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其の90

其の92




歴史game のお話 其の91


MIKさん
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mika@echna.or.jp

SS版維新の嵐

久しぶりに書かせていただきます。(将星録発売のころは結構書き込んでましたが・・・)
最近、やっとSS版維新の嵐購入! いいっすよ、これは。昔PC98版をちろっとやったことがあるんです。98版は人物が多すぎてわけがわからなくなった記憶がありましたが、このSS版は登場人物がしぼりこまれて、いい感じです。説得、戦闘もアクションじゃなくなったし・・・。 で、このゲームのメインである”説得”シーン。カードバトルですが、これがなかなかスリリングでストラテジック。しかも中毒性が極めて高し・・・。システム面はクラシカルでシンプル。そして自由度が非常に高い。ここら辺がカードバトルの中毒性と相まって、独特のゲーム性を醸し出している・・・ 最初は、なにをすればいいか解らない状態でしたが、ヘルプがなかなか親切な作りで、それほど苦労せずゲームの流れが理解できて一安心。現在松平容保で徳川幕府再建めざして説得しまくってます。まだ、藩兵をつかった戦闘になってないので、そこら辺はまだまだ未知の世界・・・これから面白くなってくるのかな?楽しみです。

ところで、維新の嵐ハイパーガイドブックってもう発売してるんでしょうか?
人物データ集もあるみたいなので買いでしょう。(この時代はあまり詳しくないので・・・)
それではこのへんで・・・ また来ます。

仁礼小一郎さん
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大宝寺の野望  第19回「反撃開始!!」

本願寺、調子乗りすぎと怒っている大宝寺義氏じゃ。
一向一揆により苦戦を強いられていたが、遂に反撃開始じゃ。
しかし早く戦を終わらせないと、どんどん武将が減ってきている。
しかし儂は何故にこんなに長生きなのじゃろう??
秀吉、謙信などの名将もすでにいない。

まず、戦略としてはこれまでは2つの部隊が攻め専用であったが、今度は違う。全軍を揚げて総攻撃じゃ。
先鋒はこの時代ほぼ無敵の強さを誇る伊達政宗軍団。
それに片倉景綱軍団、大宝寺優軍団、本多忠勝軍団が続く。
あっという間に近畿と四国を制圧。中国地方も半分以上を奪った。
ここに来て内応などの調略の威力が発揮され、ほぼ無敵。
兵補充もうまくいっている。このままいけば....。

時は1617年、大宝寺家は中国を制圧。残すところ九州のみとなった。
しかし、本願寺は国境にほぼ全兵力を集め、要塞化する作戦に出た。
そしてついに天下を決める大決戦が始まろうとしていた。

次回(最終回)「決戦、決着す!!」に続く...

Gうぐいすさん
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uguisu1@dc.mbn.or.jp

河野通直奮戦記(シナリオ1)

はじめまして、Gうぐいすです。現在、天翔記にはまっております。やはり、PLAY開始から半年も経つと弱小大名のPLAYに楽しさを見出してきました。とりあえず、里見氏の上級で始めましたが、当主の義尭が「暗殺」を持っているせいか、強かった。戦国群雄伝のときは、とてつもなくスリリングだったのに・・・。そこで、蛎崎氏の難級で始めてみました。「苦しい」の一言でした。南部氏が兵力を分散したときを見計らって本州に侵攻し、開始後二年間で南部氏を滅ぼしたまではよかったのですが、奥州探題になったときには北条氏が全国一の勢力に成長し、しかも主要武将を風魔小太郎に暗殺され、滅亡しました。そこで現在は、私の故郷である、伊予の河野氏にしました。以下は、その記録です。

