鬼義重さん
天翔記に比べて将星録は城の数が少なくなりましたが、光栄さん、『陸奥棚倉城』を設けてくれて有り難う。
江戸幕府時代の話になりますが、棚倉城は俗に不出世の城といわれていました。何故かというと不出世な大名が移封されて行き着く先が棚倉城であったといわれています。そんな棚倉城でも、関ヶ原の前哨戦であった東軍の勇徳川家康群が会津上杉軍を討伐に向かい、東国に下る際には、重要拠点のひとつだったのです。
前置きはさて置き、棚倉城に行ってきました。実際の地形状態は山と川に囲まれた街の中心に城郭は在ります。現在の街は城郭の形を崩さないように開発されたようで、城郭の上にそのまま街が在り、お掘り、石垣、土塀や城門跡が良い状態で残っています。将星録でも同地は良く研究されているのが分かり光栄の意気込みが感じられます。
また、棚倉城の情報は、お城関係のHPを見ても少なく、これほど良い状態の城跡なのにマイナーなのがに残念です。(光栄は目の付け所がえらい。)みなさんも一度いらして見てください。
次回信長シリーズ、楽しみですなー。