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其の22

其の24




歴史評定 のお話 其の23


虎御前さん
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教えて下さい

ある本で、関ヶ原の小山の評定の時にまわりがぞくぞくと家康の味方になることを誓っているなか、一人だけ「秀頼様の名の元で挙兵したのだったら、どんな事があっても従わないわけにはいかない。」とゆうような事を言って、西軍についた人がいるという事を読みました。
最近その人について詳しく知りたくなったので、今まで読んだ本を読み返してみたのですが、どの本にも全員が家康に味方したとか書いていません。
記憶違いかもしれませんが、もしどなたかその人について知っている人がいたら、その人のその後などについても教えて下さい。

奇妙丸さん
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悲しい武将?シリーズ(マモル殿に返球!)

どうもお久しぶりです。
「悲しい武将シリーズ」ですが、マジでかわいそうですなあ・・・
まだ記録が残っているから救われる気持ちになります。

以前「信忠年表」でちょこっと載せていただいたのですが(覚えています?)
「井戸将元」と言う人物で御座る。
この人は信長の馬廻りで、ある理由で信忠に処刑されてしまいました。

何故処刑されたのか?どんな悪いことをしたのか?と疑問でしょうが、
別に対した理由ではござらん。

信長が本拠を安土城に移した後、安土に妻子を呼ばなかったという理由で御座る。
たったそれだけで殺されてしまいました・・・。
彼は他人のいえを渡り歩き、奉公を怠ったと言うのです。で信長の命令により信忠に、処刑されました。

「信長公記」にも掲載されております。

考えてみると現在にも似たような人がいます。(拙者もその一人・・・^^;)
戦国時代も現代も人間のやることは余り変わりませんね。
まあ当時は命がけです。拙者など一秒も持たないでしょう・・・・

流れ公方さん
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虎御前さん

小山で全員一致で徳川に味方する!となっていますが、「田丸 直昌」と言う大名が小山から関ヶ原に向かう途中で「やっぱり秀頼様とは戦えないので石田方に付きたい」と申し込んでいますよ。

鍋島閑叟さん
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HP:Hitotsubashi-Lacrosse H.P.

Re:教えてください

虎御前殿、はじめまして。
小山会議において、東軍につくことをよしとしなかった勢力はいくつかあったようです(つまり全員が東軍についたわけではない)。
先に公方殿が述べられていた「田丸 直昌」のほかに、真田昌幸の話があったとおもいます。
真田昌幸もしぶしぶながら、信幸(当時)、信繁兄弟を引き連れ、家康の上杉征伐にしたがっていました。
そこでご存知の通り小山会議が行われたのです。昌幸が会議中にどうこうしたという記録は残っていませんが、信幸、信繁相手の家族会議に於いて虎御前殿のおっしゃっていたような事を言い、勝手に領国に帰っています。
その時有名な話ですが、真田沼田分家としてほとんど独立の勢力であった信幸は東軍についております。その名も家康にはばかってか「信之」と改めております。
真田家の話とあって、ついつい長くなりましたが、以上のようなことと記憶しております。
それでは

流れ公方さん
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santana@cyborg.or.jp

虎御前さんへ

小山の軍議の後、品川宿で引き返して「やっぱり秀頼様にお味方します!」と言った田丸 直昌と言う岐阜の小大名がいましたよ。

流れ公方さん
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santana@cyborg.or.jp

ありゃ、、、ダブったみたい

田丸 直昌は、関ヶ原の合戦後、領地没収!
後に赦免され、甥の蒲生 秀行の所に寄食し、一生を終えたようです。

虎御前さん
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ありがとうございました

流れ公方殿ならびに鍋島閑叟殿、お返事ありがとうございました。
私が言いたかったのは、田丸直昌でした。損得勘定や憎しみから家康についたり、寝返ったりする人が多い中で義に生きるというのは本当に感動的ですね。見習いたいと思います。

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