(一条氏攻略の事)
通直 「 まずは、伊予全土を統一じゃ。そのためには、長曽我部氏に横槍を入れられないよう、注意せねばならぬ。通康よ、首尾はよいか?」

通康 「 そのことに関しては、心配無用にてござりまする。」

通直 「 よし、兵力も整った。では、出撃じゃあ!」

だが、長曽我部氏は一条氏の味方となった・・・。

通直 「 ・・・、通康よ、首尾は万全ではなかったのか?長曽我部共は、一条側についておるではないか!」

通康 「 そ、そんなはずは・・・。仕方ありますまい、我が手勢4000をもって長曽我部の攻撃を食い止めますゆえ、その間に一条の城を攻略なさいませ。」

通直 「では、そちにまかせたぞ!」

一条氏は、あっけなく攻略した。だが、長曽我部国親の攻撃を受け続けた来島通康は、捕まってしまう・・・。

通直 「何たることじゃ!我が国で最も精鋭を率いる通康が捕まるとは・・・。すぐに、長曽我部を滅ぼし、そなたを助ける故、待っておれ!」

その言葉どおり、1年の時を経て長曽我部氏が阿波に侵攻した隙を突き、見事長曽我部氏を滅ぼした通直だったが、思わぬことになった。

通直 「約束どおりそなたを助けに参ったぞ、通康。さあ、伊予に戻ろうではないか。」

通康 「拙者、伊予に戻る気はござりませぬ。たとえ、一年とはいえ、敵国に捕らえられ、かつ、長曽我部の禄を受けた身として、故郷に合わせる顔がござらぬ。」

通直 「・・・。」

さて、通康の帰参がならず、武の柱をもたないまま、河野家の明日はあるのか? 続く

サニーさん

信長の野望の質問

 僕はまだ「天翔記」と「武将風雲録」しかやったことのないひよっこです。ところで質問があります。今までに信長の野望はどのくらいでてるのですか?誰か教えてください。
(できればW95版を)

(題名が未記入でしたので、こちらで仮に付けさせて頂きました。管理人)

Gうぐいすさん
E-mail:
uguisu1@dc.mbn.or.jp

河野通直奮戦記−其の二(大友氏襲来の巻)

来島通康を失った通直は、新たな人材の登用に1年を費やした。
通直 「我が河野家に仕官なさらぬか?」

本山茂宗 「河野家では宝の持ち腐れ、諦められよ」

長曽我部国親 「何故、河野家に仕官せねばならんのじゃ!」

こんなやり取りを1年間くりかえした結果(この二人にいくらつぎこんだことか・・・。)、長曽我部国親と本山茂宗を家臣に加えることができた。

通直 「さて、ようやく伊予と土佐の平定がなされ、このまま讃岐と阿波を併呑したいところなのだが、さすがに細川氏とまともに渡り合う力は、まだ河野家にはない。どうするべきか・・・。」

茂宗 「そんな弱気では乱世を生き抜くことはできませぬぞ!」

国親 「いっそのこと、わが海軍力を利用して九州に進出してはいかがかと。ただし、四国にも細川と大内へのにらみをきかせるため、ある程度の兵力分散を行わざるをえませぬが。」

清宗 「四国に残すのは、戦の苦手な者をおけばよかろう。大軍を持って四国に来る余裕は両国にはまだないゆえ、数さえあれば、攻められることはありませぬ。そう思って、岡豊・仏殿の両城にそれぞれ10000の兵を配置したゆえ、こころおきなく侵攻なされい。」

通直 「よくやった、清宗。では、九州攻略部隊を編成するぞ。」

だが、大友氏とて、馬鹿ではない。こちらが攻めてくる前に、先手を取って攻めてきた。其の数25000。こちらの兵15000・・・。

通直 「だあ!はやすぎるぞ。こちらは、まだ準備できとらんというのに。しかたない、退却・・・」

茂宗 「其の必要はござらぬ。これだけの兵力があれば、大友ごときに蹂躪などさせん!相手は、海の上では烏合の衆同然。されど、我が河野家は水軍の国。ならば、海上で雌雄を決するのみ!」

国親 「だが、おぬしも海上は不得手であろう。おぬしと西園寺殿は、陸から援護を頼み申す。そして、殿と平岡殿が海上にでて、水際で陸の手勢と共に、相手を挟撃すればよい。その間に、我が手勢3000をもって、九州の支城を奪って参る。」

通直 「よし、その作戦を採用しようぞ。では、みなの者、出陣じゃ!」

国親の作戦は完全だった。相手は、数にまかせて我先にと進んでくる。そこを、海上の2部隊が囲む。そして、水際で陸上部隊との一斉攻撃で各個撃破していった。10000の兵力差が、無に帰した。そして、国親は丹生島城、栂牟礼城の二城を攻略した。さらに、当主義鑑まで捕らえた。

