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其の81

其の83




歴史game のお話 其の82


風柳斎さん
E-mail:
ventulus@po.net-ibaraki.ne.jp

松平リプレイ2.1・1534年

 再び挑戦します。今回は、プレイヤーとしての視点で書き、架空のやりとりは排除いたします。
 基本的設定及び、ルールは前回と同じ。内応の制限は辛いものがありますが、それでもやり遂げて見せましょう。

 春。
 今回は、非常に早く順番が回ってきました。今川も織田も行動していませんので、電撃作戦は前回よりやりやすいでしょう。
 よって、やはり最初の春は、戦争です。目標は、今川家。なぜなら、今川家の恐ろしさはその国力にあります。最初にあらかた城を奪ってしまえば、あとはこちらが有利になれます。
 無論、先に巨大化する可能性のある織田を叩く作戦もありますが、武将の能力的には互角。ならば、勝負を決めるのは、国の豊かさです。
 いざ戦争をしてみると、どうもやはりそれほどの力がない。訓練や士気が高いときとは、ずいぶんと差が出るようです。
 各城から出てきた六名の武将は、皆およそ千人ぐらいの兵。戦争そのものは、優位に進めました。小笠原領に接する城は元々取る気がないので残しました。されど、肝心の高天神城が落とせなかったのは、予定外でした。 ……以後は、少数の戦争では、ターン数をよく考慮しましょう。
 飯尾連竜と松井宗信の二名が配下になりましたが、忠誠度が30代であることを考えると、危険視したほうが良さそうです。それに、両者共に、それほどの能力ではありません。
 今回の無謀な作戦がうまくいくかどうかどうかは、相手の反撃があるかどうかです。すぐに攻め込まれたら、それで終わりです。

 夏。
 自分の番が来るまでに二つの大きな出来事が。一つは、長尾為景の死去。さらには、お約束とも言える、織田今川同盟。
 あと、飯尾が織田に寝返りましたが、これは覚悟の上ですので、やむを得ません。
 阿部と松井を曳馬城に移し、開発の準備をする。岡崎はとられることを前提にしよう。目指すは駿府城。
 さて、北条と仲良くできるだろうか。少なくとも、武田と北条、小笠原のいずれかとは友好を結ばないと、国が保てない。

 秋。
 今川と織田が対松平条約を締結。 ……まぁ、いつものことですから ……。
 しかし ……好機到来。東側に、大原雪斎がいない。奴さえいなければ、もはや負けることはない。よって ……。
 出陣。
 事前に1.5倍という相場で、米を千売り払う。さらに、兵はもっていない阿部も出陣させた。
 高天神城には菅沼の率いる四百。駿府には、阿部元真の三千がいるのみで、あとはこの戦には関与しない。駿府はもらったようなもの。
 元真の戦闘は50代ですが、それでもその程度です。既に清康の戦闘は90に達していますから、余裕のはずです。
 兵隊の籠もっていた駿府よりも、むしろ高天神のほうが時間がかかりました。城郭値130の城を、長坂一人で進むとなると結構かかるものですな。
 結果、菅沼定村(特筆すべき能力なし)が配下になりました。長坂信政は侍大将に昇進。これで、大原雪斎と一騎打ちに耐えられるかも知れない。
 先ほど作った金で、清康の兵を補充。六千人ほど追加しましたので、とりあえずは安心です。
 なお、収入は金1000、米900です。一大強国の仲間入りをしたと申してもよろしいでしょう。あとは、駿府を拠点に富国強兵に励むことにします。

 冬。
 駿府で浪人していた山本勘助を登用。戦84,知87の名将です。強固な城に籠もっての混乱連発はなかなかの戦力になってくれるでしょう。出世してくれさえすれば、主力になることは間違いありません。
 兵も一万八千まで増えましたが、とうてい平穏とは言えません。織田家には二万三千の兵隊がいますから。もし、全軍で攻めてきたら、大激戦となり共倒れもあり得ます。
 さて、一年たちますので、ここで一度切りましょう。次回は、どうなりますかね ……。

