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其の61

其の63




歴史game のお話 其の62


仁礼小一郎さん
E-mail:
nkuwae@southernx.or.jp

太閤2 長篠の合戦を目指して!!第4回

うーーむ。わからぬ。どうしてもわからぬ。
城主になったら、どうすれば信頼値を減らすことができるのじゃ?
いろんなところに、書き込み情報を集めたのじゃが...
どうしても城主降格ができぬ。誰かわかる人はおりませんか?
城が攻め込まれれば早いのじゃが、そんなことは絶対にないし...
完全にいきづまってしまった。くそーー。

こうなりゃやけじゃ。新武将で武田家に仕え、上杉を滅ぼした後に織田に仕官するしかないようじゃ。
その方法しかないな。

よし、明日からまた最初から出直しじゃ!!
がんばるぞ。

と言うわけで、もう一度はじめからすることになりました。
たぶん再開まで日にちは掛かりますが、必ず成功させて見せます。
その時まで待ってて下され。
そうそう、城主の信頼値の下げ方を知っている方、拙者にメールかここに書き込みお願いいたします。
ではでは!! よろしくお願いします。

第5回に続く...はず。

kasettyさん
E-mail:
kasetty@msn.com

ちゃちゃおさん頑張れ!!

 kasettyです。
ちゃちゃお殿の呼びかけに答えたくなり、書き込みました。

ずーーーーと前に書き込みを何度かしたことがあります。
しかし,サラリーマンである私は、たまにネットをのぞく程度の暇しかなく,ましてや、将星録pkを買う金あってもやる暇なし!!!
まだ一度もやってません。8・1に買ったのにだ!!!
みなさんがうらやましい。

それでも,将星録発売当時は、睡眠を削ってまでやったのだが、天翔記よりはまれなかった。
ちゃちゃお殿
そのうち,わたしも「いけいけ宇都宮氏」とでも題して、プレイレポートを書き込みたくなった。
そのときはみなさんよろしくお願いします。

だれか、私に時間を。・・・・・

山中鹿之介幸盛さん
E-mail:
mserika@alles.or.jp

将星録リプレイ「尼子の野望」 第1話

<<観音寺城奇襲>>


時は1551年、出雲国月山富田城。尼子氏の居城である。
現当主は晴久。
今年7歳になる山中鹿之介はこの月山の麓に住んでいた。

経久公の時代に比べて、尼子の力は確実に衰えつつある。だが必ずや元服の後にはこの鹿之介の力で衰勢を挽回して、中国地方はおろか畿内まで制圧し、天下に号令できる大大名にしてみせよう。
だが、それまでに滅亡するような事があっては困る。宿敵毛利・大内や山名までも隙を見せれば領内に攻め入ってくるであろう。幸い家中には武の柱として新宮党の尼子国久様・誠久様の親子がおり、宇山久兼様・多胡辰敬様のような堅実な内政家もおられる。よもや数年で滅びるということもあるまい・・・。

1551年
晴久様が最初にとった戦略は、ここ出雲とはるか離れた伊賀国の独立勢力百地三太夫を傘下に組み入れることだった。家老の宇山様は僅か1回の交渉で幸先良く百地党を取り込むことに成功。さらに行きがけの駄賃にと畠山高政まで傘下に加えてきた。今の尼子には一人でも多くの人材が必要なのであろう。私も早く存分の働きが出来るようになりたいものだ。

1552年
月山富田に向かおうとする百地率いる伊賀忍軍の前に、南近江の観音寺城主六角義賢率いる5000の軍勢が攻めてきた。こちらの兵力は2000、敵の半分以下であった。 だが、所詮は数が多いだけの烏合の衆だったようである。火攻めにつぐ火攻めで、敵は敗走。こちらの損害は兵150人程。大勝利である。怒った義賢に2ヶ月後再び攻められておったが、またもや火攻めが功を奏し、無傷で敵を追い払う事が出来た。
この時点で観音寺城内に留守番の兵しかいないことを知った百地は、一転して城を急襲、わずか1800人程度の兵で六角を滅亡に追いやったのである。さすがとしか言いようがない・・・。
こうして我が尼子領は出雲石見の2城に加え、畿内に堅固な前線基地を得るにいたった。
まだ私の出番は来ない・・・。
鹿之介8歳の夏であった。
山中鹿之介幸盛さん
E-mail:
mserika@alles.or.jp

