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其の68

其の70




歴史game のお話 其の69


鍋島直正さん
E-mail:
st61288@srv.cc.hit-u.ac.jp
HP:Hitotsubashi-Lacrosse H.P.

維新の嵐に期待!!

どうも、鍋島直正と申します。過去にLAXヒロなどと名乗っておりました。
今回は光栄から発売予定の維新の嵐二についての話なので、肥前藩の名君、鍋島公を名乗ります。
先に幾人かの方が話題に挙げられていらっしゃったが、私も維新の嵐二にはすごい期待をしております。私は日本史の中で明治維新期が一番好きなのですが、今までこの時代を扱ったゲームはこの作品の前作しか知りません(もしあったらお教え下さい)。 さすが光栄といいたくなる着眼です!!。
で、今までこの期待作の情報を集めておるのですが、主人公が土方歳三と坂本竜馬に限られるというのには結構がっかりしました。確かにあの時代の人気者二巨頭かもしれませんが、ゲームの楽しめ方は非常に限られたものになってしまうのではないかと心配です。あの混沌の時代をゲームするにあたって、主人公が二人というのは少し無理があるのではないかと思っています。まあ素人の私が心配するまでもなく、光栄の方でいろいろ考えているであろうとは思いますが・・・、「最低」でも勝海舟、桂小五郎、松平容保ぐらいは選択肢に入れてほしかった。
まあなんにせよ、私が今一番期待しているゲームなので、早く発売してほしいです。
あと、このホームページをみていても分かりますが、やはり日本史では戦国時代がダントツに人気がありますね。幕末時代は非常にさみしい。歴史SLGは題材となるゲームが皆無に等しいので難しいですが、歴史評定の方で幕末旋風を巻き起こそうと画策しております。
皆様幕末時代には興味ございませんか??
それでは失礼いたします。

山中鹿之介幸盛さん
E-mail:
mserika@alles.or.jp

維新の嵐討論会 Vol.1

数日前、「維新の嵐討論会ノススメ」なる物を書き込ませていただきましたが、今回から正式に開催したいと思います。
前作の発売からかなり経ってますし、討論と呼べる物に成長してくれるかは想像もつきませんが、 当然、歴史的意義がどうとかこうとか堅苦しい事を議論するつもりは毛頭ありませんので、幕末についてそれ程詳しくない方でも、是非是非ご参加下さい。

<本日のお題:維新の嵐の魅力>

「 維新の嵐」とは、今から約10年近く前に発売されたゲームで、「太閤」や「大航海」シリーズ等といった現在のリコエイションゲームの元祖とも呼べるべき作品でした。
しかし、PC88版・98版と相次いで発売されて以降、ひっそりとなりをひそめ、これまで続編のうわさも出てきていませんでした。
しかしその割には熱狂的な信奉者も多く、そのような人達の存在によって、今回の続編発売にメーカーも踏み切ったと思われます。
(とりあえず熱狂的なファンが多かったという前提で、話を進めます。)
それでは、なぜ今になっても「維新の嵐」がこれほどユーザーの印象に深く残っているのでしょうか。私は以下にいくつか原因を挙げてみました。

1.人物一人一人を操作して、あちこちで勝手な行動をとれる自由度
2.ユニークな説得・戦闘操作
3.それ以外の要素

まず1について、それまで歴史シミュレーションといえば自分がある勢力のボスとして、組織を強化していくといういわば組織運営ゲームでした。会社経営ゲームに似てますね。
ところが維新の嵐はスタート時に一人の自分の好きな人物を選び、すごろく状のマス目の上で日本全国を自由に移動し、説得・戦闘・豪遊等好き放題できる、非常に斬新なシステムを持ったゲームとして、ユーザーに受け入れられたのではないでしょうか。

次に2つめですが、PC98版の戦闘の操作はアクションで、それも反射神経9割・運1割?のそれまでの光栄とは毛色の違ったものでした。これがある意味ユーザーが単純作業と感じるゲーム内容に刺激を与え、スリルある展開を楽しませるのに一役かっていたと思います。
また、説得はさらにとんでもなく、何とリターンキーを連打するというものでした。パソコンが贅沢品であった当時、キーボードをこれでぶっ壊したという方の話もよく聞かれます。良くも悪くも一度でもこの説得を体験した人は、二度とこのゲームを忘れられないでしょう。

