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其の73

其の75




歴史game のお話 其の74


風柳斎さん
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明智リプレイ第二回

 狙うは西進。背中を元親殿に預けるのだ。
 標的は、堺。大商業都市である。大砲と鉄甲船が手に入る都市じゃ。
 又兵衛、輝政、早速出陣じゃ。既に布石は打ってある。
「は! しからば、拙者に先陣をお任せあれ」
 よし、又兵衛頼むぞ。
 む ……? 敵が少ないな。高山重友はどうした?
「高山ならば、城に籠もっておりますが ……?」
  ……そうか。まあよかろう、幸い三太夫殿が援軍に駆けつけてくれている。手伝ってもらうとしよう。(おのれ、重友。表にでて、内応するはずでは ……)
 我が軍にも幾ばくかの損害がでたが、三太夫殿の奮戦により、無事堺は我が手に落ちた。
 仕官を断った高山重友は斬首。裏切り者には死を ……?  ……むぅ。
 香宗我部殿が ……うむ、よいことじゃ。お通ししろ。
 長宗我部との同盟もなり、ひとまず安心じゃな。問題は、南の鈴木か ……。
 なに! 柴田勝家が倒れた ……? 宇喜多秀家が継いだだと ……どうなっておるのだ ……?
 あれこれと思案を巡らせながら、正月を迎えた。
「このもの達でございます」
  ……駆けつけた者が大勢いると聞いたので、一堂に集めさせたが、確かにこれは ……。
 九名もの武将が配下になりおった。豊臣秀次・木下勝俊・氏家行広・青木一矩・多賀秀種・山口正弘・石川貞道・片桐貞隆・中川秀成。
 (風柳斎・どういう縁があるのでしょう。なぜにいきなり配下になったりしたのか分かりません)
 ふむ ……開始一年半ほどじゃが、既に我が軍は七万を数えた。この上は、まず鈴木を討ち滅ぼし、羽柴との決戦に備えるとしようぞ。

風柳斎さん
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明智リプレイ第三回

「いよいよ、三太夫を討つときが来ましたな。されども、あやつは全国でも有数の武将。どうやって戦うおつもりで?」
 輝政、この戦、消耗は激しいが負けぬ。こちらは七万。敵は三万じゃ。
「されど、奴の子重秀も相当の使い手とか ……」
 案ずることはない。鈴木の領土は、とうてい豊かとは言えぬ。雇うことが出来る兵はもうわずか。金も兵糧もない故、物資の補充もままならぬ。
 短期決戦に持ち込む必要はない。儂を初め、戦慣れした者のみで戦を仕掛け、こちらの損害を減らす。こちらはまだまだ、補充の余地がある故、圧倒的に有利なのじゃ。
「さすが殿。されば、後方の憂いは取り除かれるわけでございますな」
 そうじゃ。そして、その後にはあの猿との決戦が待っている。猿にさえ勝てば、天下は取ったも同然。
 では、後は任せたぞ。
 いざ出陣じゃ。洲本の又兵衛にも出撃を命じよ。
 鈴木三太夫は岸和田城に籠もり、重秀は、雑賀城に籠城した。
 我が軍は、儂が二万五千を率い、又兵衛が海を渡って一万の兵で駆けつける予定じゃ。
 馬をせかし、早速岸和田に攻め入った。ぼろい城門を容易く打ち壊す。
 すぐさま本丸にたどり着いたが、三太夫への攻撃は数回で控えた。やはり、ただ者ではない。幸い、あやつは足軽隊である故、戦いやすいと言える。
 一万二千の鉄砲を率いる、重秀との戦は、大損害を覚悟せねばならぬかもしれんな。
 大急ぎで駆けつけた、又兵衛との共同で、城攻めを始めた。
「殿、さすが三太夫でござる。噂に違わぬ強さでござる」
 だが、もうじき終わりじゃ。この城取ったならば、一度引き上げるぞ。
「鉄砲隊を、どう料理するかを思案なされますのですな」
 そうじゃ。
 さて、三太夫には逃げられてしまったな。まぁよい。それよりも、いかにして雑賀鉄砲衆に勝つかじゃ。
「皆足軽で攻め込み、一斉攻撃で戦うのが上策かと」
 うむ。よい案じゃな。他にはないか。
「 ……拙者が出来ることといえば、先頭切って戦うことぐらい故、策ならば村井殿にでもお聞きになられた方が ……」
 そうは言えど、村井は今遠方。よかろう、兵を連れてこさせ次第、重秀に挑むぞ。