私と尼子

やっとリプレイ第1回を書き終わりましたが、読んでいただければわかるとおり、小説形式というか日記形式というか結構リプレイというより、文章に気をとられたような形になってしまいました。これというのも、将星録で普通に尼子でプレイする限り、地味な戦略をとりながら進んでいけばそれ程難しい勢力じゃないことが原因です。それを覆い隠す為文章に脚色を加え(ゲーム進行に関しては脚色を加えてはおりません)ようとした結果、このようなリプレイとなりました。
一応山中鹿之介の視点から、というのをメインにしてますが、とりあえずはこの形を続け、鹿之介が登場する辺りでぎこちなさが消えてくれればと思います。(今はまだ登場していないので)

にもかかわらず尼子にこだわるのは、私が趣味で尼子の解説本や小説・資料等読み漁っているからです。大学で本当に研究した時期もありました。

ゲームであってもやっぱり思い入れがない、もしくはきらいな大名でプレイしたら、面白味もやる気も半減してしまうと思うのですが、いかがでしょう?

風柳斎さん
E-mail:
ventulus@po.net-ibaraki.ne.jp

第四次小田リプレイ第十五回

 田中家より舞い戻った、小田讃岐守秀治でござる。あ、心配ござらぬ、田中家の方は倅が継いでおる故。
 それにしても、突然の話じゃった。よもや太閤殿下が訪ねてこられるなど夢に思わなかった故、あのときはいったい儂はなにをやらかしたのかと思ったわ。
 しても、じゃ。儂を天下人にしようとは、太閤殿下も血迷われたも ……うん、なんじゃ、つまりその ……大それた事をお考えになられたものじゃ。
 周りのお方達から、どのような目で儂が見られるのか考えてほしいのもじゃ。
 天下の右大臣伊達政宗様が儂の講師を務めてくれることになったが、果てさて儂になにが出来るやら。
 しばらくの間膠着状態が続いておった。信之殿の軍も、高虎殿の軍も動かず、相手の出方を見守っているようじゃった。しびれを切らした関白殿下が、春日山の兵を琵琶島へ誘った。
 そこから動き出したようじゃ。信之殿の軍はそのまま加賀を奪った。このとき、多久の大名を捕らえ、龍造寺家に変わった。また、関白殿下の本軍も関東平野の制圧に乗り出した。七つの敵城があったが、敵総兵士数はたったの二千。
 瞬く間に関東を領有。もうじき永い戦に終止符を打つことが出来ると、右大臣様もおっしゃっている。
 どうやら儂の教育は終わったらしい。
「秀治殿。わらわにかわり、小田家をお任せしますぞ」
 は。どこまで出来るか分かりませぬが、命を賭して尽力いたします。
 兄守治公の時と同じように、右大臣様が儀式を執り行った。儂は、小田家の家督を継ぐと同時に、太政大臣の位を賜った。
 さて、では天下を取るとしよう。さすれば、ゆっくり茶でも点てられようものじゃ。