3つめのそれ以外の要素ですが、これは単純にユーザーが幕末マニアだという場合です。当時幕末を扱った物は恐らく無かったでしょうから、唯一その需要に応えたゲームだったのでしょう。(現在でも私が思いつくのは龍の「維新開国」ぐらいです)

以上のようなものが絡み合い、名作(迷作?)としてユーザーの心に残っているのだと思いますが、皆様はいかがお考えでしょうか。
ご意見ご反論等何でも結構ですので、是非書き込んでいただきたいと思います。

山中鹿之介幸盛さん
E-mail:
mserika@alles.or.jp

私と維新

ちゃちゃお殿、早速のご意見かたじけない。
それで、それがしが明治維新に詳しいかという事でござるが、もともとはそんなに詳しかった訳ではござらぬ。
大学で2年の時まで尼子と月山富田城についての研究をしており、月山へ出向いた際には地形図を見せてもらったり、かなり入れ込んでおったのだが、3年のゼミの中世担当の教授が気に食わなかった故、近世へ急遽鞍替えしたという訳でござる。
やはり比較的荒れてる時代の方が性に合っていたと見えて、文明開化の頃よりも幕末期を選び申した。その際の研究が「橋本左内と福井藩校明道館について」という物で、自分で言うのも何だがかなりの力作でござった。
維新の嵐で橋本左内でプレイしようと、色々あがいたのもその影響か・・・。
(なぜ左内に興味を持ったかは記憶にござらぬ。ただ結構興味深い人物であったことは確かでござる)

無論、知識的な事など考えず、純粋にゲームの事を考えて書き込んでくれても一向に構いませぬ。いや、それどころか大歓迎でござる。
他の常連の皆様方も通りすがりの方々も是非ご意見お寄せくだされ。また問題提起もお待ちしておりまするぞ。
(急に昔の人のしゃべり)

FAさん

天翔記PK シナリオ1(27)リプレイ

戦記風のものは、ちゃちゃお殿、風柳斎殿、山中鹿之介幸盛殿にお任せする。
拙者は、面白味はないが、普通に書く事にした。
1534春、ん?
前回は1534夏だったな。
左様、設定を変えたのだ。
全ての大名に鉄砲を与えた。
鉄砲で思い出したが、覇王伝のシナリオ1(1534)の今川は最初から鉄砲を所有していた。
いきなり銃撃され、ぶったまげたものだ。
天翔記では所有していなかった。
設定としては覇王伝の設定が正しいように思う。
拙者の知る限り史実でも今川はかなり早くから鉄砲を集めていたようだ。
弓矢の代わり、さらにはこれからの戦の主力となると考えていたかどうかは疑問だが、武器としては認めていたようだ。
去年の大河「秀吉」に、明智光秀が義元に鉄砲の威力を見せるシーンがあった。
義元は、そのようなものを使った戦は美しゅうない、などと言って興味なさげにあくびをしていた。
ま、これは嘘と言うよりは従来の義元のパターンに従った脚色と言った方がいいかも知れない。
それに比べて、衛星放送での再放送で見た、大河「武田信玄」の義元は良かった。
田楽狭間での滞陣中、物見の兵の報告で場所は忘れてしまったが、かなり近くに織田の兵800が集結しているとの報告を受けるシーンがあった。
「800?ふん!我等は20,000ぞ、800で何ができる。」義元は、せせら笑った。
そして酒宴の席、こぼれた酒を指か扇子で弄んでいた。
と、言うよりは、自分と織田の位置関係を確認していたようだ。
怪訝な表情となり、考える。
突如、口を大きく開け、驚いたような表情。
織田の狙いに気付いたのだ。
その直後、織田の軍勢がなだれ込み、討たれた。
愚将どころか、戦国時代を代表する名将の一人という解釈は実に気に入った。
ゲームに話を戻す。
鉄砲を与えたものの誰も装備していない。
皆、騎馬を買い込み騎馬隊の編制に忙しそうだ。
何故?
確かに鉄砲Eよりは、騎馬Eの突撃の方が威力はある。
しかしそれは攻める際であり、攻められた場合はたとえEであっても鉄砲の方が良かろ?
って、そんなこと言っても無駄か。
全ての大名がお互いに友好度100の同盟を結んでいる。
それにも関わらず調略してくる不届き者がいる。
太原崇孚(今川家家老、190.184.186、騎馬隊)225だ。
1534年秋、平手政秀を狙ってきた。
平手政秀(織田家家老、184.142.180、騎鉄隊)255。
早速、確認。
平手政秀が、内応を受諾したか、否かの確認だ。
まず今川の勢力No.を確認。
00.18。
このNo.と政秀の兵数、訓練度、士気、兵科を検索値とする。
00.18(今川家の勢力No.).FF(兵数).C8(訓練度).64(士気).03(兵科)。
00.18.FF.C8.64.03。
検索。
検索されない。
政秀は拒絶したようだ。
さすがは忠義者。
これは人格の数値も影響しているのだろうか?
さて織田家はどう動くか。
斯波領の清洲が欲しいところだが、私の知る限りではまだ早いようにも思う。
確か織田が斯波領に侵攻するのは信長の代ではなかったか?
となるとまだまだか。
斯波が土岐に、松平が今川に滅ぼされないよう治安維持に務めるとしよう。
松平は驍将清康殿(松平家当主、170.188.180、騎馬隊)250がおられるので心配はないのだが、斯波は・・・
しかし史実に沿った形で進めるというのも疲れるな。

