FAさん
天翔記PK シナリオ1(32)リプレイ
敵の設定を変えた。
真田勢7人、徳川勢214人、シナリオ6は手応えがあって当然だ。
それに比べてシナリオ1は、一勢力10人にもみたない勢力が殆ど。
同時に登場できる武将数は最大514人(?)。
設定した大名家は73家。
当然だわな。
こうなれば敵を少数精鋭に替えていくしかない。
今さら戻って替えるのは面倒だ。
ゲームを進行しながら少しづつ替えていく。
しかし取り合えず敵を強くするのは、避けていた騎馬の無料配布であろう。
敵が攻撃的になり、鬱陶しいが・・・・・・やむえんな。
これより書く、というよりはすでに書いてしまった『1537年春』は設定前のものだ。
1537年春
本願寺と朝倉の友好度がほとんど下がっていない。
それもそのはず、本願寺家、朝倉、浅井、足利、の相性値は8。
ついでに書けば、武田信玄の相性値9。
この相性値が何を意味するのかあえて書くまでもない。
朝倉は、本願寺と浅井の同盟のため後顧の憂いが全くない。
朝倉のこれ以上の勢力伸張を阻むため、朝倉との同盟を破棄。
同盟破棄だけでは、朝倉を本願寺側に引きつける事はできないと思う。
そこで朝倉領、北ノ庄城を強奪することにした。
下間頼照に、一向門徒(新武将?)2部隊、510をつけて出陣させる。
<本願寺>
下間頼照(168.180.170、騎鉄隊)255
一向門徒(150.190.150S砲隊)255
一向門徒(150.190.150S砲隊)255
総勢765
<朝倉>
朝倉孝景(朝倉家当主、184.184.178、騎馬隊)255
堀江景忠(朝倉家宿老、162.170.164、足軽隊)255
総勢510
一向門徒は少し強すぎるか?
そういえば敵の兵数の上限は、MAXの255に替えた。
大名及び宿老255、家老230、部将210、侍大将195、足軽頭185となった。
これは、きつすぎるやもしれんな。
ま、ものは試しだ。
いや、きついかな?
むう・・・・・・・・・どうするか・・・・・・・・・やってみるか。
朝倉孝景隊、北ノ庄城に退却。
知将はすぐに退く。
堀江景忠隊、一乗谷城付近に陣を構える。
一向門徒2部隊、北ノ庄城に突入。
下間頼照隊、堀江景忠隊をおっぱらうための威嚇射撃。
堀江景忠隊、下間頼照隊を攻撃。
下間頼照隊、やむえず騎突により応戦。
堀江景忠隊192、混乱。
本願寺勢の目的はあくまでも北ノ庄城の強奪であり、朝倉勢の撃滅ではない。
よって下間頼照隊207、混乱中の堀江景忠隊をそのままに府中城近辺へ移動。
堀江景忠隊、混乱より回復、一乗谷城へ。
下間頼照隊、堀江景忠隊との距離を置くため移動。
堀江景忠隊、一乗谷城へ退却。
下間頼照隊、北ノ庄城へ急行。
朝倉孝景隊、下間頼照隊の本丸到着と同時に一向門徒の一斉射撃のため全滅。
下間頼照隊、本丸へ。
北ノ庄城、陥落。
朝倉孝景、一乗谷城へ逃亡。
下間頼照隊及び一向門徒、北ノ庄城へ入城。
城の下がった数値をMAXに。
兵の補充。
本願寺の勢力No.2B、軍団No.3B。
2B.00.3B.00にて検索。
2B.00.3B.00.10が検索された。
最後の10は、北ノ庄城の城No.だ。
これを加えた、2B.00.3B.00.10でさらに検索。
これで、北ノ庄城にいる武将が次々と検索される。
検索される度に、兵数をMAXのFFに書き換える。
常時、臨戦態勢の治安維持勢力の兵数は常にMAX。
書き換えた後、下間頼照隊及び一向門徒2隊は大聖寺に帰還させた。
北ノ庄城は、朝倉勢を引き寄せる囮のようなものだ、奪還されることを望んでいる。
朝倉勢が、いつまでも攻め込むのに躊躇するようであれば、例の方法で強制的に返す。
本願寺は浅井との同盟も破棄した。
土岐領への侵攻を狙う浅井を牽制するためだ。
土岐は全軍あげての戦闘で、小笠原勢に大敗を喫した。
土岐は完全に壊滅状態。
残りの兵数はわずかに45。
これでは浅井勢の侵攻を阻むことはできない。
そこで土岐には500の兵を与えることにした。
となるともう一方の小笠原にも兵500を、与えねばならない。
確かに土岐を撃退したが、長井規秀をはじめとした精強な土岐軍との戦いは、小笠原をも壊滅状態に追い込んでいた。
今後、土岐には斎藤義龍、明智光秀等の名将が仕官してくる。
小笠原では到底、土岐軍を阻むことはできない。
小笠原と武田の同盟を破棄した。
史実とは違うが、早めに小笠原領を頂くことにする。
北畠、斯波、同盟破棄。
毛利家、米収支赤字1,787。
毛利隆元、市川経好、福原貞俊の仕官の結果らしい。
ここで石高を5,000から、9,999に書き換えれば賄えるのだが。
この時は何故かそれに思い当たらなかった。
その時考えたのは、領土を拡張せねば、である。
領土拡張。
さて、どこを強奪するかな。
・・・・・・・・・(思案中)
佐東銀山に決定。
しかし佐東銀山は大内領。
史実とは違うが早々と大内との同盟解除。
佐東銀山への進攻、いや侵攻、どっちだ?
