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其の95

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歴史game のお話 其の96


ちゃちゃおさん
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chacha16@mug.biglobe.ne.jp

天翔記結果報告 : 斉藤道三(3回目)

 2度連続で滅亡してしまいましたが、勝ち方も少しは見えてきました。

 「兵の消耗を抑えつつ国力を拡大」・・・そんな虫のいいやり方があるのかと思いましたが、以下の方法をとればなんとかなりそうです。

 1.内応を多用する
 2.鉄砲で敵を撃破する
 3.道三に暗殺を行わせる
 4.同盟を組む
 5.戦才が高い武将のみで戦う
 6.危険な芽は早めにつんでおく

 負傷兵のルールがない天翔記では真っ向勝負を挑めば敵兵力とほぼ同数の兵を失うことになります。内応・鉄砲・暗殺を使えば兵を失う事なく敵にダメージを与えることができますし、同盟を組めば無用の戦いをせずに済みます。
 戦才が高い武将のみで戦えば戦闘力が上昇しますし、戦闘力が上昇すれば兵の損失も少なくなってくれます。

 危険な芽というのはずばり長島の本願寺のことです。本願寺勢の興亡をにらみつつ早めに滅ぼしてしまおうと思っております。

 ではゲームスタート


1546年 インチキ
 セーブしてのやり直しは本来はなしだが、開始と共に登場する帰蝶姫の能力値が気に入らなくて4回もやり直し。本来こんな事はしたくないが、ゲームに勝ちたいし帰蝶姫に活躍してほしいのでそうした。
 帰蝶姫の能力値は政才178戦才128智才194、秋には福姫(政才126戦才132智才188)も登場した。

 織田信安を暗殺して斯波家の成長を未然に防止した後、近江に攻め込んで浅井を討滅。国友村のある今浜城も手に入れた。

 蜂須賀正勝・前野長康が自分から仕官してくれた。


1548年 投機
 相場0.8で米を購入し1.6で売却。もうけた金を使って国友村ら鉄砲100を購入し斉藤道三隊に配備。これで攻められても安心だ。

1550年秋 vs細川
 細川勢が小谷城に侵攻。犬山城にいた道三が小谷城にかけつけ、鉄砲を乱射して敵を次々と撃破。1万弱の損害で4万以上の敵を撃破した。

1550年秋 4城陥落
 細川との戦闘は大勝利に終わったが犬山城にいて領土全体に目を光らせていた道三は小谷城に移動。その隙をついて一兵もいない南方に六角勢が侵入。斯波勢も呼応し4城を奪われてしまった。

1550年冬 逆襲
 六角勢に奪われた3城を奪還。さらに観音寺城も攻略した。

1551年春 2城陥落&奪還
 細川勢が小谷城に侵攻、六角勢・朝倉勢も呼応し大激戦に。我が軍の足軽隊にも被害が出たが、城にこもった道三の鉄砲隊が大活躍し5万を越す敵兵を撃破。
 その直後細川勢が再侵攻。今度は六角勢・朝倉勢は参戦しなかったが細川勢は今浜城・犬山城を攻略。道三のこもる小谷城は孤立してしまった。

 このままではまずいと思った我が軍は攻め返して2城を奪還。まさに一進一退の攻防といった状況だ。

1551年夏 3城陥落
 長島の本願寺勢が道三不在の南方に攻め込み3城を攻略。さらに、孤立した小谷城に攻め込んできた。
 総勢4.4万の本願寺・細川連合軍に対し、小谷城にこもる我が軍は道三など2.1万のみ。消耗のすえの全滅も覚悟したが、なぜか朝倉勢0.8万が我が軍に加勢。
 道三の鉄砲&暗殺・宗滴の騎兵突撃によりなんとか勝利に成功した。

1551年秋 6城獲得
 鈴木左太夫・下間頼廉らの率いる鉄砲隊が怖かったがさきほどの小谷城防衛戦で全滅。すかさず逆襲に転じ、南方の3城を奪い返し長島も攻略した。
 ついでに北尾張の斯波家も討滅。だいぶましな状況になってきた。

