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其の29

其の31




歴史game のお話 其の30


内蔵助弘豊(元武蔵国住人)さん
E-mail:
uchitoyo@alles.or.jp

やーっと、やーーっと、「将星録」クリアしました。
シナリオ1の長尾家で、1618年までかかりました。(景勝が跡を継いでいて、上杉姓に。)しかし、これでも迫り来る日常のいろいろな事のために、やむなく西日本には手をつけずじまいです。
島津、鍋島、吉川、長曾我部と無理矢理同盟してのクリアでした。(史実の薩、長、肥が残ってしまったわけです。)こんな、中途半端なクリアですが、クリアしての感想を書きたいと思います。

まず、統一までえらく時間がかかるようになってしまった事は、良くない点にはいるでしょう。
そのくせ、武将が少なく、1610年を過ぎると、焦りが出てきました。(たしか天翔記には上杉定勝が出てきましたよね。)前も書きましたが、ほんとに武将が少ない!なんで鬼小島すら出てこないんでしょう?
また、外交ユニットの移動力にも泣かされました。あれだけは、京都まで春日山からなら2ヶ月で行って欲しいところです。あと、ウインドーが色々重なると訳が分からなくなるのはつらかったです。
そして、ほかの大名との軍事関係が城攻めの援軍だけになってしまったのは残念です。
ほかには、覇王伝であった知行制と武将の忠誠が分からない、というのは、一回限りでやめたのは惜しいシステムだと思います。(もっと言うなら、知行に応じて兵力の負担が決まり、忠誠が低いと兵力を知行に応じて出してくれない、というシステムはどうでしょうか。)

あと、うちの大学の兼任講師の方が言っているのですが、「城を枕に討死」なんてそうそうあった事ではない、と言う事を考え、(城はあくまでも、交通の要衝を押さえるためのものである、と言っています。)後詰めがなかったら、さっさと開城してしまう、(この辺のバランスが難しいんでしょうが)とか、戦略的になって欲しいです。
(城攻めが減ったら、ほとんどのファンが怒るんだろうなあ。でも、実際はそうだったらしいから、外交と野戦でカタがつくようになりませんかねえ。)これは、きっと、アルゴリズムのほうに話がいくでしょうから、とりあえずコンピューター大名をもっと賢くしてくれと言う事にしておきます。
(でも、天翔記のように、最前線にすべての兵力を配置して、力押しをやるのが賢い、とは言わせません。)

他方、良かったと思う点も色々あります。これは、第一に、弱小大名がすぐ滅びなくなった事や、兵力が現実に近かった、と言う事です。
今までは、5万とか10万の大軍で平気で攻めて、それがほとんど全滅、という形も多かったようだし、これが弱小勢力が早々に滅ぶ原因になっていたように思うからです。今回は、一部隊が多くても5000人で、それが大体4〜5部隊でしょうから、(しかも宿老5人で、というのはそうそうないと思います)全兵力が2万人ぐらいになって、より現実に近づいたと思います。(これでも戦国初期はまだ多いですが。)
また、皆さんがおっしゃるように、スクエア方式はいろいろな新たな試みができた、という点で良かったと思います。
さらに、皆さんの批判を承知で言うのですが、天翔記のような成長システムがなくて良かったと思ってます。あれは、極端すぎると思います。(常に合戦に投入していればあっという間に最高値、では、はじめたとたんに合戦をはじめたほうが有利になってしまうと思います。)
家宝を与えて、そこそこ能力が上がるくらいが、ちょうどいいと思います。(本多忠勝や謙信、信玄がそこらの2,3流武将に簡単に負けるなんて、どう考えてもおかしいです。)