<大内>
内藤興盛(大内家宿老、160.170.160、足軽隊)255 佐東銀山城主
相良武任(大内家家老、182.140.174、足軽隊)225
陶 隆房(大内家家老、178.184.176、足軽隊)225
総勢705。
家老の兵数は、230に設定しているのだが、大内は設定前に編制していたらしい。
<尼子>
尼子晴久(尼子家宿老、166.176.162、騎馬隊)255
大内への合力を表明。
大内、尼子連合軍、総勢960。
<小早川>
小早川正平(小早川家当主、156.164.122、足軽隊)255
不戦。
<毛利>
毛利元就(毛利家当主、200.194.200、騎鉄隊)255
毛利隆元(毛利家宿老、182.182.184、騎鉄隊)255
志道広良(毛利家宿老、172.146.184、騎鉄隊)255
児玉就忠(毛利家家老、170.150.170、騎鉄隊)255
桂 元澄(毛利家家老、158.166.158、騎鉄隊)255
総勢1,275。
隆元の初陣の付き添いは、児玉就忠と桂 元澄に決定。
出陣!
内藤興盛隊、いきなり退却。
おい、おい、何なんだよ。
残りは、相良武任隊225、陶 隆房隊225、尼子晴久隊255の3部隊のみ。
尼子晴久隊は、毛利軍の射程距離に陣を構えている。
早く失せろ、と威嚇射撃。
尼子晴久、退却。
毛利勢、絶対の優勢を誇り、佐東銀山へと軍を進める。
相良武任、陶 隆房は、それぞれの居城の周囲に陣を置き、待機。
毛利隆元、児玉就忠隊、桂 元澄隊を従え佐東銀山城へ突入。
毛利元就と参謀志道広良は、陶、相良の両軍に備えるため、佐東銀山城を挟み込むように布陣。
陶、相良、動かず。
佐東銀山城内。
内藤興盛隊、児玉就忠率いる騎鉄隊255の一斉射撃により全滅。
毛利隆元隊、本丸へ。
佐東銀山城、毛利隆元隊により落城。
内藤興盛、逃亡。
攻略部隊城外へ。
相良武任、退却。
陶 隆房、動かず。
強制的に退却させるため、威嚇のための進軍。
陶 隆房、動ぜず。
尼子晴久同様、威嚇射撃にておっぱらうため、射程距離まで進軍。
陶 隆房、毛利隆元隊に向け突進、攻撃。
毛利軍4部隊の一斉射撃、隆元は、剛強な陶隆房の攻撃により下がった士気を上げるため、鼓舞。
陶 隆房、武力の一番低い志道広良隊を攻撃。
一斉射撃、まだ、いる。
陶 隆房、志道隊を続いて攻撃。
一斉射撃、まだ、いる。
さすがは、大内第一の剛の者とうたわれた陶隆房殿!
一斉射撃。
すでに陶軍の兵数27、まだ、いる。
児玉就忠、「いい加減に、しなさい!」と怒りの銃撃。
陶 隆房隊、全滅。
志道広良殿、陶隆房隊の執拗な攻撃により下がった士気を上げるための鼓舞。
志道広良、「勇あるといえども、それは一騎の用、一軍の大将の器にあらず。」と一言。
毛利軍、佐東銀山城に入城、領内の治安をしずめ、兵を補充した。
郡山より、熊谷信直(毛利家家老、152.180.156、騎鉄隊)255、
市川経好(毛利家家老、174.158.166、騎鉄隊)255、
吉川経安(毛利家家老、156.168.160、騎鉄隊)255、を呼び寄せ、佐東銀山城の守備を命じた。
毛利元就、毛利隆元、志道広良、児玉就忠、桂 元澄は、郡山に凱旋。
米収支黒字713。
今川、北条、同盟破棄。
秋月、大内、同盟破棄。
相良、有馬、同盟破棄。
浦上、赤松、同盟破棄。
島津勝久(本家)、相良、同盟破棄。
細川晴元、浦上、友好。
大友、牽制のため、大内、相良、両家との同盟破棄。
武田、同じく牽制のため、今川、北条、との同盟破棄。
1537年夏
尼子誠久、宇山久兼、尼子へ戻る。
稲葉一鉄、遠山景任、土岐へ戻る。
宗 晴康、冷泉隆豊、大内へ戻る。
本願寺の特権、一向一揆、金ヶ崎へ仕掛ける。
失敗。
塚原卜伝、伊達稙宗を訪ねる。
塚原卜伝「陶隆房と大内義隆は、うまが合わぬそうじゃ。」
伊達稙宗「さよか。」