風柳斎さん
E-mail:
ventulus@po.net-ibaraki.ne.jp

小田リプレイ最終回

 関東の地を政宗に任せ、秀治は小田城以北を治めることになったようじゃ。
 北は信之が。中央は高虎。そして南が政宗。もはや龍造寺にそれらを止める力はない。天下は既に小田家の手元にあるといってもよかろう。
 無論、不安材料もある。いつ何時軍団長が反旗を翻すかも分からぬ。いや ……それはあるまい。皆、小田家への忠誠は熱いものばかりじゃ。
 儂亡きあと、緋空はようやってくれた。儂があんなところで小早川などに討たれてしもうた故。守治ではまとめられぬ一同を、うまくまとめおった。
 思えば長い道のりじゃったな ……一番の功労者は、よくよく儂に仕えてくれた半蔵じゃの。あやつがおらねば、果たして佐竹や葦名をうち破れたかどうか ……。まことに、よく働いてくれた。
 義重は惜しいことをした。そう ……儂の最大の敵は、風魔じゃった。義重と、さらに我が愛娘までを手にかけた忍び。とうとう、儂の手で首をはねられなんだ。
 南部は強敵じゃった。あれもまた、半蔵のおかげで勝てたようなものじゃ。あの戦にあれ以上手間取っていれば、小田家は上杉か北条に食われていたじゃろう。
 織田家の台頭は、電光石火のごときじゃった。正直、あのときばかりは終わったと思った。
 だが、半蔵や義光を初めとした武将が徹底的に内応をかけまくったことで家運をつないだのじゃ。織田の力を封じることが出来たのが勝因じゃな。
 いよいよ統一は間近である。もはや龍造寺は兵四万ほどしかもっておらぬ。ひねりつぶすだけじゃ。
 寛永四年。肝付城まで追いつめられた伯庵は、秀治に降った。
 ついにやったか。
「おめでとうございます。氏治様、いや、天庵公」
 なに、かまわぬよ、義尭。半蔵ばかりをほめたが、お主亡くしてもやはり小田家はなかった。どれほど助けられたか。
 のう、半蔵。
「 ……御意」
 何故織田にわたったかは問わぬ。お主が百地の誘いを受けてしまったことは、大きな痛手だったろう。だが、功は忘れぬ。
 義光、なにそこで碁など打っておる。だいたい、何でその様な物がここにあるのじゃ。
「天庵公、話かけんでくだされ。今、こやつに追いつめられております故」
  ……政宗、とっととそ奴を負かせ。話が進まぬ。
「 ……むぅ、やりますな、義光殿。では、こうして、と。 ……は? ああ、承知いたしました。では、これがとどめでござる」
 全く。統一の半年前にこちらに来るとは。政宗、お主も不運じゃのう。
「きえええええい!!!」
 な、なんじゃ!? ええい、小次郎殿、なにをやっておる! 石舟斎殿との勝負ならあちらでやられい。我らは、今勝利の祝いをしておるのじゃ!
「かぁぁっぁっっつ!!!!」
 うるさいと言っておろうが!!
「まあ、まあそう言わず。天庵公、それがしももう一働きしとうございました」
 む、幸村か。娘をよく助けてくれた。礼を言うぞ。勝頼や孫一などの者にも、礼を言っておいてくれ。
 時に、守治はどうした?
「若ならば、先ほどまで其処に ……」
 ん? どこじゃ、政貞。
「あ、あちらでございます」
  ……。一ヶ月だけの当主という事実を未だ悔やんでおるのか。いつまでもめそめそするでない、愚か者め。
 さてさて、蒼緋。宴の準備はよいか?
「無論でございます。秀吉殿と直茂殿が小太郎を説得し、つれて参る予定でございます」
 そうか。楽しめそうじゃな。
 では、皆の者! 宴じゃ! 存分に楽しむがよいぞ! あっちに集まっている敗北者共に見せつけてやれ!

風柳斎さん
E-mail:
ventulus@po.net-ibaraki.ne.jp

小田リプレイ後記

 永らくかかり、ようやく終結しました、小田リプレイです。
 無駄に長い文章を書き続けたことをお詫びいたします。これがページの活性化につながるならば幸いです。
 四度目の挑戦にて統一が出来ました。それも、いくつかの偶然が重なってです。天翔記が難しいゲームだということを、よくよく実感しました。将星録であれば、どの国でやっても大丈夫だと思いますが。
 どうやら、ちゃちゃお殿の韓玄の方ももうじき終わりそうな雰囲気です。仁礼殿のリプレイも難航しそうです。
 出来ますれば、これを機に、山中殿だけではなく、皆様投稿をしていただけませぬか? 皆様言っておられるとおり、腕はさほどの問題でござらぬ。なにぶん、拙者がこうして批判を受けずに書き続けられたのでござるから、皆様が自由に書いたとて非難が来ることはありませぬ。
 では、これにて拙者はしばらくなりをひそめ次なる計画を練ろうかと思いまする。皆様がんばってくだされ。