茂宗 「ははは、大友義鑑を捕らえたり。1番手柄はわしのもんじゃあ!」

通直 「大友義鑑よ、覚悟いたせい。打ち首じゃ。」

こうして、大友氏は当主義鑑の死去で、菊池義武が家督を継いだ。通直は義鑑の所有していた武器を手に入れ、パワーアップを果たしたのであった。

続く

花の慶次さん
E-mail:
teru-mas@gb3.so-net.or.jp

毛利のかいしんげき

 俺は今将星録の毛利家でかいしんげきを続けている。もうこのシナリオで6つもイベントをみた。今1577年だがこれいこうに見られるのがあったら教えてくれ。

ちゃちゃおさん
E-mail:
chacha16@mug.biglobe.ne.jp

信長の野望シリーズ一覧(?)

 私の記憶に残っている限りでの信長の野望シリーズおよび、信長の野望タイプのゲームについて書かせていただきます。
 なお、発売年はおおまかな目安です。私のいい加減な記憶に基づいて書いていますので、1年か2年ぐらいのずれはあると思います。


1982年
信長の野望記念すべき第一作です。当時のゲームとしては段違いに面白かったです。「信長の野望リターンズ」というリメイク版が販売されています。
1984
蒼き狼(初代)信長の野望の続編として登場しました。主人公はジンギスカン。モンゴル・アジア・ヨーロッパを順に統一して世界統一を達成するゲームでした。
1985
三国志当時としては信じられないほどデータの多いゲームでした。精密なデータを持った武将の登場、いろいろな君主でのプレイなど信長の野望タイプの原型はここで完成したといってもいいと思われます。「三国志リターンズ」というリメイク版が販売されています。
1986
信長の野望全国版蝦夷から薩摩まで50ヶ国50大名。武将がいませんでした。初代信長の野望のルールを細かくしバランスよくしたような感じです。本能寺の変イベントはこの作品から登場します。
1987
蒼き狼(ジンギスカン)ジンギスカン以外にイギリス・ヴィザンツィン・源頼朝でもプレイ可能でした。子供に跡を継がせることが可能になりました。自分の国以外は部下に委任せねばならず、愚かさと謀反にしばしば悩まされました。
*この頃、タイムエンパイアーという歴史RPGを発売しました。また、ランペルールというナポレオンを主人公にした信長タイプのゲームもこの頃だったと思います。
1988
水滸伝(初代:天命の誓い)原作が人をテーマに描かれるのにあわせ、人物をクローズアップしたゲームになっていました。異色のルールが取り入れられたなかなかの名作でした。
信長の野望・戦国群雄伝信長の野望に三国志(初代)の要素を取り入れたゲームです。武将のルールと城攻めが採用されました。1560年だけでなく、1582年の信長が非常に強いシナリオも登場しました。
信長の野望ゲームボーイ版当時流行したゲームボーイ(携帯ゲーム機)にも信長の野望は進出しました。非常にコンパクトなゲームでした。
*この年、初のリコエイションゲームである維新の嵐が登場。提督の決断(初代)も登場しました。
1989
三国志2三国志シリーズ久々の作品。コンパクトでまとまりのいい名作でした。これ以後、信長と三国志が1年おきに年末に発売されるようになります。
1990
信長の野望・武将風雲録戦国群雄伝の手直し版といったイメージがあるゲームです。これといった欠陥のない、なかなかの名作でした。
1991
三国志3やたらとデータが細かいのが特徴でした。船が何種類もあり、武将の能力にも陸戦や海戦の指揮力までありました。野戦と都市攻防戦がありました。
1992
信長の野望・覇王伝国単位ではなく城単位になりました。戦闘シーンが単調なこと、城の数が多すぎることなど私にとっては不満点の多いゲームでした。
1993
三国志4三国志3と比べると無駄なデータを省きだいぶすっきりしました。能力値とは別に技能のルールが採用されました。
蒼き狼(元朝秘史)信長・三国志だけしか続編は出ないと思っていた状況下での登場なので驚きました。世界征服が可能という特色をうまくいかしたなかなかの名作でした。
1994
信長の野望・天翔記大名ごとにまとめて命令するなど、だいぶ操作性がよくなりました。自国を分割し部下に委任する軍団のルールが特徴的です。城の数はものすごく多いですが、一回の合戦で複数落とす事ができますし、部下の軍団に攻めさせればあっという間なのでプレイ時間は短めでした。
1995
三国志5必要最小限のコンパクトさでありながら非常に奥が深いゲームです。個人的には光栄ゲーム史上最高の傑作だと思います。
1997
水滸伝(2作目)プレイしていないのでどういうゲームかよくわかりませんが、1997年初頭に発売されました。
信長の野望・将星録内政を重視したゲームです。じっくり派の間では人気が高く、急展開派(天翔記や三国志5が好きな人)の間では今ひとつ人気がないという形で賛否両論が別れているようです。
三国志612月19日発売、13800円との発表がありました。今から楽しみです。
 他にも信長の野望タイプのゲームとしては項劉記(項羽と劉邦をテーマにしたゲーム)や南北戦争(アメリカの光栄からの逆輸入ゲーム)などがあったと思いますが、発売年代も詳しい内容も全く知らないので割愛させていただきました(源平合戦もののゲームもあったと思います)。