1552年春 vs細川
 細川勢が2度にわたって小谷城に侵入。道三率いる1万の鉄砲隊のみだったが暗殺と鉄砲を用いてなんとか勝利した。


1552年 状況解説
 細川・六角・朝倉・本願寺・斯波の5勢力による袋叩きは苦しいの一言につきたが、道三の鉄砲隊およびそれをガードする義龍の足軽隊の活躍により天文学的な数の敵を撃破した。
 道三・義龍の戦闘力は最高値に達し、鈴木左太夫など戦闘力100を越す数多くの名将も我が軍に捕らえられ降伏した。

 道三による暗殺はもはや風物詩といっていい状況になっている。籠城戦で敵将を暗殺するのはざらに見られるし、戦略画面でも死に神のごとく敵将を次々と殺害している。

 長島本願寺・斯波を滅ぼした我が軍は美濃の他北尾張・東近江も領有。兵力も増強しまずまずの戦力になった。
 しかし、細川・北条・武田など周辺の強豪は広大な領土を支配し比べ物にならないほどの兵力を保有。年々戦力差が広がっている。


1553年 新たなる戦雲
 収入不足を解決するため内政に専念したかったのだが、敵はこちらの都合とはおかまいなしに攻め込んできた。

 西方の防備を固めるために大垣城に兵を移動したところ今までおとなしかった小笠原が東美濃に侵入。全員が戦闘力100以上という精鋭で撃退したがこちらにもけっこうな被害が出た。

 ついで秋に細川が小谷城に3万の兵で侵入。例によって朝倉が呼応したが道三の鉄砲隊で撃破。
 なんとか撃退できてほっと一息ついたがもう一度3万の兵で侵入。さらに4.6万でもう一度!
 一体どういうわけかと思ったら、西日本に広がる広大な領土から兵を集めて攻め込んでいるとのこと。
 一時は2番手の大名の倍近くあった兵力は道三の鉄砲隊に撃ち殺されて6位に転落。大半を支配していた中国は大内に奪われてしまった。
 それなのに、我が国が細川から奪えた物は何一つとしてなし。防衛する一方の全く割にあわない戦いだ。

1553年冬 朝倉の凋落
 冬には朝倉が小谷城に侵入。細川勢も呼応したが、総大将の朝倉宗滴を捕らえる事に成功した。
 これまでは敵将を一切殺さずにやってきたがここで方針転換。宗滴を生かしておいても降伏するわけがないし我が軍を苦しめるだけだと思い例外的に斬首。
 翌1554年春には当主朝倉孝景も死亡し、戦闘力160兵力100の2名将を失った朝倉軍は急速に勢力を弱めることになった。

1555夏 近江防衛
 朝倉・細川・六角の連合軍が小谷城を6.5万の兵で攻撃。守る我が軍は3万。例によって道三の活躍で楽々勝利。

1555年 THE END
 あまりにも唐突ですが、斉藤道三の難級での結果報告はここで終了とさせていただきます。
 理由はただ一つ、「面白くないし、勝ち目がなくなってしまったから」です。

 西方の戦いは防戦一方で一城たりとも獲得できない状況にありますし、信濃を武田、飛騨を伊達が攻略し彼らとの戦闘もいまにも始まりそうな状況です。
 西方の戦いは道三の暗殺&鉄砲で相変わらず防げるでしょうが、東方の戦いは道三が参戦できないため白兵戦になるのは必至。しばらくは持ちこたえる事ができるでしょうが、次第に追いつめられ滅亡していくのが確実な状況になってしまいました。

 なんとも消化不良な状態ですが、この時点でゲームオーバーとさせていただきます。

 1555年冬 同盟国飛騨の滅亡を機にギブアップ。プレイ時間は306分。


☆ 感想 ☆
 天翔記PKの追加シナリオは1546年・1582年・1599年の3つですが、その中で最も気に入ったのは1546年です。信長・信玄・謙信といった後の世の名将達が若手として登場し、斉藤道三も美濃の大名になっています。