鬼義重さん
E-mail:
fwif2407@mb.infoweb.or.jp

城の縄張りについて

イマジニアの『秀吉』(サルにでもできる天下取り)というゲームについてお話します。このゲームは、、ロールプレイング的な要素で軽快かつ、なかなか楽しめる内容です。ゲーム途中、秀吉(プレイヤー)の大阪城築城のイベントが発生し、城に家臣宅や店などが配置でき、城下町のシミュレーションが可能です。(お遊び的で実戦での防御メリットは無い)

光栄の三国志シリーズでも、初期のものは築城、増築コマンド等でHEX画面に城を地形にあわせ(川や山の地形効果を利用)拡張できました。
しかし、画面イメージでの戦略が不可能な初期ゲームシステムでは、建設コマンド動作期間の長期化や、城拡張費用高等のデメリットで、当時のゲームシステムではアンマッチだったと思います。

次回の信長シリーズでは、将星録の良い面(画面イメージでの戦略が可能)をさらに伸ばすため、現実感をさらに充実させて頂きたい。

そこで以下の様に、現場のシステムを生かし内政での城下町開発を将星録のシステムを継承し、建設コマンドの改修では、独立した城のHEX画面(将星録の城攻戦画面)に、城の縄張り(配置構成)を可能とし、天守や櫓、掘、塀、塁、通路、門など普請や作事作業を自由に設計できるようにし、質実剛健な城や豪華絢爛な城に改装可能なようにします。また、城の資質(豪華さや牽牛さなど)で国の商業の発展や、人口の増加なとの相関関係を存在させ、城と国の関わりも現実的にし内政冥利に尽きるようなシステムとして頂きたい。

以上 御社に一言いいたかった。

ちゃちゃおさん
E-mail:
chacha16@mug.biglobe.ne.jp

勝手にリプレイ三国志��

 韓玄で統一を! 「第六回 最終話 決戦・・・THE END の巻」 其の60の続きじゃ
 233年11月から238年8月 所有都市は前回の最後を見て下さい


 韓玄様の後を継いだ ほう統です。いよいよ曹叡との決戦の時がやってきました。我々は16都市で兵力47万、曹叡は31都市で93万。
 数字だけ見ると圧倒的に曹叡が有利ですが、曹叡には�_罎�国により領土を2分され北東と南西の連絡がない��忠誠度の低下している武将が多く内応の不安がつきまとう、という不安要素があります。

 今回は、この不安要素を徹底的に突いていきたいと思います。「忠誠度の低い武将を寝返らせると共に魏生え抜きで降伏が期待できない武将は捕まえ次第殺す」方針で行きます。


233年12月  西涼陥落
 孤立している西涼を曹叡に落とされました。すでに計算済みだし、仕方がありません。

234年1〜10月 進撃開始
 洛陽・長安・寿春・予章に大兵力を置き全領土をカバーする作戦が功を奏したのか、曹叡軍は全く攻めてきません。
 そこで、こちらから攻勢に。長沙・桂陽・江陵を攻略し、さらに下邸も攻略しました。曹叡らを斬り「司馬い」が跡継ぎになりました。

234年11月〜235年4月 司馬い の逆襲
 虚を突かれ、4戦連続で都市を奪われた敵軍ですが、兵力を104万(我が軍は44万)に増強し逆襲に転じてきました。

 まず長沙を14万の兵で攻撃されましたが「陸軍は海上で水軍は陸上で殲滅」というセオリーで難なく撃退。

 調子にのった我が軍は、司馬い の首を斬ってやろうと武陵に攻め返しました。諸葛亮殿に無理だからやめろと言われましたが、かまわず出撃。
 ところが、待ちかまえていたのは 司馬い がしく鉄壁の守り。猛将・妖術・水計・伏兵・同士討ち・仙術と勢揃いし、裏切るとの約束はなんとウソ。
 司馬い の首さえ取れば何とかなると思って城を目指しましたが、案の定、大反撃。10万を越える兵が戦闘開始からわずか5日間で壊滅してしまいました。

