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其の20

其の22




歴史評定 のお話 其の21


マモルさん
E-mail:
nobunari@tky2.3web.ne.jp
HP:歴史If城

三国志正史について

マモルで御座る。
dai.F殿、先日は鍋島信生が失礼した。またチャットで御会いしたいものじゃと奴は申しておった!!(^▽^)
さて、日本で三国志正史と言うと、裴松之が注釈を付けたものを言うそうじゃ。裴松之の注釈はあちらこちらから文献を集めて、これが正しいと言っておる故、結構楽しいで御座る。しかも、三国志演義と正史の違いは結構あるので、三国志を愛して止まない方は一度御覧あれ!!でも・・・馬鹿みたいに高い・・・(ちくま文庫・1500円×8!!)

oopsさん
E-mail:
dai@y7.net

三国志正史について

ちくま文庫ってなんであんなに高いのでしょうね.
いっそのことハードカバーの筑摩書房 世界古典文学全集 三国志全3巻買いたいな.

これを置いてある図書館ってあんまりないのが悲しいです.

孟獲さん
E-mail:
d198169y@edu.tyhr.hokkai-s-u.ac.jp

多分あったな・・・

僕が通っていた高校の図書館にハードカバーの三国志(もちろん正史ね)がありましたよ。
多分あれが筑摩書房 世界古典文学全集 三国志全3巻だったんじゃないかな。
僕は、高2の夏休みに魏書を借りて読んだんですが、曹操のところを少し読んで挫折した記憶がある。
なんでちゃんと読んでおかなかったんだろう。

今思うと凄い図書館だな。
別に大きな図書館ではなかったのですが。
大学の図書館にもないのに。

Satさん

教えてください

私は、三国志については小説しか読んだことが無いので正史には興味があります。
読んだ小説は、なんだか劉備と孔明が主人公っぽい内容で孔明が死んでからの具体的な話は、あまり書かれていませんでした。(この先が知りたい!)
ここで紹介されている本には、孔明が死んでからの話も記載されているのでしょうか。

パーサーさん
E-mail:
tanabe-y@hoffman.cc.sophia.ac.jp

小説でよければ

小説でよければ柴田錬三郎の英雄、生きるべきか死すべきかと言う本(全2巻)に孔明死後の蜀滅亡から晋ができるまでをかなり詳しく(主役はキョウ維だったとおもいます)書いてます。僕自身これを読んで初めて知った内容(諸葛誕の反乱の訳とかその他いろいろ)も多かったのでぜひ読んでみてください。
あと反三国志という小説は劉備(蜀)ファンにとってはたまらない内容です。
ちょっと無理な設定なところもありますがかなり面白かったです。

dai.Fさん
E-mail:
d-mad-f@po.twin.or.jp

夢に関する事

ちゃっす!daiっす。また投稿します。

今回は夢・・・寝る時見る夢ですよ。今回も三国志中心ですが・・・
本などで読んだ事があるんですが、董卓は殺される前に、竜に巻き付かれる夢をみたそうです。魏延は死ぬ数日前に頭から角が生える夢を、魏の鐘会はたくさんの大蛇に噛み殺される夢を見たそうです。全部死を暗示する夢だそうですが・・・
実は私、とある人物の夢について疑問があるのです。その人物とは蜀漢最後の皇帝、劉禅の母である甘夫人が見た夢です。どんな夢かというと、劉禅の生母である甘夫人が、劉禅の生まれる前に北斗七星を飲み込むという夢です。で、その話しを聞いた夫劉備が生まれた赤ん坊に「阿斗」(後の劉禅)と名付けるわけです。なんか宿命のありそうな子供のように思えますが、実際の所は皆さん知っての通りの愚者で歴史に記録で残っている長所は見事な位にお人好しって事だけです。で、現在では「阿斗」という名は愚か者につけるあだ名として中国では使われております。
じゃあ、甘夫人の見た夢の意味はなんだったのでしょう?これは個人的な考えですが、北斗は死に関係するといわれています。三国志のゲームでもありましたよね?仙人が
「○○殿は北斗の神に魅入られたようじゃ」
と言われると、その○○という人物は年内に死亡すると言う事が。それと同じで、その北斗七星の夢も劉禅がなんらかの不幸をもたらすという暗示なのではないのでしょうか?(失言かもしれませんが)
夢というのは、普段抑えられている深層心理が形を変えて現れている他、予言めいたものも見るそうです。面白いですねぃ。
後、夢に関する書物(できれば、歴史に関係あるヤツ)で、「これはいいぞ」っていうものを紹介して頂けないでしょうか?だれかお願いします。
P.S 鍋島殿、先日はどうも失礼いたしました。またチャットでお会いしましょう。
乱文、長文はご容赦の程を。
以上dai.Fでした。