 最初のプレイをどの勢力でやるか迷ったのですが、歴史評定でちょうど斉藤道三の話がされていて興味を持っていた事もあって斉藤道三でプレイしてみました。

 今回のプレイの失敗点は難易度を難級にしてしまった事につきます。5段階の中で最高難易度なのですが、敵将の戦闘力はどんどん上がるし接する敵のほとんどが互いに同盟を組むしと最悪の状態になってしまいました。
 負けないためには今回私がとった「鉄砲&暗殺を駆使しての防衛」しかないのですが、5時間もの間美濃周辺にこもって防衛するだけというゲーム展開が続いてしまいちっとも面白くありませんでした。

 今回のプレイで得た教訓は「いたずらに難しくしても面白くなるとはかぎらない」ということです。手応えがあるのは結構な事ですが難易度が高いがために単調なゲーム展開になってしまっては無意味だと思います。

 なお、斉藤でのプレイは難易度を中級にして続けていこうと思っております。プレイしましたらいずれまた結果報告を投稿するつもりです。


☆ おまけ : 今回のプレイの状況解説 ☆
 今回のプレイで発生した出来事を以下に記します

1.細川に降伏する腰抜け大名
 長曽我部・一色などといった大名達の態度は腰抜けの一言につきます。細川家から脅迫の使者がいくとほいほいと降伏してしまうのです。
 これでは細川家が圧倒的に強くなってしまって当然です。細川家と直接接している勢力でプレイしていたらひとたまりもないでしょう。

2.周り中の勢力が相互に同盟
 降伏と並んで腹立たしいのが、他勢力がどんどん同盟を組むことです。今回のプレイでは北から順に朝倉・細川(若狭)・六角・長島本願寺・斯波(北尾張)の5勢力にぐるりと囲まれていましたが、こいつらが相互に同盟を組んでいるのです。
 合計5万の兵で攻められることもざらにありますし、敵領に攻め込めば周り中の勢力が援軍を派遣してきます。

3.撃破すると他の地方から兵を回してきて再戦
 細川勢をなんどもなんども撃破しましたが、その都度中国や四国から兵を回してきては再攻撃を仕掛けてきました。
 その結果、反対側の勢力が漁夫の利を得るのですから腹立たしいかぎりです。

4.戦いに勝っても得る物がない
 小谷城に籠城して敵を返り討ちにすることはできても、斉藤軍には敵領土に侵攻するだけの力がありません。
 無理して敵領土に侵攻したところで、同盟している連中に邪魔されるでしょうし、仮に城の攻略に成功しても持ちこたえる事ができません。斉藤軍の強さは道三が援軍にかけつけられる3×3マス内限定の現象にすぎないのです。

5.難攻不落の小谷城
 そこらじゅうの勢力に袋叩きにされても滅びなかったのは小谷城の存在につきると思います。
 マップを見ただけではそれほど守備の堅い城には見えないのですが、本丸の面積が広く、城内のかなりの部分を鉄砲で射撃できる状況にあります。しかもご丁寧にも四隅には射撃用の櫓付き。雨の日でもバンバンと鉄砲を撃てます。
 鉄砲隊の他に鉄砲隊を守るための足軽隊もつけ、それに道三の暗殺技能が加われば鬼に金棒といった状態です。すぐ南に鉄砲を安く買えるようになる国友村が控えているのも忘れてはならないポイントです。

ちゃちゃおさん
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斉藤道三結果報告

 第4回 その1 「順調」の巻

 天翔記PKの斉藤道三でのプレイですが、難級で3回連続で負けてギブアップした後、難易度を中級にして最初からやり直しましたので以下に結果報告を書きます。


1546年 帰蝶姫登場
 例のごとく帰蝶姫がいきなり登場。政才190戦才138智才194魅力93野望93といつにもまして優秀だ。
 武将としてはいまいちだが、軍団長や道三に不慮の事故があった際の後継ぎとして活躍してくれるはずだ。

