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其の55

其の57




歴史game のお話 其の56


仁礼小一郎さん
E-mail:
nkuwae@southernx.or.jp

太閤2 長篠の合戦を目指して!! 第3回

ここまできて気づかされた、もう一つの条件、それは城主ではだめということ!!だと思う。なんということじゃ。
そんなこと、ハンドブックにも書かれておらんかったぞ。
条件は整ったのに、いつになってもイベントが起きん。大評定にもでたし、主命も授かっていない。なのになぜ呼ばれないのじゃ...
もしや安土城が完成しないとだめなのか?それともほかの隠された条件があるのか?いったいどっちなんだ...
ここに来て、ピンチを迎えてしまった光秀。さあ、どうする?

ここまでのまとめ

長篠の合戦を起こすには、ハンドブックに載っていた条件のほかにある条件が必要。(たぶん) その条件として考えられるのは...

1,城主ではだめである。(最有力)
2,安土城が完成していること。
3,上の2つ以外の条件。

この3つのどれかである。(たぶん)

拙者は、1の条件を信じて城主降格を目指した....が。
ここで、またも問題発生!!
いったいどうすれば城主の信頼度は下がるのじゃろう?
大評定をさぼったり、援助依頼をしたり、価値のない物を献上したり...

いろんなことをしたがだめじゃ。
誰か知っている人はおりませぬか?このままじゃと終わってしまう....

誰か、助けてー!!            第4回へ続く....

風柳斎さん
E-mail:
ventulus@po.net-ibaraki.ne.jp

第四次小田リプレイ第三回

 我が殿より軍権を委譲された、里見義尭である。儂が軍師をつとめる以上、必ずや天下を取らせて見せよう。
 まず、佐竹の真壁との間に内応を取り付けた。さらに、上杉の北条とも密約を結んだ。ふふ、どうです、氏治様? 儂に万事お任せあれ。
 西には北条、北には上杉。我らには彼の国と戦う力はとうていありませぬ故、目指すは東北地方でございます。佐竹領を吸収し、力を蓄えましたら、葦名と決戦です。伊達と葦名が同盟しているのが非常にやっかいですが、伊達家は南部との戦でこちらにまで兵を派遣するわけにも行かぬでしょう。
 儂は、氏治様に義重の暗殺を進言した。しかし、受け入れてはもらえなかった。
「史実においては、儂は義重にこてんぱんにしてやられたのじゃ。今度は儂が、奴を戦で痛めつけてやりたいのじゃ」
  ……やむを得ませんな。しかし、感情にて動くは下策であることをお忘れなく。
 む? 北条殿が軍団長に?  ……寝返りは期待できなくなったか。しかし、上杉が目を光らせていたのでは、いつまでたっても佐竹に攻め込むことが出来ぬな。

 永禄十年。とうとう、北条からの同盟破棄の通達が来た。覚悟していたことだが、これはあまりにも ……東北への侵攻が一段落したときまで保つかと思っていたが ……
 我が内応要請の使者は既に、佐竹上杉だけではなく、葦名や北条にもとんでいる。新発田重家、田村清顕、里見義弘、水谷正村。皆、寝返りを約束してくれた。さらに、伊賀忍者の頭領、服部半蔵殿は即刻当家へ出向いてくれた。
  ……ふふふ ……やれる ……
 ついに佐竹攻めの好機が到来した。結城城は上杉憲政他二人の凡將しかいない。これなら、佐竹の援軍に出てきたところで、暗殺も可能だろう。
 約束通りに真壁殿が我が軍についた。それにより、事実上こちらの損害数百で義重を壊滅させた。敵はほぼ全軍が城に籠もった。しかし、残る武将でまともに戦えそうなのは、義昭一人。
 上杉は中立を保っている。おそらく、この戦で敵になることはあるまい。半蔵殿が太田城を落とした。水戸城もまた、義昭を包囲しての一斉攻撃で陥落。
 義重は野に下った。義久、義昭も解放された後、在野の士となった。
 すぐさま登用に赴いたのだが、一人として仕官を受け入れるものがいない。佐竹は我らに恨みがある故ともかく、なぜに相馬殿まで我らを嫌うのだろうか。
 来おった! 北条が千葉城へ向かっているとの報が入った。八千対五万のこの戦は、最初から捨てるつもりだが、本多忠勝の内応が偽りだったのは悔しい。義弘は約束通りに寝返ったが。
 千葉、岩村、土浦の三城は奪われた。だが、既に我が軍は四万を越えた。正面衝突ならば、北条が相手とて、おいそれとは負けぬ。今は無理だが、いつか必ずや、我が里見の無念を晴らしてやろうぞ。
 殿、あとは一刻も早く東北を制圧するだけですぞ。伊達、葦名、最上、南部と強敵はぞろっていますが、北条や上杉ほどの国力はありませぬ。東北を統一することが出来れば、上杉北条と真っ向から戦うことが可能になります。

