其の19 其の21 |
歴史評定 のお話 其の20
大膳大夫 隆元さん E-mail:jo6-life@nsknet.or.jp
仁礼 小一郎さんへ、大膳大夫 隆元です。
第2が、"津田 宗及(天王寺屋グループ)"など織田家と結びついて成長した階層。 第3が、"今井 宗薫"など第1,第2の階層に実力も伝統も及ばない階層。 さて堺の商人たちのうち、光秀をそそのかし信長を討たせたとすれば、それは第3の階層でしょう。リクルート事件や香港資本のうち返還に賛成した勢力を見た通り、安定して卓越した勢力は危険な政治工作に関与することはありません。 第1の階層は、不利益をこうむらないための情報収集にとどめて政治からは距離を置き、政権がどっちに転んでも損をしないように立ち回ります。第2の階層は、現政権=現体制から既に利益を得ているので、体制擁護に動きます。 したがって謀反を後押しして自分を優遇してくれる新政権を樹立しようと画策しそうな可能性があるのは、堺では実力に劣る第3の階層しかいない訳です。しかも堺の商業は貿易や海運業ですので、楽市楽座すなわち信長が志向した自由主義経済とは不具合が生じません。 しかし茶屋衆など京都の豪商たちはどうだったでしょうか?。こちらの方は製造・卸元であったりメーカー総代理店であったりして、かつて座や市から多大な利益を得ていた商人も多く含まれていたのではないか?。 だとすれば商工業が自由化されたり競争原理が導入されたりすることを拡大させないために、信長と後継者を殺そうと画策する可能性は皆無ではないでしょう。 適切なヒントでないかも知れませんが、京都の豪商が室町幕府や有力守護大名とどんな風に関わっていたか?、足利将軍の代替わりや赤松氏が将軍を殺した"嘉吉の変"に疑惑がなかったのか?を重点的に調べれば、目鼻が付くんじゃないかと思います。 私は京都の豪商についてホラ吹く程も知識を持ち合わせておりませんので、仁礼さん、ここは1つお願い致します。(焚きつけといて無責任な...) かしこ |
マモルさん E-mail:nobunari@tky2.threewebnet.or.jp
マモルでござる。 四月二十日 隆信(花押) 要約すると、「自分が死んでも、家内、家臣は普段の元気な時と変わらない覚悟を持ち続けること。又、我が死後は信生に相談せよ。」 ・・・という事じゃ!この遺書が龍造寺家一門衆に流れたとすれば、隆信公亡き後、龍造寺信周(隆信公の弟)が柳川城に戻った信生を佐嘉城に来るように頼んだのも納得がいく。そして相談役などにせず、実際に執政を取らせたわけじゃ。そして・・・この後が少々複雑になっておる。 島津の侵攻を策で防いだ信生は島津と講和をする。そうでもせねば生残れないからじゃ、しかし!大友宗麟が上洛し、終に豊臣秀吉の九州下向が現実になってきた。以前より秀吉と親交があった信生は秀吉方に付くはずじゃった。しかし・・・島津家に協力しておる。何故?(この事を知ってる方が居れば拙者宛てに書状を下され。) 結局、島津の敗北・降伏と共に九州征伐は終了する。龍家に何らかの仕置きはなかった。何故なら、岩屋城にて壮絶な敗死をした高橋紹運の家族を島津より取り返し、秀吉が実際に下向してから全面に協力したからじゃ。 そして、龍造寺政家公は秀吉公に出仕することになった・・・しかし、あまりに脆弱(肥満体だったらしい)だったので、秀吉公の命令で政家公は隠居。藩を鍋島直茂に任せ、家を龍造寺高房に継がせたのである。そして、其の体制が長く続き、江戸時代に入る。 結局は高房公病死故、龍造寺家嫡子無しとして断絶するである。(伯庵は実在したが嫡子ではなく庶子であった。)そこで藩は終わりになるはずであった・・・しかし、廃藩にはならなかった。何故なら、家は高房の物であったが藩は鍋島直茂に預けられていたからだ。そこで幕府は鍋島勝茂を正式に藩主としたのである。ここまでの何処に乗っ取りに関する事があろう・・・? 政家隠居が?(秀吉の命令) 高房を佐嘉に戻さなかったとか?(江戸に出仕するように命じられていた) それは全て直茂の策略である?誰が実行するの?藩体制は龍造寺一門に占められていたのに・・・ 余談じゃが、龍造寺伯庵は名を季明と名乗って徳川家光に龍造寺再興を訴え出た。そこで勝茂は家老の多久安順(高房の従兄弟)に出府させて、評定場にて対決させた。そこで伯庵は、「佐嘉三十五万七千石は龍造寺伯庵の物である。」と主張したが、安順は「伯庵は卑しき女の腹から生まれたものであるから、そんな事を言う資格は無い。有るとすれば龍造寺長信(隆信公弟)の子である儂じゃ!!」と言い、又「鍋島直茂公は隆信公の従兄弟でもあり、また義弟でもある。したがって、今後も鍋島家が、引き続き肥前を治める事に、我等龍造寺一門はなんの異議も無い。」といったという。これは、鍋島家は龍造寺一門に請われて佐嘉を治めたのであって、乗っ取りでは無い・・・ということにもなるな。 しまった・・・遺言の事だけにしようと思ってたのに・・・興奮して余計な事まで書いてしまった・・・しかも!!余計な事の方が多い・・・文才の無い拙者の文故、読めぬ事もあろうが・・・ご容赦下され! ご意見があれば!直に書状を送られよ!!! |
マモルさん E-mail:nobunari@tky2.threewebnet.or.jp
マモルでござる!最近はここに入り浸りじゃな・・・ちゃちゃお殿の「勝手にリプレイ」が面白いの。毎度楽しみにしており申す。 |
ちゃちゃおさん E-mail:chacha16@mug.biglobe.ne.jp 教えて下さい:三国志の正史について
「ちゃちゃお」と申します。このコーナーには初めての投稿になります。みなさん、かなりお詳しいようですが、三国志の正史に関する話はどこで読めるのでしょうか? |
真田信幸さん 真田一門考
真田一門のことが話題にあったけど、真田関係のことといえば小林計一郎氏(長野の大学で教鞭をとっておられるかたです)の著書を読むのが一番よいと思います。真田研究に関しては第一人者といってもいい方です。真田一門に関する本のなかには氏の著書を資料にしているものがいくつもあるくらいなので氏の著書をいくつか集めればかなり正確につっこんだところまでわかると思います。 |
山中鹿之介幸盛さん E-mail:mserika@alles.or.jp ちょっと休憩・・・古人の足跡をたどって
私は旅行が好きで、たまに戦国の城跡巡りとか武将のゆかりの地とかをたずねていったりするのですが(青春18きっぷをお供に)、それについてのお話を一つ。 |
dai.Fさん E-mail:d-mad-f@po.twin.or.jp 三国志(正史)について
はじめまして、daiです。 |
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