 織田信安を暗殺し北尾張に侵攻。斯波家を滅ぼして2城を手に入れた。

1547年 同盟締結
 織田信秀ついで北畠晴具が同盟を申し込んできた。こちらから申し込みたいぐらいだったので渡りに船とばかりに承諾。
 南方の憂いがなくなった我が軍は近江に進出。浅井を滅ぼして国友村を獲得した。これで鉄砲が安く買える。

1548年 信州揺れる
 武田家が小笠原長時を滅ぼした。戦闘が勃発しては厄介なのでさっそく友好の使いを送った。
 北信濃の村上義清が同盟を申し込んできた。もちろん快諾した。

 3人目の姫武将桐姫が登場。政才146A戦才146A智才142Aと地味だが着実な能力を持っている。

1549年 風雲急を告ぐ
 武田と同盟するために友好度を上げたいのだが、話をすりかえたり拒絶されたりでうまくいかない。どうやら我が国を見くびっているようだ。
 武田と言えば気になるのが同盟国の動き。北条は関東へ着実に侵攻し、今川はしつこく尾張に攻め込んでとうとう織田信秀を滅ぼした。

 今川勢は駿河・遠江・三河・尾張を領有し兵力360、我が軍は美濃一国と近江・尾張の半分を領有して兵力740万。
 留守が心配だが、犬山城に300程度の兵を置いておけば他勢力は手出しできないはずだし、たとえ攻め込まれたとしても今川相手にしんがりを残して逆襲に転じればいいだけのこと。

1549年冬時点の勢力状況(プレイ時間は107分)

都市武将兵力
細川3057720
大内2331390
長尾1018780
斉藤1024720
今川26360
山名13140
隆造寺14430
 
武田261040
六角11320
朝倉15680
北畠10320

 次回は「今川滅亡」の巻です。

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斉藤道三結果報告

第4回 その2 「今川滅亡」の巻

美濃周辺に10城を領有し、兵720を配備した斉藤軍。今回は今川義元を一挙に討滅しようと思っております。

1550年  尾張侵攻 420vs300
 まずは春に清洲城・長島城を攻略。優秀な武将が多いし大丈夫だろうとうぬぼれていたのだが、長島城では鈴木左太夫の鉄砲に悩まされ、清洲では兵力100の大原雪斎相手に大苦戦。兵400を失ってしまった。
 しかし、この戦いで大原雪斎・鈴木左太夫などそうそうたる名将が我が国に降伏。在野から織田信長を登用した事もあって人材大国になった。 

 冬に武田信玄が村上家を滅ぼして甲信地方を統一。今川との戦いに介入されそうで不気味だ。

 さきほどの激戦で疲弊した我が軍は美濃・尾張で軍備を強化。戦闘力190で鉄砲Aの織田信長の鉄砲教室(戦闘力+10&鉄砲適性もどんどん上昇)が好評をはくした。

1551年冬 戦闘再開
 軍備に専念している我が国に今川が侵攻。今川軍250に対し我が軍は420。のこのこやってきた敵を容赦なく蹴散らし城を2つ奪ってやった。
獲得した城に対して今川軍がまたも攻撃。今川200こちら230とほぼ互角の兵のぶつかりあいになったが、我が軍が勝利。またも敵城を奪った。

 240の兵を留守番に残していた美濃に六角勢260が侵入。2つの城を落とされた上、敵味方とも全滅。留守番部隊が一切いなくなり一転窮地に陥ってしまった。

1552年春 兵力急増
 さきほどの戦いで我が国の兵は350まで減ってしまったが、各地で一斉に徴兵。兵力1100になった。全国的に見てもトップクラスだ。

1553年秋 駿河攻略:今川滅亡
 選りすぐりの将に560の兵を率いさせて駿河に侵入。敵も380の兵を有していたが、信長・鈴木左大夫・森長可らの鉄砲攻撃により満足に戦うこともできぬまま全滅した。
柴田勝家・大原雪斎らそうそうたる武将が配下に加わってくれた。