さらに、いぜんどなたかが朝廷の事についておっしゃっていましたが、私もこのままでは少し物足りないので、(今回いろいろコマンドは増えましたが)少し考えを述べさせて頂きます。
(長くてすいません!)
まず、朝廷には、「能動的」になって欲しいと思います。つまり、あっちから大名にいろいろ働き掛けをするようにするんです。(三国志に少しあったような気が。)
たとえば、大名が献金をしたとすると、普通は友好度があがります。ここからなんですが、友好度があがるにつれ、朝廷は、やれ禁裏の修理費を出せ、やれ天皇の即位の大礼の費用を出してくれ、と要求するようにして、それに答えると、もう一つのパラメーター、ここでは、「信頼度」と仮に言いましょうか。があがるようにするのです。
そうして、これもあがると、あっちから官位をくれるとか、自分の領国に貴族が下向してきて、風雲録にあったような「文化度」があがり、商人が来る確率が増えるとか特典を付けるようにすればいいかな、と思います。
極端にすれば、単に友好度をあげるだけでは、「調停」とかそのようなコマンドが実行できないようにすればいいんじゃないかと思います。ちなみに、朝廷からの献金要求は法外な値段にしておいそれと出せないようにして、辺境の大名は簡単に仲良くできなくすればもっとリアルになると思いますが。

あと、最後に覇王伝の「従属同盟」。あれをもっと改良して復活させて欲しいです。(たとえば従属すると合戦の時必ず兵を出さなければならないとか、身分が家老までしかあがらなくなるとか)つまり、安易に従属できるのではなく、色々考えてこれが一番生き残る率が高いから、といった大名の苦悩が分かるようなギリギリの選択でやむなく従属した、というジレンマを味わわせて欲しいです。

何やかやとつまらない愚痴のようなものを書いてしまいました。
色々不快な点や何を言ってるんだか分からない点があったかもしれませんがお許しください。
では、また。

P.S.将星録のパワーアップキットに年表表示機能がついてくるらしいですが
あんなの使う人はいるのでしょうか?

真田幸村さん

ここには、他人を思いやるという気持ちが少ない方が少なからずいるようですね。
とても悲しいことです。主催者の方はこういった現状をどのようにみておられるのでしょう。
かくゆう私も、このHPの伝言板に出過ぎたことを書いてしまった者です。
今後、他人の中傷等ないことを願います。
P.Sチャットルームの隠密衆って何ですか?一部の方のみしか入れないと言うことでしょうか?
小学生みたいなことは止めましょうよ。あなたもいい大人でしょう?

風柳斎さん
E-mail:
ventulus@po.net-ibaraki.ne.jp

 戦争をせずに国を滅ぼすというのを実行しましたので、報告します。
 対象国は北方の雄、南部家。しかしあの国は兵隊は集まるけれども、武将はせいぜい十人どまりです。そこを利用し、敵の武将をそいでいきます。
 捕虜にしたら、登用か斬首。これで半分まで減らしました。さらに忍者間者部隊十人ほどで、あらかた引き抜きます。結果、なんとかかんとか南部信直と蠣崎季広の二人まで減らしました。大名南部信直の暗殺までは順調に事は運んだのでした。
 しかし、問題はここからでした。蠣崎は80歳にまでなっていたので、そのうち死ぬだろうとほっておくことにしたのです。しかし数年後、気になって列伝をみたところ史実では1595年の死去でした。まだそれまでには時間がありましたので、強攻策にでました。戦争でとらえようと思ったのです。
 それが甘かったのです。身分の低い部隊ばかりで出たために、逆に武将を増やさせる結果になってしまいました。何とか全武将を取り戻し城を一つ奪いました。
 仕方なく、やはり寿命切れをねらうことにしたのですが、ここでまた問題が。蠣崎に姫武将が登場したのです。政治と知謀が80代で、戦闘も78というなかなか強烈な姫です。うちの諜報部は遙か前線に送ってしまっていたので、戻すのもめんどくさいです。そこで、念のために残しておいた五右衛門だけで調略をすることにしました。兵法書と名馬を与えて。
 一年後、姫を引き抜くことに成功しました。やっと今度こそ季広だけです。しかも、開発が終わったので城の中で待機しています。今がチャンスと五右衛門暗殺拳を炸裂させようとしましたが、殺せませんでした。結局、やつは松前に輸送を始めてしまい、その道中死亡しました。
 十万の兵隊をほとんど損兵なくとることはできました。しかし、異様な時間がかかった上に、暗殺も失敗というのでは、計画は不発に終わったといえます。
 みなさん、笑ってやってください。私も、自分にかける言葉はただ一つです。
 「かっこわる〜」

