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其の18

其の20




歴史評定 のお話 其の19


大膳大夫 隆元さん
E-mail:jo6-life@nsknet.or.jp

[歴史評定への書き込みに当たって] ******************************************
 これがHiro.KさんのHPに載るのは、電脳倶楽部のフリボーに載ってから1日遅れになるでしょうが、書き込みのタイミングでそうなっただけで他意はありません。
 おなじ内容を複数のHPに投稿する行為は、私自身、必ずしも好ましいとは思っておりません。とはいえセキュリティの障害だか何だかで、自宅のパソコンから電脳倶楽部にアクセスできない状況にあり、どーやら似たような状況の方もいらっしゃるようなので、敢えて2重に投稿させて戴いてます。
 なお加筆した部分もありますので、フリボーでお読みになった方も宜しかったらご覧下さい。
                           大膳大夫 隆元  拝
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 ありゃりゃ間違えていました。そこで[前回までの正誤表]
一升=>一益,長祖我部=>長宗我部,堀 久太郎 秀政=>森 長可 以上、訂正いたします。Hiro.Kさん、ご指摘ありがとう。
 ただし一益や長可,木曽 義昌など本領安堵された北信濃・中信濃の諸将,同じく甲斐の諸将は信忠の組下大名だったはずだから、家康が信忠遺領を奪い取り、それについて秀吉や信忠の弟たちは非難しなかったという見方は、的外れでないとは思うのだが。
(独白)...やっぱし、河出かどこかの日本史年表、買っておかんといかんなー。

 ごあいさつ遅れました、メモリー・イーター(こーゆー呼び方あるかどーか知らんが)の乙...っとっと、大膳大夫 隆元です。本日は"本能寺の変"の3回目。

 長宗我部氏については、四国征伐(だっけ?、やっぱし要るな日本史年表)の後、本領のみ安堵というか土佐1国の領有を認められたに過ぎません。長宗我部 元親は、それまでに讃岐を除く四国の大部分を版図に収めていましたから、減封改易(領地を減らして国替えする)に次ぐ厳しい処分だった。しかも牽制してほしい内外の勢力が近くにいる訳ではなく、短期間で織田領の中央まで兵を送れる訳でもないので、仲間に引き入れる意味はなさそうです。したがって関与していなかったと思われます。
 とはいえ毛利氏に較べて処分が厳しかっただけであり、どちらかと云えば温厚な処置と見なした方が良いでしょう。また島津氏も長宗我部氏と同様に元々の領土である薩摩,大隅2ヶ国に押し込められてしまっています。このような敗者が最低限受け入れられる条件を提示して決死の抵抗を避ける形が、秀吉の戦後処理のスタンダードです。
 ただし取り潰されてしまった北条氏の例は、それまでの秀吉のやり方と較べれば過酷と言えますが、封建制の原理からすれば当然の処置と考えられます。なぜなら戦争して勝てば功労者に恩賞として新たな領土を与えなければなりませんし、その恩賞の原資(=元手)は敗者の領土を没収することで賄われます。そうでなければ自腹を切って恩賞を与えなければならなくなるからです。

 さて真田 信繁殿の「秀吉は毛利にしたって徳川にしたって超ーっ優遇してるし、それって秀吉がめっちゃ気前が良かったってことで、それが怪しいってことにはならないじゃん」というご指摘について。前に述べたように秀吉の温厚なやり方でさえ長宗我部氏や島津氏に対する戦後処理がスタンダードと考えると、現状を全て認めて後から加増までしているのはやはり常軌を逸しているとは考えられませんか。もちろん家康に対する小牧−長久手戦の戦後処理だって随分怪しい。

 それと「もし黒幕がいるとすれば朝廷かな!?」について。うーん、それも話としては面白いけど、正親町天皇が後醍醐天皇位の傑物だったら可能性もあるんだろうけど、どーかなー難しーいんじゃないかなー?。当時の朝廷は官位を売って細々と食っていた状態だし、公家たちだって自分の娘を地方の新興勢力に嫁にやって(体裁の良い身売り)支度金で食いつないでいた状態で、そんな甲斐性なしの情けない連中がBIGサイズの陰謀を思いつくことさえ有りそうにない。ましてや実行できるとは...というのが私の見方です。
 "絵"を描いた(全体の構想を案出した)のは誰か?という命題はそれはそれで興味深々ですが、いわゆる"黒幕"という人物はいないような気がします。あくまで"気"がするだけですが...。まーそれに、黒幕がいたとすれば、その黒幕は関係者を自在にコントロールできる人物でなければならないし、それができそうなのは襲殺された当の信長ただ1人。やや、そう言えば信長の首も死体も確認されていない。つーことは信長の主演監督作品か?、これじゃあ本宮ひろ志氏の作品"夢幻の如く"みたいだなー。...脱線しました。
 だけど足利 義昭は誰かに利用されただけだと思います。たぶん光秀がルートをつけて秀吉が後を引き継いだのでしょう。