1553年冬 北条滅亡
 武田信玄が武蔵から相模に攻め込んで北条から6城を奪取。北条は滅亡した。

 この時点で我が国は美濃から駿河までの東海地方5国を領有し、武田は甲斐・信濃・相模・伊豆と武蔵(南半分)を領有。

 はたして斉藤と武田は同盟を結ぶのかそれとも戦うのか・・・続きは次回とさせていただきます。


1553年冬時点の勢力状況 : プレイ時間145分(トータル252分)

細川438817.4
武田20489.2
大内20275.2
斉藤174712.4
長尾10247.4
六角10197.1

 関東から中国・四国までは上記の勢力らにより分割されています。
 東北地方では結城・葦名・伊達・南部が激しい主導権争い、九州は大友・隆造寺・島津による三国志が展開されています。

 現時点での最強勢力は間違いなく細川家です。四国を平定し現在中国を西進中。畿内にも摂津・河内などの領土を持っています。

 次回は「美濃の蝮・甲斐の虎」の巻です

ちゃちゃおさん
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斉藤道三 第4回 その3

 第4回 その3 「美濃の蝮・甲斐の虎」の巻

 今川家を滅ぼして勢いに乗る我らが斉藤軍。西には最強勢力の細川家、北東には北条を滅ぼし勢いに乗る武田家がおり、どちらと戦うかを選ばねばならない状況です。

 熟考のすえ武田家と戦う事に決定。斉藤の数倍の国力をほこる細川家と戦ったところで滅ぼされるのはこちらですし、いま武田と戦わねば東北・関東の勢力を滅ぼして強大化するのは必至です。

 1200vs900と兵力では上回っているものの、武田家の騎馬隊は脅威です。なんらかの手段により武田の騎馬隊を滅ぼす事ができればこちらの勝利は確実になると思われます。


1554年春 駿河防衛戦 : 信玄死亡
 武田の動きを見ようと思っていたら、信玄自ら630の精鋭を率いて駿河に侵入。対する我が軍は350、兵を雇ったばかりで訓練もあまり行われていない。まっとうに戦えば騎馬隊に蹴散らされる事は目に見えているので籠城策をとることにした。

 まずは武田信玄隊100が興国寺城に侵入。守るは川尻秀隆の鉄砲隊30。鉄砲で守るのに適した城ではなく信玄の騎兵突撃によりあっけなく落城してしまった。

 続いて二俣城に敵が侵入。守るは森可成率いる40の鉄砲隊。武田の侵入後、二俣城を守る部隊が存在しないのに気付き急きょ派遣したが見事に大活躍。落城こそしたものの鉄砲を駆使して100の損害を与えてくれた。

 そしていよいよ曳馬城に敵部隊が到達。この時点で味方280敵490。戦力的には不利だが、本丸には道三の鉄砲隊100がいる。
 開始早々に道三が75の兵を率いる小山田信有を暗殺、この時点で勝負あった。武田の騎馬隊は道三の鉄砲隊に撃ち殺され次々と壊滅。武田信玄(戦闘力169)も鉄砲に胸を撃ち抜かれて死亡し、武田の誇る精鋭はあっけなく全滅した。

 戦死した信玄のあとは諸角虎定がついだ。表面上は武田家の戦意は相変わらず高いが、信玄亡き状態でいつまで結束を維持できるか見物だ。


1554年冬 武田再襲来
 さきほどの戦いで壊滅的ダメージを受けたはずの武田家(正確には諸角家)だが、軍備を整えて再度駿河に攻め込んできた。
 味方330敵420と兵力的には互角だが、そうそうたる名将に率いられた騎馬隊相手に野戦を挑むのは不利なので籠城。2城落とされてしまったが、110の損失で420の敵兵を壊滅させることが出来た。

1555年 逆襲開始
 細川家が順調に勢力を拡大する状況下のんびりはしていられないと思った私は武田への侵攻を決意。
 六角家への備えとして犬山城に400の兵を置き、残りの1400の精兵を遠江に配置。一挙に武田領になだれ込む手はずを整えた。

1555年春 駿河奪回
 2度の戦いで我が軍から4城を奪った武田家だが、そのために1050の兵を失ったダメージは相当大きかったようだ。東海地方を守る兵は一兵たりともおらず、5つの城を無血攻略。さらに相模に侵入し小田原城など4城も攻略した。