風柳斎さん
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明智リプレイ第四回

  ……だめじゃ ……。一万六千の鉄砲隊を率いた重秀には手が出せぬ。
「一撃で千以上の兵を失いましたからな」
 奴が攻め込んできたときに、返り討ちにするとしよう。
 しかし、重秀が後ろにいるのは、恐ろしいな。 ……住民流失を連発して、兵を増やせないようにしてしまおう。
「羽柴はどうします?」
 まだしばらく後じゃな。我が軍は、まず軍備を整えねばならぬ。さて、どこを拠点にいたしたものか。
「ひとまずは、強固な石山城で、羽柴を牽制いたしては?」
 それがよいな。猿め、収入が足りなくて、家臣の信用を失いおった。今の内に、決戦を仕掛けるのもいいな。
 くくく、猿め ……とうとう経済不振もきわまったようじゃ。内応していた、細川忠興と母里太兵衛が参った。家臣への俸禄も払えぬとは ……。
 宇喜多と羽柴が争った。
「好機でござる」
 我が娘婿、忠興が目を光らせた。
 その通りじゃ。
 我が軍は三木城に向かった。宇喜多が敵方についたようじゃ。ふ、都合がいい。
 早速、予定通りに宇喜多を裏切り稲葉一徹が味方についた。名将が兵一万三千と共に ……ふふふふ。
 圧勝じゃ。このまま勢いに乗って、猿の首を取りに行くぞ!
 高田城にて、猿の軍勢をうち破ったが逃げられてしもうた。だが、逃げた猿は今度は宇喜多に攻められたようじゃ。あげく、四国へまで落ち延びた様子。
 我が軍十一万。猿めは六万。もはや猿に未来はない。
 武田との同盟もあり、我が明智家は天下を目前にいたした。もはや、我が前に敵はおらぬ。
 まずは、宇喜多を滅ぼし、次は毛利じゃ。鈴木などなんとでもなろう。
 さぁ、祝いの酒じゃ。酒をもてぇい。

風柳斎さん
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ventulus@po.net-ibaraki.ne.jp

明智リプレイ反省

 申し訳ありませんでした。
 最初の印象と違って、ずいぶん簡単に進みました。これでは、読んでる方々はあまり楽しめないと思います。よって、これにてリプレイ第二弾は打ち切りとさせていただきます。
 勝手に始めて、勝手に終わらせることをお許しくだされ。
 おそらく第一の原因は、もてる兵士数を変えたことによるものと思われまする。一人の武将で兵を百雇えるとなると、どうしても兵士の増加が速くなりすぎるようです。次回またやるときがあれば、デフォルトに戻したいと思います。
 ずいぶん文章がおざなりになりました。最初の状態以外は、あまり緊張感がありませんでした。ほとんどなんのトラブルもなく事が運びましたから。
 結局、だいたい三年半しかやってません。たった三年半で、秀吉を壊滅状態までもっていけるというのは、予定外でした。内応恐るべしですね。
 今回も、ほとんど内応だけで勝ったようなものですし。
 さて、このあたりで終わりにいたしましょう。ちゃちゃお殿、がんばってくだされ。奇しくもほぼ同時期に始めたリプレイ第二弾ですが、この通り拙者は終わってしまったので、呂布リプレイを楽しみにいたします。あまり、天下を取ってほしくないような人ですが ……って、それは前も同じですな。
 あと、いずれまたリプレイを書こうと思っているのですが、何か要望とかありませんか? この大名でやってみてくれとか、こういうルールでやってみろとか。おもしろそうな案がありましたら、このページに書き込んでくだされ。

ちゃちゃおさん
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chacha16@mug.biglobe.ne.jp