 さて、昔の光栄ゲームの入手法ですが以下の3つがあると思います

1.光栄が販売しているリメイク版を買う
 現在のところ、信長の野望リターンズ・三国志リターンズという初代そのものでグラフィックとBGMだけよくしたゲームが売られています。
 私は詳しくは知りませんが、リターンズではないただの復刻版(MS−DOS版)が売られているとの話が自動版に書かれていました。 


2.まだ正規に販売されているゲームを買う
 これに関しましては家庭用ゲーム機が穴場です。覇王伝・三国志4・初代水滸伝・初代維新の嵐などが家庭用ゲーム機版として売られています。
 PS版覇王伝は廉価版のラインアップにのり、2000円台で買えると思います。


3.中古で買う
 中古屋での購入も古いゲームをやる手段の一つだと思います。光栄のゲームを中古屋(特に大手)で見かける事はあまりありませんが、探せばどこかにあると思います。
 ただし、中古に関しましては現在のパソコンでは動かない、コンピュータウィルスがまぎれこんでいるといったリスクもありうる事を忘れてはならないと思います。

パソコン版ではなく、家庭用ゲーム機版なら、その機種に対応さえしていれば動かないということはないので、家庭用ゲーム機の中古ソフトを探すという手もあります(店舗数も多いですし)。

もんおさん
E-mail:
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安東

私は信長の野望将星録の安東家でクリアしました。下積みに10年かかりました。次は神保家でやります。

ちゃちゃおさん
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chacha16@mug.biglobe.ne.jp

勝手に0人プレイ観戦

 手動版への投稿は久しぶりになりますが、0人プレイの観戦結果を書かせていただきます。本来は歴史瓦版に投稿しようと思っていたのですが、数値表が見づらくなると思われるので、きれいな表を掲載できるこちらに投稿しました。

 正直なところ、多くの方に見ていただく価値がある投稿には思えませんが、もしよろしかったらご覧ください。

 なお、今回の観戦条件は「三国志5 シナリオ3 上級 戦いは見ない」です。都市数と兵力は左右同時クリックによる途中参加を利用して5年おきにチェックしました。


★ 見どころと予想 ★

 三国志5シナリオ3「曹操の台頭」は曹操が李かくから献帝を救出した直後です。見どころとしては以下の事があげられると思います。
 私の個人的な予想を付け加えますが、もしよろしかったら、みなさんもご自分で予想してみてください。

 1.最初から5番目までに滅亡する勢力はどこか?
 2.中央を占める曹操はどうなるか?
 3.どの勢力が統一するか?統一されない場合、終盤に最多の都市を領有しているのはどこか?


 私の個人的予想(プレイ前に書いた物です)
1.孔融・李かく・張繍・張魯・厳白虎の順
 孔融のトップ滅亡はほぼ100%間違いありません。ゲーム開始後数ヶ月で毎回のように「えん紹」に滅ぼされるのはシナリオ3の風物詩といっていいぐらいです。
 2番目以後は難しいですが、私個人としましては曹操の周囲にいる3勢力、そしてこのシナリオではわりと強い「劉よう」の脅威にさらされる厳白虎あたりが危ないと思います。

2.曹操は滅亡する
 シナリオ3の曹操は序盤こそ勢力を拡大できますが、それ以後は「えん紹・劉備・劉表・劉璋・馬騰」らにぐるりと囲まれてしまいます。この状況下で生き残るのは難しいのではないでしょうか?