FAさん

天翔記PK シナリオ1(28)リプレイ

1535年春、織田家に柴田勝家(織田家宿老、176.194.166、騎鉄隊)255、武田家に武田晴信(武田家宿老、501.501.501、騎鉄隊)255が仕官してきた。
この時期に登場した主な武将は、陶隆房、六角義賢、松平広忠、蘆名盛氏だ。
信玄公は松平広忠より5つ年上、信玄公と家康公とはさほどに年が離れておったのか。
1535年夏、大内が少弐との同盟を破棄。
同じ頃、同盟中の相良が拙者の担当する大友に調略の手を伸ばしてきた。
調略は当主自ら出向いてきた。
相良義滋(相良家当主、172.172.174、足軽隊)250。
狙いは戸次鑑連(大友家宿老、170.198.188、騎鉄隊)255。
鑑連拒絶。
立花道雪の名は後年のものらしい。
よって戸次鑑連に書き換えた。
太原雪斎の太原崇孚の書き換えも、実際は崇孚であるという文献から崇孚に書き換えた。
これだけでも多少ではあるが、気分的に違う。
1535年秋、またも戸次鑑連狙いの調略。
担当武将は、犬童頼安(相良家家老、172.176.168、足軽隊)225。
鑑連拒絶。
それどころか逆に頼安を引き抜いてしまった。
通常のプレイであれば僥倖(ぎょうこう)。
しかし私のプレイでは許されない。
犬童頼安には、相良への内応の数値を入れ、忠誠度を0とし1535年冬には相良に戻っていただく。
大友義鑑(大友家当主、180.182.170、騎鉄隊)255が、調略に気付いたため相良との友好度が下がる。
望むところだ。
1535年秋、大内家が少弐家の勢福寺城に攻め込んだ。
大内家総勢1,755、少弐家総勢880。
大友の蒲池城も巻き込まれたが、無視。
史実でも少弐は大内に滅ぼされている。
戦では陶隆房(大内家家老、177.184.175、騎馬隊)225が活躍していた。
本丸に乗り込んだのは、吉見正頼(大内家家老、178.168.158、足軽隊)225であった。
1535年冬、犬童頼安、予定通り相良家へ戻る。
同じ頃、尼子経久(尼子家当主、186.188.192、騎馬隊)250が、我が毛利家の志道広良(毛利家宿老、172.146.184、騎鉄隊)255に調略を仕掛けてきた。
やられた!
恐るべし、尼子経久。
志道殿が応じておる。
尼子家の勢力No.30と、内応の数値2がしっかりと刻み込まれておる。
ドラマだけでなく史実でも毛利家の重鎮、元就の参謀である志道殿が・・・
消す。
内応の数値を消し、無かった事とする。
何故かコンピュータ勢力は一定の武将を狙ってくる。
それも仕官年数の多い者を。
志道殿はこれからも狙われるであろうな。
1535年冬、大友家。
伊東家との友好度が低下したため、外交の使者を送る。
拒否。
なに?
何故拒否する、守ってやろうと言うのだぞ。
伊東家の大名データを確認。
大友家は敵対勢力になっておった。
これを隣の友好勢力の位置に書き換えた。
あっさり承諾。
しかしこれは一時的な事、またすぐに敵対されてしまうだろう。
それならそれで構わない。
同盟していなくとも守ることはできる。