 さらに悪いことは続くもので、下邸と江陵の太守が敵軍に寝返り。序盤の快進撃がウソのような状況になってしまいました。

235年5〜12月 荊州平定
 「司馬い」の前に窮地に陥った我が軍ですが、兵力を増強して再度攻勢に乗り出しました。
 武陵(14万vs14万:とうがい斬首)・江陵(15万vs12万)・じょう陽(14万vs11万:許猪斬首)を苦戦の末攻略に成功。

 11月には武陵に攻めこまれましたが、寝返りが相次ぎ防衛に成功。荊州の領有を巡る戦いはほぼ決着がつきました。

236年1〜3月 司馬い を斬首
 司馬い が西涼にいるとの情報が入りました。まず天水を攻略し西涼を孤立させ、3月には西涼を攻め落とし 司馬い を斬首。跡継ぎは司馬師です。

236年4〜6月 再び停滞
 調子に乗った我が軍は下弁を攻撃しましたが、なんと3人もの妖術使いがいて、あっけなく敗れました。
 この敗北で我が軍の進撃は止まってしまいました。

236年6月 司馬師を斬首
 洛陽・長安の兵が西方に割かれたのを見て司馬師自ら洛陽に攻め込んできました。武将の能力・兵力とも相手が圧倒的に優位。だめかと思いましたが、なんと姜維が寝返り兵糧を奪ってくれました。じわじわと兵が減り、最後には司馬師を捕らえ処刑。司馬昭が後を継ぎました。

236年7月〜237年12月 圧勝!北東部を楽々制圧
 司馬昭率いる魏は223年4月の我が軍による宛攻略以来、北東部(晋陽・ぎょう・許晶・しょう・徐州・下邸を結ぶライン)と南西部(蜀の領域+α)に分断されております。

 洛陽での敗北が相当こたえたようで、北東部の兵はかなり減っております。そこで、南西部を牽制する兵を残しつつ、残りの全兵力を北東部に投入し一挙に制圧することにしました。

 まずは、ぎょう(14万vs9万)・濮陽(13万vs7万)・徐州(12万vs6万)と相次いで攻略し、許昌・陳留・しょう を孤立させ、続いてそれら3都市を攻略。

 さらに、下邸・平原・南皮・北海・晋陽・代県・北平・じょう平も攻略。徐州を攻略した時点で、敵兵力のほとんどは粉砕され、後は楽勝につぐ楽勝でした。

 ※同じ頃、新野および零陵の太守が我が国に寝返り。司馬望軍(司馬昭は北東部で戦死)は蜀など南西部の10都市を残すのみとなりました。


238年1月 皇帝就任
 諸葛亮どのが私に皇帝になれとのこと。本来、韓玄様の一軍師に過ぎなかった私が皇帝になるなど考えたこともございませんでしたが、周囲の強いすすめもあって皇帝に就任。名声は一挙に854になり、司馬望の勢力関係は完全に逆転しました。

名声兵力都市武将
ほう統85457万3794
司馬望76439万1051


238年3〜8月 中国平定
 国境付近に48万の兵を並べ、内応の約束も取り付け準備万端の我が軍は、司馬望への総攻撃を一気に開始しました。

 3月に下弁・漢中・上庸と難なく制覇。降伏を拒否した者は例外なく兵士ごと処刑したため、司馬望軍の兵力は激減し64万vs20万となりました。

 4月には梓潼・永安・成都をたやすく撃破し、5月には江州・武陵を攻略。

 最後に建寧・雲南を攻略し、238年8月に統一達成!!とあいなりました。


 最終状態

プレイ時間:1290分(今回300分)
戦績:84勝9敗
名声:776
兵力:64万

家臣:117名
武将甘寧102  魏延94  姜維93  夏候覇90  80台16名
軍師諸葛亮100 陸遜97  姜維96  諸葛瑾91  しょうえん91

其の61

其の63