RE 維新の嵐討論会 ~説得システムについて~

 維新の嵐98版の説得は、私も大好き(?)でした。『ゲームの敗北か』『キーボードをぶっ壊すか』というとんでもない2者択一を迫られるゲームでしたが、破壊してしまったキーボードと共に、今でも想い出として深く心に焼き付いています。
 当時は「なんとかならないのかなあ、このルール」などと思っていたのですが、今となっては楽しい想い出です。今でもBGM・効果音を口ずさむ事ができるほど、印象深いシステムでした。

 連打システムと共に、ジャンケンのように強弱が決まっている5つの説得態度もまた、へんちくりんなルールで「一体どういう根拠があって説得態度のルールなど入れたんだ」と思っていましたが、これまたばかばかしさに華を添えていました。

 手強い人物相手には数人がかりで話しかけ疲れさせて説得したり(なんだかオウムのマインドコントロールみたい)、相手が突然怒りだして斬りかかってきたり(一方的に説得をくらうか・さもなくば戦闘シーンになる)と、とんでもないルールややり方のオンパレードでしたね。

 坂本龍馬より説得力のある農民が町中をうろついていて龍馬に説得をかけてくるなんてこともありましたね(農民に洗脳されてゲームオーバーになった事もありました)。

 88版の説得ルールに関しましては山中さんの記事を読んで初めて理解できましたが(長年の謎でした:ありがとうございました)、なるほど説得を表現する上ではいいルールですね。
 でも、雑談(たしか酒・女・金などの話題があり、それぞれの登場人物ごとに好き嫌いが決められているはずでしたよね)をしてなごみ、説得をするという繰り返しだとルーチンワークになってしまいがちな気もします。
 常識的なルールとしては88版の方が明らかに優れていると思いますが、印象に残るという点では98版の方が圧倒的に上だなあと思います。

 2にも説得ルールはあるはずですが、どういうシステムになるのかなあと今から期待しています。まさかいくらなんでも連打システムはないと思いますが、今度もゲームの要となるルールのはずですから、いい物を作ってほしいです。

 P.S. 維新の嵐の主人公の坂本龍馬と土方歳三という選択はどこで決まったのでしょう?坂本龍馬は当然だと思いますが、多くの人物をおさえて土方になったわけが・・・。西郷隆盛・勝海舟・吉田松陰・高杉晋作など他にも人気のある人物はいくらでもいると思うのですが。
 明治維新についてはほとんど知らないのですが、土方歳三というのはそれほどまでに人気のある人物なのでしょうか?

 人物が2人に絞られているということは、大航海時代・太閤立志伝のようにイベントとかが多めのゲームなんだろうなと推測はつきますが、2人でクリアーした後にはどの人物でもプレイできるようになっていればなあと思います(イベントはなくても構いませんから)。

 P.S.2 なぜ維新の嵐2かという理由の一つに来年の大河ドラマもあるようです。秀吉(太閤立志伝Ⅱ)・元就(三矢の誓い)と連続して出してきましたが、来年の大河ドラマは徳川慶喜。偶然の一致ではないと思います。

ちゃちゃおさん
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chacha16@mug.biglobe.ne.jp

ご意見ありがとうございます>oopsさん

 韓玄で統一を!についてのご意見ありがとうございました。ご意見をいただけるほど読んでいただいて、幸せです。

 曹操を殺したのが残念とのことですが、確かに曹操が死んで気が抜けてしまったところはありました。しかし、あそこで曹操を生かしておいたら滅亡したような気も・・・なにせ韓玄と曹操では器が違いすぎますので。
武将を殺す件に関してですが、武将の殺害は捕らえるたびにするのではなく、ごくまれにやっていました(超有名武将のみが殺害対象で捕まえた回数あたりの殺害回数は4~5回に1回ぐらいだったと思います)。
 ただ、最後の蜀に残った残党の制圧の際には降伏しない者は全て殺していましたが。