 小山田 信茂殿の「ひょっとしたら毛利 輝元が黒幕かも?」という御意見、わが倅に過分なるお褒めのお言葉、御礼つかまつる。したが、わが倅は当時10代の小僧っ子、大それた謀りごとなど、とてものこと適わぬ。弟供、元春と隆景ならば、もしやとも思わぬでないが。
 否、信茂殿の上げ足をとるつもりは毛頭ない。只、太閤殿下逝かれて後の倅の仕様をご覧じよ、治部少輔が舌先に踊らされ、大坂城に出張りて反徳川の旗頭に担がれ、挙げ句の果て防長2国を残して父 元就公が拡げし版図の大半を失うとは...、嗚呼口惜しや。あれがティーンエージャーにして歴史を動かす程の傑物なれば、毛利家の行く末も盤石たること如何ばかり哉。(われながら、ノリが軽いのも考えもんだ。)

 えーと、実を言いますと私自身まだ答えは見つけておりません。ただ何となく信じているのは、まず光秀や秀吉,家康たちが筋書きを書いた。その筋書きに従って光秀は行動し、途中までは家康もそうしていた。ところが秀吉は申し合わせ=当初の筋書きを守らず、光秀を討ち、織田家の代表権(つまり社長の椅子)を横取りしたんじゃないか!?ということです。おいおいと書いてゆきますが、"変"後の光秀の動きも「切れ者」と評判だった男にしては頼りない位に筋道が通っていない。

 そーすね、ルポルタージュのタイトル風に要約すると...
”緊急特集「書き替えられたシナリオ」(副題)太閤殿下、天下獲りの真相。
大揺れの聚楽第、太閤殿下は急遽大坂城へ下向、報道陣をシャットアウト。毛利家秘書吉川氏はノーコメントを連発、徳川氏は沈黙の取材拒否。疑惑の天海僧正、緊急入院で面会謝絶!。はたして本能寺の変の真相は...?”てな具合かな。そいでもって、聚楽第の門外に群がる無数の記者たちを押しのけて走り出る、金ピカの駕籠を守る一団の写真を背景に、丸で囲んで毛利 輝元と徳川 家康の写真をタイトル・ロゴ下に配置して...、あちゃ要約になってねーや。
                               ま、今日はここまでで御勘弁。では失礼

 おーっと忘れてた。チビマロさん読んでくれててありがとう。資料とか出典とか明示したいんだけど、ずーっと前に読んだ本だったり、そいつが売り飛ばしたか段ボール箱の中でカビ生やしているか分かんねー状態だったりしているもんで、ハッキリしている場合だけ書き記すことに致します。
 それと http://www.dtinet.or.jp/~0615masa/  HP名「Cafe Histoire」 は是非ご覧になって下さい。織田家3大派閥や、信忠によるライバル謀殺説は興味深いものがあります。

大膳大夫 隆元 <花押>

葛籠重蔵さん
E-mail:inoue@nava21.co.jp

筆者は伊賀の国に暮らすと言うことで、まずは伊賀忍者の話をすることが必然的かと思い、筆を進めます。

僕がまだ小さい頃は(15年ほど前)、本当に伊賀の国は美しい山里でした。
近頃では、今ごろになって田中角栄が進めた日本改造計画の波紋か・・・この山里も文明中心の街に変貌してきたようにひしひしと感じます。
話は戻りますが、昔は子供心に、「あの山で忍者が修行してる!!」などと本気で思えるほど里並みは穏やかで、かつ険しかったように記憶します。

なぜ、伊賀の国に忍者伝説は誕生したのか・・今回は、まず大前提として、忍者は存在した!!ということで、話を展開したいと思います。
検証方法として、読者に読みやすいよう、また筆者が仕事中であることから、箇条書にて簡略化させていただきます。

伊賀忍者誕生理由その1

伊賀の国は、律令の時代から、中央権力争い(奈良、京都)にて敗北した貴族達が落ち逃げる土地であった。(隠)という地名も確認される。そのため、権力に対する執着が薄く、大きな勢力を持つことが、苦手である。そのため、戦国期に伊賀に大名は誕生しなかった。
いうならば伊賀地方の豪族は「自由な存在」であった。

伊賀忍者誕生理由その2

伊賀の国は、都に対して、山ひとつ挟んだだけの位置的関係にあり、中央の情報がある意味「障子一つ隔てた状態」で流れてくる。いわば諜報には便利な地域である。

伊賀忍者誕生理由その3

「伊賀の国」・・名前の由来は(毬)からくるほどに、山深く水田を作るには適していない、適していないと言うよりは、作る土地がない。そのことから伊賀の国では、農閑期また、第2子以下は、古くから「出稼ぎ」に出たといわれる。
それに出ることにより、各地方からの情報が伊賀の国に集まるのは偶然ではない。

以上の理由により、下記のようには結論づけできないだろうか。

食を得るために出稼ぎがしたい・・・伊賀には情報が集まる・・・情報で食を得たい!!・・・

・・・どの勢力にも邪魔されない・・・忍者が誕生する!!

要するに、貧しい土地である「伊賀の国」が、その位置的環境をいかした、生きるための活動であったのではないだろうか・・・・

仁礼小一郎さん

隆元さん、今井宗久などの大商人が黒幕の可能性はないんですか?
宗久とかだったらそれぐらいのことやらかせると思いますが...?
動機は...?

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