?
・状況認識に欠けていた説。
・西軍は統制に欠けていた説。
・嫡男を出征させていたので出なかった説。
・日和見をしていた説。
※織田秀信の動き
・上杉討伐に参加予定であったが、戦準備に遅れて西軍参加説
・日和見をしたが、西軍が近づいたので西軍に参加説
・家康に連絡がいかぬうちに東軍先鋒に攻められてしまった説
・岐阜には三成の侍大将を三人送っていたが、秀信は篭城せずに出陣してしまった。
※伏見城
・重臣じゃないと最後まで奮戦しないから鳥居元忠を入城させていた。
・鳥居元忠は重病で、自ら伏見入りを志願した。
・島津義弘入城拒否には…
借りを作りたくなかった。
義弘は芝居をうったにすぎなかった。
ただ単に、兵隊を集められず、上杉討伐に参加出来なかった。
※両軍の状況
西軍は中立的な家が多く、消極的で結束力に欠けていた。
その反面、東軍は、主力の遅れ(秀忠軍)などで結束せざるをえない状況であった。
・秀忠軍には三河衆など、家康が信頼する部隊が多く所属されており、主力であった。
※上杉の役割
・家康軍と少しでも早く戦闘に入り、抜き差しならないところまで持っていき、三成へ向けられる兵力を少しでも減らす事を目論んでいた。
※三成の人気
・大谷吉継曰く、「貴殿には人望が無い。」(後世の創作か?)
・戦下手であった説(忍城攻めが例…秀吉の支持であり、三成に責は無いとする説あり。)
・当時、家康に対抗する気概を持っていた唯一人の仁である。
※両軍の戦略について…
次の新聞に掲載致します。
以上が主な意見でした。
皆様のお考えは如何に?!
歴史deCHATの「井戸端評定用シンボル」について |
どうも歴史deCHATの管理している羽柴籐吉郎秀吉(ばんばん)です(・_・)/。
皆様のお陰で私の歴史deCHATも大盛況になってまいりました。
そこで、以前までは誰でも「井戸端用シンボルマ〜ク」を使用することが出来るようになっていましたが、この度増え続ける参加者を見分けるための「シンボル」を、パスワード化し、見分けやすいようにしたいと思います。
そこで、今後井戸端用シンボルをご使用になられるときは、シンボルマークを「専用シンボル使用→パスワードへ」を選択し、専用パスワードを入力して頂けると、以前から使用していた、一輪挿しの竹の華入れが使用出来ます。
今後とも宜しく御願い致します。
歴史deCHAT
井戸端新聞では投稿記事を募集しております。
内容は何でも構いません。
例:ホームページの宣伝、御薦めの小説、自作小説、歴史に関する記事です。
投稿の際は鍋島信生まで書状にて投稿して下さい。
・御名前(HN)、投稿内容のみで構いません。
今年も後僅かになりました。風邪をひかぬように、お気をつけて年末年始をお過し下さい。
来年も井戸端評定を宜しくお願い致します。
良いお歳を!
空きハンドルネームリストが完成致しました。
もし、名乗りに困っておられる御仁などを見付けましたら、下記のURLをご紹介して下さい。
URL:http://www2.tky.3web.ne.jp/~nobunari/idobata/idobata.html
編集 鍋島信生:VFF07310@nifty.ne.jp
御意見・感想・投稿記事や何らかの事故の際はこちらに書状を下さい。
尚、購読拒否の方も書状にて拒否の旨を御伝え下さい。
平成九年十二月十六日