3.統一はないが、えん紹が最多の都市を獲得する
 三国志5の0人プレイでは統一は滅多にありません。
 統一こそされないものの、最強になれる勢力といえば、やはり「えん紹」だと思います。北東を占め背後の心配なく曹操に襲いかかる事ができます。この上なく有利と言えるでしょう。
 南西を占める劉璋も同様の理由で強かろうと思います。


結果報告 ・・・ 予想大外れ!

 まずはいきなり結果の一覧表を書いてしまいます。
 以下の表は5年ごとの1月時点(196年だけはスタート時の9月)の各勢力の都市数と兵士数を記録した物です。/の左が都市数、右が兵力です。


196200205210215220225230
えん紹3/128/238/164/ 71/ 3滅亡
劉璋3/ 85/127/197/267/317/357/337/31
劉表3/ 68/199/246/155/233/283/283/23
曹操2/105/159/239/249/219/4112/5213/51
李かく2/ 61/ ?滅亡
えん術2/ 52/ 9滅亡
劉備2/ 53/143/227/2110/1411/348/307/25
馬騰1/ 52/ 63/133/163/133/153/173/11
公孫讃1/ 3滅亡
張魯1/ 31/ ?1/ 71/ 91/ 91/ 91/ 71/ 4
呂布1/ 21/ ?滅亡
張繍1/ 21/ ?滅亡
劉よう1/ 21/ ?1/ 82/ 92/ 61/ 62/101/ 6
孫策1/ 21/ ?1/157/138/2411/3411/3212/33
孔融1/ 2滅亡
王朗1/ 21/ ?1/ 41/ 51/ 41/ 6滅亡
厳白虎1/ 21/ ?1/ 2滅亡

 ※235年以後は全く変化がなかったので、統計をとっていません。


196〜200年 淘汰される弱小勢力
 ★真っ先に滅亡したのは予想通り孔融だった。196年11月、えん紹に攻め込まれ早くも滅亡。
 次に危機に陥ったのは李かく。曹操に弘農を2度攻められ、2回目に奪われた。

 強豪の攻撃を受けるという点で不幸なのは張魯も同じ。劉璋に攻め込まれるが、張魯の治療でかろうじて乗り切る。この状況は230年ぐらいまでずっと続き、張魯・劉璋とも1都市たりとも獲得も喪失もしないまま、ゲーム終了まで進む事になる。

 ★2番目に滅んだのは公孫讃だった。えん紹に攻められ北平・襄平と相次いで失い198年2月に滅亡。

 ★★200年に入ると、曹操が宛・汝南・寿春・長安を立て続けに攻略。張繍・えん術・李かくの順に滅ぼされた。

 弱小勢力が滅ぼされていく間に、空白都市への各勢力の進出も完了。これ以後はいよいよ強豪同士の激突になり、攻撃側が敗北する戦闘が目立つようになった。


201〜213年 劉備・孫策の台頭
 200年の時点で都市数トップだったのは劉璋と「えん紹」。しかし、この2勢力は以後急激に転落する。

 ★202年以後、曹操と「えん紹」の戦いが激化。呂布はえん紹と組んで曹操領を付け狙っていたが、逆に曹操に滅ぼされた。
 邪魔者がいなくなった曹操は「えん紹」に対し徹底攻勢。しかし、1都市も得る事はできず、互いに兵力を消耗させる結果になった。

 その隙をついて突然劉備が「えん紹」領に侵略。消耗した「えん紹」軍を尻目に北海・平原を楽々獲得。207年にも「ぎょう」・晋陽を獲得した。
 まさに漁夫の利といったところだが、晋陽の獲得により曹操・「えんたん」の間に完全に割り込む形になってしまった。以後劉備は両国からの攻撃を受けるようになり進撃が止まる。