風柳斎さん
E-mail:
ventulus@po.net-ibaraki.ne.jp

松平リプレイ2.2・1535年

 春。
 広忠成人。政治要員としてがんばってもらおう。
 清康自身で武田家に使者に向かった。持参金は50。目的は、北条に対しての共同戦線。別に、北条と敵対したいわけではないのです。ねらいは、格安確実な友好度上昇。
 相手が敵対視している国に対しての共同戦線は、相当はりやすくなっていると思います。以前の小田リプレイの時に、発見したやり方です。
 問題なく成功。友好度が上昇。そのうち、同盟を結んでくれると思います。
 武田も北条も三万。では何故、武田と結ぶのか。理由は簡単。勝てるはずがないからです。
 兵隊では同じでも、北条の武将はまだまだ成長していません。それに対し、武田の武将は既に化け物です。今現時点では清康の95という戦闘力は相当高いほうにはいるはずです。
 にもかかわらず、武田家には80代が五人。90代が二人います。当主信虎は、99というもうすぐ人間やめてしまうほどの戦闘力です。
 ですから、武田家とは戦えないのです。早く元康が登場し、成長しきってくれないと、いつまでたっても武田とは ……。 

 夏。
 清康を岡崎城に移した。捨てるつもりであったが、しかし、やっぱりちょっともったいないかな、と。
 戦力を分散するのは下策ですが、幸い北条は大石家にたいして矛を向けています。大石とは、扇谷上杉家の跡継ぎです。
 故に、東は少しくらいあけても大丈夫だろうと思うわけです。それに、兵がいなければ攻めてくるかも知れませんが、清康がいれば躊躇するという期待もあります。
 武田家への使者は、勘助に任せることにしました。相性もいいはずですし、知謀の上昇が期待できますので。

 秋。
 23歳の今川氏輝が死去し、義元が後継者になりました。当家としては、敵が一人経るわけですから、歓迎すべき事です。
 まずは民の心をつかむため、施しからはじめました。広忠、菅沼、阿部、松井の四名で、駿府をよりよい国にしていく予定です。
 あと、どうやら以前確認した収入は、一時的のもののようでした。今は金の収入が1600あります。あれは、戦争による影響で下がっていたのでしょう。

 冬。
 織田家が、斯波家を滅ぼした。これで、安心と思ったのは甘かったようです。
 すぐさま、岡崎城に来襲。今川の兵四千も加勢してます。
 一万対二万。倍の兵がいますが、やってやれないこともないはずです。確かに、相当不利ですが ……。
 戦闘力的に考えると、織田信秀97,山口75,柴田勝家83と相当なものです。今川の援軍は51とまあまあ。
 清康は96ですから、城で守れば不可能でもありません。国力的に上の今ならば、消耗戦に耐えられるはずですので、城内で迎え撃つことにします。
 城に入り、焼き討ちで敵の消耗を狙うも、混乱に乗じられ、落城。清康は、曳馬城に撤退。
 織田が大勢力を築いたかに見えたが、本願寺に清洲と名古野の二城を奪われ、残る兵士は五千ほど。これならば、織田を滅ぼすことが可能です。
 と言うわけで、全軍を曳馬城に集め、訓練の後出陣。今川勢もまた敵方につきましたが、部隊を差し向けて脅したら引きこもりました。柴田部隊は、清康の突撃で撃破。
 残る信秀は籠城。長坂は吉田城に向かわせ、清康と勘助で逃げた信秀を追って岡崎城へ。
 空城である吉田城は、容易く陥落。すぐさま、長坂を鳴海へ向かわせる。岡崎は、二部隊で十分である。
 岡崎では、まず山口教継千人を撃破。信秀には苦戦を強いられた。あまりに簡単に勘助に火がつくことを不満に思いながらも、安全策で逃げつつの反撃。
 やっとの思いで、信秀を退却に追い込んだ。勘助の兵は四百しか残っていなかったので、そのまま岡崎に退却させる。
 しばらくして、鳴海の城も奪った。今川に手を出すつもりはなかったので、これにて戦争は終結。
  ……愚策だったかな。まずい ……今度はこっちの兵が五千しかいない ……。
 山口のみ配下になりましたが ……これでは ……。
 なんとか、一季節乗り切れば ……。
 次回、揺れ動く日のもとの国を報道します。東も西も動乱の様相を呈していますので。

 活躍武将
 松平清康 戦闘105
 長坂信政 戦闘82
 山本勘助 戦闘92 知謀93

虎御前さん
E-mail:
VFG11440@niftyserve.or.jp

FA殿へ、そして名簿について

半兵衛重治改め虎御前です。FA殿、竹中半兵衛重治という名を名乗っている方がいる事を報せてくださって誠にありがとうございました。

Hiro.K殿こんな事を書いては、困るかもしれませんが、名簿の件この虎御前からもお願いいたします。
私はまだ中学生なのでけっこう暇ですので、できる限りお手伝いいたします。

では、さようなら。

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