 武将を殺すとゲームがつまらなくなるというのは同感です。個人的な意見ですが、配下の優秀な武将も可愛いですが、敵方の優秀な武将はもっと可愛い(?)と思います。「むむう、張遼め、またもいやがらせに来おったか。成敗してやるぞ!」とか「仲達よ、まだ懲りずにわしと陣比べをする気か」といった具合です。
 私は、戦闘シーンになるとまず相手の有力武将をチェックするクセがありますので(気分の盛り上がりが違います)、敵方に有力武将がいないと張り合いがわきません。

 ①武将への思い入れ②国の攻防③攻防の歴史への感慨④戦略を立てるといった件に関しましては同感です。
 光栄ゲームは①②④に関しましてはかなりいい線行っていると思うのですが、③の国の攻防の歴史という点に関してはまだまだかな?と思います。
 将星録PKでようやく戦績記録がついたようですが、解き終えた後に、統一までの(もしくは滅亡までの)歴史を振り返る楽しさに関しましてはまだまだだなと思います。

P.S. 戦績記録システムがもっと洗練されたら、専用のホームページを作って、お互いの戦績を公開しあうなどというのも面白いでしょうね(たしかFAさんが以前同じ事をおっしゃっていたと思います)。

P.S. 光栄のバリューパックについて
 9月19日に天翔記withPKと将星録withPKのバリューパックが希望小売価格16800円で発売されるそうです(ホームページに出てます)。私はそれを買おうと思っております。

FAさん

天翔記PK シナリオ1(32)リプレイ

敵の設定を変えた。
真田勢7人、徳川勢214人、シナリオ6は手応えがあって当然だ。
それに比べてシナリオ1は、一勢力10人にもみたない勢力が殆ど。
同時に登場できる武将数は最大514人(?)。
設定した大名家は73家。
当然だわな。
こうなれば敵を少数精鋭に替えていくしかない。
今さら戻って替えるのは面倒だ。
ゲームを進行しながら少しづつ替えていく。
しかし取り合えず敵を強くするのは、避けていた騎馬の無料配布であろう。
敵が攻撃的になり、鬱陶しいが・・・・・・やむえんな。
これより書く、というよりはすでに書いてしまった『1537年春』は設定前のものだ。

1537年春
本願寺と朝倉の友好度がほとんど下がっていない。
それもそのはず、本願寺家、朝倉、浅井、足利、の相性値は8。
ついでに書けば、武田信玄の相性値9。
この相性値が何を意味するのかあえて書くまでもない。
朝倉は、本願寺と浅井の同盟のため後顧の憂いが全くない。
朝倉のこれ以上の勢力伸張を阻むため、朝倉との同盟を破棄。
同盟破棄だけでは、朝倉を本願寺側に引きつける事はできないと思う。
そこで朝倉領、北ノ庄城を強奪することにした。
下間頼照に、一向門徒(新武将?)2部隊、510をつけて出陣させる。

<本願寺>
下間頼照(168.180.170、騎鉄隊)255
一向門徒(150.190.150S砲隊)255
一向門徒(150.190.150S砲隊)255
総勢765

<朝倉>
朝倉孝景(朝倉家当主、184.184.178、騎馬隊)255
堀江景忠(朝倉家宿老、162.170.164、足軽隊)255
総勢510

一向門徒は少し強すぎるか?
そういえば敵の兵数の上限は、MAXの255に替えた。
大名及び宿老255、家老230、部将210、侍大将195、足軽頭185となった。
これは、きつすぎるやもしれんな。
ま、ものは試しだ。
いや、きついかな?
むう・・・・・・・・・どうするか・・・・・・・・・やってみるか。

朝倉孝景隊、北ノ庄城に退却。
知将はすぐに退く。
堀江景忠隊、一乗谷城付近に陣を構える。
一向門徒2部隊、北ノ庄城に突入。
下間頼照隊、堀江景忠隊をおっぱらうための威嚇射撃。
堀江景忠隊、下間頼照隊を攻撃。
下間頼照隊、やむえず騎突により応戦。
堀江景忠隊192、混乱。
本願寺勢の目的はあくまでも北ノ庄城の強奪であり、朝倉勢の撃滅ではない。
よって下間頼照隊207、混乱中の堀江景忠隊をそのままに府中城近辺へ移動。
堀江景忠隊、混乱より回復、一乗谷城へ。
下間頼照隊、堀江景忠隊との距離を置くため移動。
堀江景忠隊、一乗谷城へ退却。
下間頼照隊、北ノ庄城へ急行。
朝倉孝景隊、下間頼照隊の本丸到着と同時に一向門徒の一斉射撃のため全滅。
下間頼照隊、本丸へ。
北ノ庄城、陥落。
朝倉孝景、一乗谷城へ逃亡。
下間頼照隊及び一向門徒、北ノ庄城へ入城。