曹操さん

 今俺は「将星録」にはまってるんだけど。「将星緑」について愚痴ばっかたれてんじゃねーよ。何度もやり尽くしてから言え。

天下人織田信長さん
E-mail:
t_hiro@apple.ifnet.or.jp

皆の者、ひかえおろ〜! 余は天下人織田信長であるぞぉ〜!
本日は先日途中半端で終わってしまった「信長の野望」の“外交”について余の意見を申す。 余が思うには「信長の野望」の“外交”はあまりに貧弱過ぎるのではないか。 そこで具体例を挙げて意見致す。 ちと長くなるゆえ、数回に分けて投稿致す。 今回は<朝廷>についてで御座る。

<なお、先に内臓助殿が意見されておったことと重複する箇所が御座るが時間が取れず数週間にわたって書いたためでござる。 ご容赦を‥‥。>

余は朝廷との外交にもっと幅を持たせるべきではないかと思う。
ようするに朝廷を特殊な勢力にしてはどうか。せっかくマップ上に「京都御所」を置いたことだし‥‥構成員は「天皇」と「武家奏者の公家」数名で、財源は大名家からの献金、武器は「勅令」と言う名の外交である。
まず、朝廷自身が積極的に外交を展開する。突然に朝廷から使者が下向し「帝の即位の費用がおじゃらぬ」とか「内裏の修理費がおじゃらぬ」とか「近頃物入りでおじゃる」などと「献金」を要求し、もし朝廷の望む金額であれば友好度は上昇、少ない金額あるいは断れば友好度が下降する。 友好度にマイナス要素をつけ、マイナスになれば自動的に朝廷より「朝敵」あるいは「討伐」の勅令が下される。
その際、単に大名家を指定するので無く、近隣の大名たちに「○○家は帝に背く朝敵ぞ。 早々に討伐なされよ」などと「勅令」を下す。 「勅令」に従い「討伐」「朝敵」の指定を受けた大名家を滅ぼせば、友好度は上昇、褒美として官位や家宝を賜る。 逆に 「勅令」を無視し何もせずにいると友好度が下がったり、官位を剥奪されてしまう。
また、大名家もただ一方的に銭を巻き上げられるのでは無く、京都御所に軍勢を派遣し朝廷を威嚇し要求を無理矢理通したり、攻撃し滅ぼすこともできる‥‥もちろん、その代償は計り知れない‥‥。
また、「帝や公家を領国に招きもてなす」イベントをつくり、そのイベントが発生すれば、朝廷や他の大名家との友好度、さらに家臣の忠誠心も上昇するようにしてはどうか。
“本能寺の変”は、正親町天皇にによるものだと言う説があるほどである。
<朝廷>を強化して<朝廷勢力>にしても面白いと思う。
どんなに大勢力を誇る大名家と言えど、朝廷を滅ぼす大義名分はない‥‥ある意味で朝廷が一番手強い相手かも知れない‥‥。

次回は<官位>についてでござる。

鬼義重さん

天翔記に比べて将星録は城の数が少なくなりましたが、光栄さん、『陸奥棚倉城』を設けてくれて有り難う。
江戸幕府時代の話になりますが、棚倉城は俗に不出世の城といわれていました。何故かというと不出世な大名が移封されて行き着く先が棚倉城であったといわれています。そんな棚倉城でも、関ヶ原の前哨戦であった東軍の勇徳川家康群が会津上杉軍を討伐に向かい、東国に下る際には、重要拠点のひとつだったのです。
前置きはさて置き、棚倉城に行ってきました。実際の地形状態は山と川に囲まれた街の中心に城郭は在ります。現在の街は城郭の形を崩さないように開発されたようで、城郭の上にそのまま街が在り、お掘り、石垣、土塀や城門跡が良い状態で残っています。将星録でも同地は良く研究されているのが分かり光栄の意気込みが感じられます。
また、棚倉城の情報は、お城関係のHPを見ても少なく、これほど良い状態の城跡なのにマイナーなのがに残念です。(光栄は目の付け所がえらい。)みなさんも一度いらして見てください。

次回信長シリーズ、楽しみですなー。

其の29

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