風柳斎さん
E-mail:
ventulus@po.net-ibaraki.ne.jp

第四次小田リプレイ第四回

 上杉家臣、佐竹義重が我が殿を頼って参った。拙者は、この者をなかなかの器と見たが、殿は保護をするかどうか迷っておられるようだ。
「なにを迷っておいでです? もしや、義重を配下にしたのでは、恨みが果たせんとでも?」
 義尭様が、そう殿に問うた。
「うむ。優秀なのは分かる、しかしだ ……」
「いけませぬ。これは天の助け。ここで義重を得なければ、後々苦しみましょうぞ。殿、どうかご決断を」
「むむ ……しかし、義重有ったから小田が天下を取れたなどとは言われたくないものだ」
「その様なことは誰ももうしませぬ。なにも、報復の仕方は一つではありますまい。ここで義重を受け入れ、存分に働かせなさいませ。そして、小田有ったから佐竹が存続したのだ、と」
「 ……ふむ、それもいいかも知れぬな。よし、義重をここへ呼べい!」
 義重は小田家臣になった。しかし ……
 殿。拙者は、ふすまの中から呼びかけた。
「なんじゃ?」
 あの、義重めにはお気をつけ下されませ。あやつ、何かたくらんでおるやも知れませぬ。
「 ……やはりな ……分かった。報告ご苦労だった」
 さて、戦後処理のあと。戦略的には、義尭殿が申されたとおり、まずは葦名を叩くことになる。そのための布石を打ち始めた。既に三名が内応を約束しており、我ら服部忍軍が城を焼いた。

 永禄十二年。上杉政虎が逝った。一人、英雄が消えたことになる。我らにとっては好都合だが。
 ここへ来て新たな問題が浮上した。
 殿の指示が、あちこちまで行き渡らないのである。天下を狙うという方が、その様に慎ましくてはなりませぬぞ。とはいえ ……このままでは侵略がはかどりませぬな。
 義尭様は、既に軍団制の実施を検討しているようでござる。
 葦名家の強者とはだいたい内応の約束が出来た。だが、まだ数人頑固者がいる。
  ……殿、我らにお任せあれ ……。まずは、大内定綱。次は、金上盛備。
 いざ、戦というときに、猛將里見義弘殿が亡くなってしまった。義尭殿より先の早世である。
 ほぼ同時に、武田信玄が死んだ。ふむ、次々といなくなっていくな。 ……我が殿は ……大丈夫だろうか ……。
 三人目の獲物、大塚親成。おお、義尭様が二階堂盛義を。なかなかやられますな。これでほぼ全て小田陣営ということですな。

FAさん

風柳斎殿、ちゃちゃお殿

ああ、びっくりした。
風柳斎殿、驚くではないですか。
しかし、あんなに格好悪いとは思わなんだ。
それに読みにくい。
あれは冗談にしても、ああなってしまうんですかね。
しかしあれは行き過ぎでしょう。
「御屋形様、おらも連れてってくんろ。」
まさかそうは言わないでしょう。
あ、あれは馬か。
馬じゃ、しょうがないですね。
ん?
やはり難しいですか?
方言を交えて書くのは。
しかしあの頃、どうやってコミュニケーションをとっていたのでしょうね。
今よりももっと、どぎつい方言だったわけですし、標準語などはなかったわけですから。
外交の使者などは、その地方の言葉に明るい者が選ばれていたのでしょうか。
そういえば、あの頃のコミュニケーションについて書かれたものは殆どありませんね。
あります?

ちゃちゃお殿。
英語は拙者も困ります。
ん?
英語?
ちゃちゃお殿、拙者の書いた方言とは日本の方言ですぞ。
え?
冗談?
分かってますよ。
それから、ちゃちゃお殿が書いていた読みやすくするということですが、これは確かにそうです。
他人を気にせず自分勝手に書いてしまえ、と書きましたが、やはりある程度は読まれる事を考慮する必要はありますね。
ちゃちゃお殿が以前書いていたように、やはり短めが良いようです。
長くなるのであれば、風柳斎殿やちゃちゃお殿のように適当なところで切って、分割して書くのが読みやすくなるようですね。

FAさん

天翔記PK シナリオ1 (1) 安東家

担当大名は南部から安東に替えました。
安東(後の秋田)も蛎崎(後の松前)、南部同様、明治維新まで存続しました。
最初の武将は安東定季(あんどう さだすえ)。
能力値は、154.160.152です。
彼は湊家七代目当主で、宿老。
次は安東舜季(あんどう きよすえ)。
158.162.152。
彼は桧山家七代目当主で、宿老。
って彼は大名でした。
彼の相性値は6、盟友である蛎崎は2。
あまり良くないです。
次は浅利則頼(あさり のりより)。
156.174.160。
浅利家と安東家は宿敵同士。
何故安東家の家臣なのでしょう?
とにかく彼を独立勢力の当主とみなし、宿老とします。
相性値はE(10進数で14)ですが、安東家は明らかに人手不足。
浅利殿には気の毒ですが、心底から安東家の家臣となって頂きます。
で、彼の相性値は6。
安東家は宿老が2人。
蛎崎、安東連合軍は宿老が3人で、兵の総数1,250。
南部は宿老2人に家老が2人、兵の総数1,200。
数の上では、いい勝負です。
しかし南部には戦闘180を超える猛将が2人。
やはり蛎崎と南部は同盟です。
安東家の健闘を祈ります。

皆、仕事に、遊びに、と忙しく、また歴史関連の本は続々と出版されています。
わざわざ素人の書いたものを読んでいる暇などないでしょう。
もちろん誰一人読んでいない、ということは有り得ませんが、自分だけが楽しい、自分勝手なものを書かせて頂いているのは事実です。
このことについてはHiro.K殿に深く感謝しています。

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