 206年になって南部で異変が。ただの弱小勢力と見られていた孫策が劉表領予章の攻略に成功。付随する2つの空白都市も獲得した。武将の能力差と水計を生かしての勝利だったようだ。
 208年に劉表が病死すると、その不幸につけ込んで、孫策が江陵・武陵・零陵を相次いで奪取。とんでもないやつだ。

 209年から212年までは全く領土に変化無し。戦闘はわりと発生するがいずれも攻撃側が敗退。

 変化が訪れたのは213年のことだった。
 まず孫権が「劉き」から桂陽を奪い、劉備が「えんたん」領の南皮・北平・代県を相次いで獲得。執拗な攻撃を受けながらも持ちこたえてきた「えんたん」だが、徐々に兵が減っていき、とうとうこらえきれなくなったようだ。
 「えんたん」は残すところ襄平1都市のみになった。

 この時点の都市数トップ3は劉備10・孫権9・曹操8。えん紹・劉璋有利という私の予想は完全に外れてしまった。


214年〜225年 曹操の上昇
 214年以後も合戦はけっこう起きたが、ほとんどは攻撃側の敗退。その中で唯一目立ったのは曹操の領土拡大であった。

 まず、217年に「劉き」が病死し「劉そう」が後を継いだ直後、孫権が長沙・江夏と連続して攻略。孫権は劉表系君主2名の病死を突いて領土拡大を行ったことになる。まったく鬼のような連中だ。
 218年には建業を劉ようから奪い、江東と荊州南部11都市を有するトップ勢力になった。

 ★劉備も218年に襄平を攻略。かろうじて生き残っていた「えんたん」が滅亡し、劉備は北東部に11都市を有し孫権と並び立った。

 その後、勢力を伸ばしたのは曹操(戦死)・曹昴(病死)の後を次いだ曹丕。221年になって劉備相手に突然の快勝の連発。徐州・下ひ・陳留を獲得し12都市を有しトップになった。

 ★224年に朱桓(旧劉よう)が会稽を攻略。王朗は滅亡した。


225年以後 ゲームオーバー
 220年代後半に入ってから武将の死亡が目立って増えてきた。君主も病死によりころころ変わるようになった。
 戦争の数も徐々に減り、たとえ発生しても攻撃側があっけなく負けてばかり。
 226年の曹丕による劉備領北海獲得、228年の孫権による朱桓(旧劉よう)領呉獲得が最後だった。

 他に領土に変化が生じたのは、243年の張魯死亡(部下なし)による漢中の空白化。そこに曹えいが入り、領土数を14とした。

 それ以後は何もおこらず、300年前後になって全武将が死亡してのゲームオーバーとなった。


★ クイズ(?)の結果 ★
1.滅亡の順番トップ5は孔融・公孫讃・張繍・えん術・呂布
 見事なまでに予想が外れました。公孫讃がこんな早く滅びるなんて予想だにしませんでした。

2.曹操軍の結末:15都市を領有しトップ勢力に
 個人的には袋叩きにあい滅亡すると思ったのですが・・・。劉表・劉璋・馬騰が一回も曹操を攻撃しなかった事が大きかったようです。

3.終了時点の最強勢力は曹操
 えん紹がトップ、劉璋が2位との予想を立てたのですが大外れ。
 えん紹はトップどころか劉備に滅ぼされてしまいましたし、劉璋は張魯に手こずって1都市も奪い取る事ができずに益州の一勢力として生涯をすごしました。


★ 製作後記 ★
 光栄ゲーム(特に三国志)にはどの勢力も担当せずコンピュータのデモを見る0人プレイという物がありますが、ずっと以前の投稿に「0人プレイの時、マウスを左右同時クリックすればいつでも途中参加できる」とあったのを思いだし、それを利用して5年ごとの勢力変化を書き写し投稿する事を思いつきました。

 しかし、それだけでは何の面白みもないだろうとのことで途中経過なども付け加えたのですが、書いた本人にも何がなんだかよくわからない文章になってしまいました。

 失敗の原因としては、信長の野望と違い舞台が日本ではないから勢力配置がわかりづらいことと、「合戦を見ない」にしたためこれと言って記述できる事がなくなってしまった事があげられると思います。

 次に投稿するときは(まだやるとは決めていませんが)合戦を見るにするなり、「天翔記」や「将星録」で行うなりしてみようと思います。

其の90

其の92