FAさん

RE: 改造のお返事ありがとうございます

ん?
本願寺証如のデータがアプリケーションにあるのですか?
拙者が換えたのは全武将共通の数値ですぞ。
そのため本願寺証如に限らず全ての武将の能力値の上限が100になるのです。
アプリケーションとは拙者の場合であれば Nobu6_PUKです。
貴殿の場合でしたら、nobu6?
他の武将は恐らくBFILE.NB6か、TAIKI.NB6に記録されているのだと思います。
この2つのデータに分かれて記録されている可能性もあります。
そうなると改造するのはかなりの手間が掛かりますよ。
これについてはまだ試していません。
武将の名前の変更は、雪斎の場合であれば、雪斎で検索して崇孚に書き換えただけです。
そうですか、風柳斎殿は光栄の設定に不満ですか。
私の場合は不満というよりは単に手応えのある合戦をしたいのです。
私が改造も知らず、まともに天翔記をプレイしていた頃は、殆どが篭城戦でした。
城に引き込み、一斉と鉄砲と暗殺での壊滅。
これが不満だったのです。
野戦での駆け引きがしたい。
改造の動機の一つです。
風柳斎殿がどの様に設定を変えるのか興味があります。
全武将とは言いませんが、主要な武将数人だけでも構いませんので教えていただけませんか?
特に小田家の設定には興味があります。
効率のいい改造法?
う〜ん・・・難しい・・・
20人が限度ですな。
それを超えるといかなる方法であっても面倒だと思います。
私が面倒と感じないのは、個々の武将に興味があるからでしょう。
個々の武将への好奇心ですね。
今回のシナリオ1の設定で気付いたのですが、ゲームでの設定は低いが、実は知勇兼備の名将であった、なんて武将は結構います。
そういう武将の能力値は、ここぞとばかりに上げています。
しかし天翔記は全体に智謀が低いですね。
謀略が効きすぎるゲームなだけに智謀を下げて調節しているのでしょうか?
個々の武将の能力値を書き換えるのであれば、やはり風柳斎殿のように武将のリストを作
成する必要があると思います。
そのリストの作成次第では多少ですが改造が楽になると思います。
できましたら、風柳斎殿のリストの作成方法を教えてください。
私の改造歴ですが、長くはありません。
以前にも書きましたが、バイナリエディタと16進数変換ソフトさえあれば、私程度の改造はすぐにできると思いますよ。

(題名の記述がありませんでしたので、仮にこちらで付けさせて頂きました。管理人)

風柳斎さん
E-mail:
ventulus@po.net-ibaraki.ne.jp

遅ればせながら、韓玄にての統一おめでとうにござる

 改造に入っていたせいか、韓玄殿の祝いと、冥福のお祈りを忘れていました。
 改めておめでとうございます。
 小田家よりも韓玄での統一の方が辛いと思います。暗殺は出来ないし、敵の八十%を寝返らせることもできますまい。
 天翔記は、知謀と戦闘の高い忍者がいれば、結構何とかなるものです。暗殺のしすぎは、気が引けますが。
 ではでは、次なる企画をお待ちいたします。また地獄を見て、拙者らを楽しませてください。
 さらに、小田家での天下統一もがんばってください。拙者は出来ませんでしたので、ちゃちゃお殿が氏治に天下を取らせてください。

FAさん

自意識過剰?

自分の書いたものを客観的に見る事など不可能だと、ある人に言われた。
面白く見えるのも、つまらなく見えるのも全て私の主観だというのだ。
自分で思い込んでいるだけだそうだ。
そしてつまらないものを書いたと悩むのは、図々しいらしい。
つまらないものを書いたと悩むのは、自分が面白いものを書けると思っているからだそうだ。
そして他人もつまらないと思っていると思うのは、自分の思いは万人の思いと思っているからだというのだ。
さらに自分の書いたものを、多くのユーザーが見ていると自信を持っていることにもなるらしい。
多くのユーザーの期待に添えるものが書けなかったと思うからこそ、つまらないものを書いたと悩むのだそうだ。
本当に他人の目を意識していないのであれば悩む事はないらしい。
ズバリ、自意識過剰なのだそうだ。
そうなのか、私は自意識過剰であったのか。
ガクッ

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