城の下がった数値をMAXに。
兵の補充。
本願寺の勢力No.2B、軍団No.3B。
2B.00.3B.00にて検索。
2B.00.3B.00.10が検索された。
最後の10は、北ノ庄城の城No.だ。
これを加えた、2B.00.3B.00.10でさらに検索。
これで、北ノ庄城にいる武将が次々と検索される。
検索される度に、兵数をMAXのFFに書き換える。
常時、臨戦態勢の治安維持勢力の兵数は常にMAX。
書き換えた後、下間頼照隊及び一向門徒2隊は大聖寺に帰還させた。
北ノ庄城は、朝倉勢を引き寄せる囮のようなものだ、奪還されることを望んでいる。
朝倉勢が、いつまでも攻め込むのに躊躇するようであれば、例の方法で強制的に返す。

本願寺は浅井との同盟も破棄した。
土岐領への侵攻を狙う浅井を牽制するためだ。
土岐は全軍あげての戦闘で、小笠原勢に大敗を喫した。
土岐は完全に壊滅状態。
残りの兵数はわずかに45。
これでは浅井勢の侵攻を阻むことはできない。
そこで土岐には500の兵を与えることにした。
となるともう一方の小笠原にも兵500を、与えねばならない。
確かに土岐を撃退したが、長井規秀をはじめとした精強な土岐軍との戦いは、小笠原をも壊滅状態に追い込んでいた。
今後、土岐には斎藤義龍、明智光秀等の名将が仕官してくる。
小笠原では到底、土岐軍を阻むことはできない。
小笠原と武田の同盟を破棄した。
史実とは違うが、早めに小笠原領を頂くことにする。

北畠、斯波、同盟破棄。

毛利家、米収支赤字1,787。
毛利隆元、市川経好、福原貞俊の仕官の結果らしい。
ここで石高を5,000から、9,999に書き換えれば賄えるのだが。
この時は何故かそれに思い当たらなかった。
その時考えたのは、領土を拡張せねば、である。
領土拡張。
さて、どこを強奪するかな。
・・・・・・・・・(思案中)
佐東銀山に決定。
しかし佐東銀山は大内領。
史実とは違うが早々と大内との同盟解除。
佐東銀山への進攻、いや侵攻、どっちだ?

<大内>
内藤興盛(大内家宿老、160.170.160、足軽隊)255 佐東銀山城主
相良武任(大内家家老、182.140.174、足軽隊)225
陶 隆房(大内家家老、178.184.176、足軽隊)225
総勢705。
家老の兵数は、230に設定しているのだが、大内は設定前に編制していたらしい。

<尼子>
尼子晴久(尼子家宿老、166.176.162、騎馬隊)255
大内への合力を表明。
大内、尼子連合軍、総勢960。

<小早川>
小早川正平(小早川家当主、156.164.122、足軽隊)255
不戦。

<毛利>
毛利元就(毛利家当主、200.194.200、騎鉄隊)255
毛利隆元(毛利家宿老、182.182.184、騎鉄隊)255
志道広良(毛利家宿老、172.146.184、騎鉄隊)255
児玉就忠(毛利家家老、170.150.170、騎鉄隊)255
桂 元澄(毛利家家老、158.166.158、騎鉄隊)255
総勢1,275。
隆元の初陣の付き添いは、児玉就忠と桂 元澄に決定。

出陣!

