風柳斎さん
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松平リプレイ2.2・1535年
春。
広忠成人。政治要員としてがんばってもらおう。
清康自身で武田家に使者に向かった。持参金は50。目的は、北条に対しての共同戦線。別に、北条と敵対したいわけではないのです。ねらいは、格安確実な友好度上昇。
相手が敵対視している国に対しての共同戦線は、相当はりやすくなっていると思います。以前の小田リプレイの時に、発見したやり方です。
問題なく成功。友好度が上昇。そのうち、同盟を結んでくれると思います。
武田も北条も三万。では何故、武田と結ぶのか。理由は簡単。勝てるはずがないからです。
兵隊では同じでも、北条の武将はまだまだ成長していません。それに対し、武田の武将は既に化け物です。今現時点では清康の95という戦闘力は相当高いほうにはいるはずです。
にもかかわらず、武田家には80代が五人。90代が二人います。当主信虎は、99というもうすぐ人間やめてしまうほどの戦闘力です。
ですから、武田家とは戦えないのです。早く元康が登場し、成長しきってくれないと、いつまでたっても武田とは ……。
夏。
清康を岡崎城に移した。捨てるつもりであったが、しかし、やっぱりちょっともったいないかな、と。
戦力を分散するのは下策ですが、幸い北条は大石家にたいして矛を向けています。大石とは、扇谷上杉家の跡継ぎです。
故に、東は少しくらいあけても大丈夫だろうと思うわけです。それに、兵がいなければ攻めてくるかも知れませんが、清康がいれば躊躇するという期待もあります。
武田家への使者は、勘助に任せることにしました。相性もいいはずですし、知謀の上昇が期待できますので。
秋。
23歳の今川氏輝が死去し、義元が後継者になりました。当家としては、敵が一人経るわけですから、歓迎すべき事です。
まずは民の心をつかむため、施しからはじめました。広忠、菅沼、阿部、松井の四名で、駿府をよりよい国にしていく予定です。
あと、どうやら以前確認した収入は、一時的のもののようでした。今は金の収入が1600あります。あれは、戦争による影響で下がっていたのでしょう。
冬。
織田家が、斯波家を滅ぼした。これで、安心と思ったのは甘かったようです。
すぐさま、岡崎城に来襲。今川の兵四千も加勢してます。
一万対二万。倍の兵がいますが、やってやれないこともないはずです。確かに、相当不利ですが ……。
戦闘力的に考えると、織田信秀97,山口75,柴田勝家83と相当なものです。今川の援軍は51とまあまあ。
清康は96ですから、城で守れば不可能でもありません。国力的に上の今ならば、消耗戦に耐えられるはずですので、城内で迎え撃つことにします。
城に入り、焼き討ちで敵の消耗を狙うも、混乱に乗じられ、落城。清康は、曳馬城に撤退。
織田が大勢力を築いたかに見えたが、本願寺に清洲と名古野の二城を奪われ、残る兵士は五千ほど。これならば、織田を滅ぼすことが可能です。
と言うわけで、全軍を曳馬城に集め、訓練の後出陣。今川勢もまた敵方につきましたが、部隊を差し向けて脅したら引きこもりました。柴田部隊は、清康の突撃で撃破。
残る信秀は籠城。長坂は吉田城に向かわせ、清康と勘助で逃げた信秀を追って岡崎城へ。
空城である吉田城は、容易く陥落。すぐさま、長坂を鳴海へ向かわせる。岡崎は、二部隊で十分である。
岡崎では、まず山口教継千人を撃破。信秀には苦戦を強いられた。あまりに簡単に勘助に火がつくことを不満に思いながらも、安全策で逃げつつの反撃。
やっとの思いで、信秀を退却に追い込んだ。勘助の兵は四百しか残っていなかったので、そのまま岡崎に退却させる。
しばらくして、鳴海の城も奪った。今川に手を出すつもりはなかったので、これにて戦争は終結。
……愚策だったかな。まずい ……今度はこっちの兵が五千しかいない ……。
山口のみ配下になりましたが ……これでは ……。
なんとか、一季節乗り切れば ……。
次回、揺れ動く日のもとの国を報道します。東も西も動乱の様相を呈していますので。
活躍武将
松平清康 戦闘105
長坂信政 戦闘82
山本勘助 戦闘92 知謀93