1555年夏 結城家と同盟
 我が軍の関東進出を見て安房・常陸など関東東部を領有する結城家が同盟を求めてきた。武田攻めの邪魔をされたくない我が軍は快諾し、以後両家の蜜月の関係が続くことになる。

1555年夏時点の勢力状況 : プレイ時間105分(トータル357分)

武将兵力
細川571242570
斉藤22572110
大内1627430
諸角1537890
結城1325830
長尾1035920
六角1018620

 現在残っているのは24家です。弱小勢力はどんどん淘汰され強豪同士が激突する時代に入りました。

 次回は「武田家滅亡」の巻です。

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斉藤道三 第4回 その4

 第4回 その4 「武田家滅亡」の巻

 武田信玄を射殺し武田領関東への侵攻を開始した我が軍。今回は武蔵・上野・甲斐・信濃を一挙に平定し武田家を滅ぼしてしまおうと思っております。

 武田家と斉藤家は長大な国境線に渡って接していますが、侵攻ルートとしては以下の3カ所があります。

1.美濃vs信濃ルート
 岩村城から木曽福島城を目指すことができますが、今回は使用しません。美濃には六角家の襲来に備えて400の兵を置いています。

2.駿河・遠江vs甲斐・信濃ルート
 我が軍640武田軍410と激戦が予想されます。騎馬隊の格好の活躍の場である高地も多いので激戦は歓迎できません。

3.相模vs武蔵ルート
 我が軍610に対し敵は江戸城に290。それ以外にはこれといった兵力もなく広大な関東西半分を守るには明らかに手薄です。


 今回の我が軍の作戦は「結城家と共に関東の武田軍を撃破した後甲信地方に攻め込む」という物です。武田家を撃破しその領土と家臣を手に入れればいよいよ天下統一も見えてくるはずです。

 というわけでゲームスタート!


1555年夏 武蔵攻略
 前回の最後で相模を無血攻略した我が軍は、750の兵で武蔵へ侵入。守る武田軍は350。
 織田信長の鉄砲隊の活躍もあり6つの城を難なく攻略できた。

1555年秋 上野攻略
 武蔵を平定した我が軍はついで上野に進出。430vs250と接近した兵力だったが3城を攻略した。
 この直後、東北南部を支配し越後への進出をはかっている葦名家から同盟の使者が来た。しかし、武田を滅ぼした後の我が軍の攻略目標はずばり葦名。その前に友好度を高めようではないかとごまかして使者を追い返した。


1555年冬 武田家滅亡
 信玄亡き後諸角が後をついだが、名将達をたばねる役割は荷が重かったようだ。結束を誇っていた武田軍だが、今回の一連の戦いでは各自がばらばらに戦いを挑み、鉄砲隊を中心に組織された斉藤軍に次々と撃破されていった。
 また、信玄健在のおりには考えられないことだが、内藤・馬場といった名将達も続々と我が軍に恭順。

 我が軍との激戦で城も兵も失った武田軍はもはや甲斐・信濃に7つの城(兵は420)を残すのみ。
 甲斐に侵攻した我が軍に対し躑躅ヶ崎館にこもったが、道三・信長の鉄砲隊に鉄砲玉を雨あられと浴びせかけられ全滅。
 信濃に残った残党も撃破され隆盛をほこった武田家はあまりにもあっけなく滅亡した。武田討伐の指令が下されてからわずか1年の出来事だった。


1555年冬時点の勢力状況 : プレイ時間75分(トータル432分)

武将兵力
細川671572510
斉藤39832050
葦名1620320
結城1327840
島津1035720
 
長尾23830
本願寺11260
六角13420

 旧来の領土    : 美濃・尾張・三河・遠江・駿河・伊豆・相模
 今回獲得した領土 : 武蔵・上野・甲斐・信濃

 強敵武田家を難なく滅ぼした結果、細川とも勝負ができる戦力が整ってきました。次回は「決戦前夜」の巻です

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