妙姜さん
E-mail:
ga3104@i.bekkoame.or.jp

連環

お初にお目にかかります。妙姜と申します。
 以前より閲覧していましたが、今回初めて書き込ませていただきます。
 「其の20」マモルさんの「醜女について」の記述に関連して、思い付いた事を少々。
『名将言行録』巻之五での記述のもとになった『陰徳太平記』(註1) 巻16
 「元春熊谷信直の女娶る事」に於ける、吉川元春の言い分では

「(前略)今信直が娘を望むは、全く容顔嬋妍(せんけん)なるを以てせず、渠(かれ)が形色の黄頭黒面、孔明が婦にも過ぎ、傍行傴イ(くい)、登徒子(註2)が妻にも越えたりときく、され共心行は容貌に因らず、鐘離春、斉の宣王の后と成て国治まり、孟光、梁鴻が妻と成て礼儀あり、(後略)」

と、諸葛亮の妻(黄承彦の女)(註3)のことを引き合いに出しています。
(『名将言行録』ではこの部分は割愛されているのですが)

 しかし、日本における『三國志演義』の翻訳は、湖南文山によって元禄2年(1689)から5年(1692)にかけて刊行された『通俗三國志』であるので、おそらく元禄8年(1695)成立(註4)の『陰徳太平記』の著者の香川宣阿の知識である可能性が高いでしょう。ただ、元春は『太平記』や『吾妻鏡』などの古典や歴史書を愛読していた教養人であるので、もしかしたら知っていたかもしれません。そこで皆様方に伺いたいのですが、戦国武将がどのような本(文学・歴史書・経典等)を読んでいたのか、またそこからどういう影響を受けたのか、ということについて手がかりになる史料などがありましたらご教示ください。それではこの辺で失礼いたします。

(註1)『正徳二年板本 陰徳太平記』 香川宣阿(1647〜1735)著
    米原正義 校注 東洋書院 1981年

(註2) 登徒子についてはよく知らないです。すみませんm(__)m
 鐘離春については『蒙求』の561に「無塩如漆」として記述があります。

(註3)『三國志演義』第117回で諸葛亮の子の諸葛センが艾の軍を迎撃に出る時に紹介されています。「母親は容貌すこぶる醜かったが、奇才あり、上は天文に通じ、下は地理に明るく、六韜・三略・遁甲の諸書、一つとして通ぜぬはなかった。武候(孔明)は南陽にあった時、その賢明なることを伝え聞いて、求めて妻としたもので、武候の学問には、夫人の助けを借りたところが多かった。」とあります。なお、正史『三國志』の「諸葛亮伝第五」にはこの話は無いようです。

(註4)でもなぜか「信長の野望 将星録」では 毛利元就が最初から所持してたりする^^;
 なお、刊行されたのは正徳2年(1712)です。

鬼義重さん
E-mail:
fwif2407@mb.infoweb.or.jp

東海道中御城巡り『のぞみの車窓から』

この物語は私が仕事にて、とある任務を遂行した時の道中記であります。
物語を語るきっかけとして、歴史ファンの方からそうじゃない方まで歴史を身近に楽しんでいただきたいと思い筆を執りました。
また、この物語はバーチャルリアリティ的に歴史を語っているため、歴的で無い部分がかなり在り、歴史ファンの方には失礼な文だと思いますが、気にせず軽い気持ちで読んでいただければ幸いです。

その1.プロローグ
 台風一過のとある日、いきなりビジネスの任務の司令が下る。
『あー、突然だが、広島の尾○って行ったことある?』『はあ?』
『今から尾○へ行ってくれないか。』任務ということもあり
『はい、わかりました。』、ということで某県某市より広島の尾○までの道中記が始まるのであった。

その2.某駅より東京駅
 某駅より上野まで特急『スーパーひ○ち』により一路上野へ一直線、もちろんビジネス切符にて乗車した。某駅のみどりの窓口にて座席指定を受けようとしたが、すでに指定席は無く、泣く泣く自由席へ(新幹線の予約は右の窓側で取れました)、時計に目をやると10時で、列車がプラットフォームへ到着する。運良く自由席に空きが有り無事着席できた。
 しかし煙いな...ああ、喫煙車両であった。たばこを吸わない身には結構つらい。
..約2時間半列車に揺られ無事上野駅到着。上野駅から山手線にて東京駅へ難なく到着。(JR東海さんへ『う〜ん、東海道新幹線も早く上野へ乗り入れちくりー。』)