内藤興盛隊、いきなり退却。
おい、おい、何なんだよ。
残りは、相良武任隊225、陶 隆房隊225、尼子晴久隊255の3部隊のみ。
尼子晴久隊は、毛利軍の射程距離に陣を構えている。
早く失せろ、と威嚇射撃。
尼子晴久、退却。
毛利勢、絶対の優勢を誇り、佐東銀山へと軍を進める。
相良武任、陶 隆房は、それぞれの居城の周囲に陣を置き、待機。
毛利隆元、児玉就忠隊、桂 元澄隊を従え佐東銀山城へ突入。
毛利元就と参謀志道広良は、陶、相良の両軍に備えるため、佐東銀山城を挟み込むように布陣。
陶、相良、動かず。
佐東銀山城内。
内藤興盛隊、児玉就忠率いる騎鉄隊255の一斉射撃により全滅。
毛利隆元隊、本丸へ。
佐東銀山城、毛利隆元隊により落城。
内藤興盛、逃亡。
攻略部隊城外へ。
相良武任、退却。
陶 隆房、動かず。
強制的に退却させるため、威嚇のための進軍。
陶 隆房、動ぜず。
尼子晴久同様、威嚇射撃にておっぱらうため、射程距離まで進軍。
陶 隆房、毛利隆元隊に向け突進、攻撃。
毛利軍4部隊の一斉射撃、隆元は、剛強な陶隆房の攻撃により下がった士気を上げるため、鼓舞。
陶 隆房、武力の一番低い志道広良隊を攻撃。
一斉射撃、まだ、いる。
陶 隆房、志道隊を続いて攻撃。
一斉射撃、まだ、いる。
さすがは、大内第一の剛の者とうたわれた陶隆房殿!
一斉射撃。
すでに陶軍の兵数27、まだ、いる。
児玉就忠、「いい加減に、しなさい!」と怒りの銃撃。
陶 隆房隊、全滅。
志道広良殿、陶隆房隊の執拗な攻撃により下がった士気を上げるための鼓舞。
志道広良、「勇あるといえども、それは一騎の用、一軍の大将の器にあらず。」と一言。
毛利軍、佐東銀山城に入城、領内の治安をしずめ、兵を補充した。
郡山より、熊谷信直(毛利家家老、152.180.156、騎鉄隊)255、
市川経好(毛利家家老、174.158.166、騎鉄隊)255、
吉川経安(毛利家家老、156.168.160、騎鉄隊)255、を呼び寄せ、佐東銀山城の守備を命じた。
毛利元就、毛利隆元、志道広良、児玉就忠、桂 元澄は、郡山に凱旋。
米収支黒字713。

今川、北条、同盟破棄。
秋月、大内、同盟破棄。
相良、有馬、同盟破棄。
浦上、赤松、同盟破棄。
島津勝久(本家)、相良、同盟破棄。
細川晴元、浦上、友好。

大友、牽制のため、大内、相良、両家との同盟破棄。
武田、同じく牽制のため、今川、北条、との同盟破棄。

1537年夏
尼子誠久、宇山久兼、尼子へ戻る。
稲葉一鉄、遠山景任、土岐へ戻る。
宗 晴康、冷泉隆豊、大内へ戻る。

本願寺の特権、一向一揆、金ヶ崎へ仕掛ける。
失敗。

塚原卜伝、伊達稙宗を訪ねる。
塚原卜伝「陶隆房と大内義隆は、うまが合わぬそうじゃ。」
伊達稙宗「さよか。」

高山右近さん
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kenh@mars.dtinet.or.jp

モバイル信長

かれこれ7年来のMacユーザーでしたが、この度、晴れてリブラーとなり、 ウインドウズ軍団の仲間入りしました、高山です。 で、そいつで、やっとこさ、今「信長の野望」をちゃっちゃかやっております。 画面が小さく、ちょっと目が疲れるけど、ベッドの上でごろごろしながら遊べるので 長丁場の戦にはなかなか快適です。 そのうち、車にでものっけて、「モバイル信長」してみようかな。いっそ、姫路城にでも 登って、天守閣でやってみようかな。それから光秀征伐は天王山で、、と夢はふくらむ 高山です。(そんなやつはいないか、、)

其の73

其の75