その3.東京駅にて
 山手線ホームより新幹線ホームへ、時計に目をやると12時半、新幹線ホームにて買い物をする、まずは弁当(リッチに握り寿司と野菜サンドを購入『うーん、新幹線ホームはやっぱり違う...何が?』)、新聞、お菓子、飲み物と、そうこうしている間にのぞみ号がプラットフォームへ到着(新型車両じゃないのが、少し残念)。
 のぞみ号へ乗り込む(さすが全席指定じゃ!さっきのスーパーひ○ちとは違うな...座席と座席の間が凄く広く足が余裕で組めるではないか。おまけにシートは飛行機の様にバケット形状『感動!!』)

その4.のぞみ号東海道へ
 東京駅を出発し、箱根を越えると富士山が見え始めた。富士山をバックに握り寿司を摘まむ。『おお、富士山をバックに寿司とはちょっと感動..』 富士山を越えると富士川、大井川を渡り右側に小高い丘の上に掛川城の天守閣が見える。(掛川城については、永正10年、今川氏の家臣朝比奈氏が築城、天正18年秀吉により山内一豊が入封。小ぶりではあるが三重の立派な天守(高知城似)を構えている)
 浜松付近を通過中、浜松城らしき丘が見えるが確認できず。(浜松城は、元亀元年徳川家康が築城)
 浜松城を過ぎ浜名湖へと、と突然前方より『シュー』(自動ドアの音)『うなぎ〜ぱい、うなぎ〜ぱい』ハウス○がや風の売り子さんだっだ。
 そうこうしている内に名古屋へ到着、人がどっと乗り込みとても賑やかな雰囲気。旧名古屋球場を越え少しすると、右側に黒い天守閣が『お、清洲城だ。』(応永12年斯波義重(同じ名前だ)が築城、弘治元年織田信長が居城とする。)
実は本当の本丸は新幹線の真下に在り、有名な清洲同盟や清洲会議の舞台となった所の真上を通過。今回の東海道中御城巡りのハイライトであり、通過中の一瞬ではあるが非常に感動した。と突然後方より『シュー』(自動ドアの音)『ういろ〜、ういろ〜』ハウス○がや風の売り子さんだっだ。
『すいません、ういろう2つ、ひとつは抹茶ね!』『はい、2400円になります。おおきに』ナニワの人だった。
 東山トンネルを抜け、京都だ。『新しい駅ビル?が景観を遮っている。残念!』京都駅から左側から東寺の五重塔が見え、京都も無事通過。
 大阪へ到着、またまた人が乗り込み、ほぼ満席常態に、『しかし皆話声がでかい。完全に関西だ(おいおい、昼間からビールのむなよ!)』。
しばらくすると街中に上空すれすれに飛行機(JASのMD90黒沢明監督のレインボーカラー仕様)が降りてくる。伊丹空港かな?
 しばらくすると姫路駅(のぞみ号は通過)手前から立派な丘の上に姫路城が見えてくる。
(元弘3年赤松則村(円心)が姫山に築城。以後、山名氏、小寺氏の居城となり天文14年小寺氏の命を受け黒田重隆が入城、天正5年に秀吉が黒田孝高から姫路城を譲り受ける。)
 岡山へ到着、岡山城は遥か南か?ここでのぞみ号からひかり号へ乗り換えだっ。
のぞみ号を降りお土産のきび団子を買い約20分、ひかり号が到着し早速乗り込む。
(100系の車両)う〜ん、さすが初期設計が昭和39年、作りのしっかり感が違う。(プラスチックの厚みや鉄板の厚みが厚い、ぜんぜんのぞみ号のアルミボデー(正確な英語の発音はボデーに近い)とは違うぞ〜。)
 大小トンネルをいくつも過ぎ備後福山へ、福山駅のすぐ右側には、福山城が(福山城は、元和6年から8年にかけ、水野勝成が常興時山に築城。余談ではあるが、水野氏の第6代藩主勝長は元禄13年下総結城に移封されるが、水野氏の家紋が我家の実家の家紋と同じ『抱きおもだか』である。うーん、これも何かの因縁か?)

その5.目的地尾道へ
 またまた、大小トンネルをいくつも過ぎやっとこさ尾道駅へ。その日は見てきた御城に感激しながら、翌日の任務に備えた。
翌日、無事任務を遂行し、後は来た道を戻るだけだった。(宮島を見たかったのだが、時間の都合上無理だったのでヤムナシか。)

その6.エピローグ
 なお、帰りの話は東京駅まで、座席が廊下(車両の真ん中)側だったため、外の様子はあまり見れなかったので、報告致しません。
 この物語を読んでいて、新幹線からはもっと有名な史跡がみれるポイントがあることを知っている人は多々いらっしゃると思いますが、今回の『東海道中御城巡り』は、突然の出来事を想いついたまま語った物語ですので、軽く楽しんでいただければ幸いです。
今度、プライベートで行く機会があれば次回の報告はあるかどうかはわかりません。

其の20

其の22