Back to 歴史SLG Back to 歴史game

其の97

其の99




歴史game のお話 其の98


ちゃちゃおさん
E-mail:
chacha16@mug.biglobe.ne.jp

斉藤道三 第4回 その5

 第4回 その5 「決戦前夜」の巻

 武田を滅ぼし細川に対抗しうる大勢力に成長した我が斉藤軍。金の収入は2.8万、米の収入も1.0万となり経済的にも万全な状態になりましたが、細川と対決するにはまだ早い状況です。
 今回は六角・葦名・長尾といった弱小勢力を滅ぼし国力増強をはかろうと思っております。

1556年春 三木降伏
 長年の間同盟国として敵の侵入を防いできてくれた三木軍だが、今となってはもはや邪魔なだけ。脅迫し属国とした。
 三木が貯め込んでいた金を元に馬を購入。武田・北条の旧臣に配備して大規模な騎馬隊が結成されることになった。

1556・57年 新時代の訪れ
 群雄が割拠し日本中で戦闘が行われていた戦国時代だが、統一の時代に入ってきたようだ。
 東関東を制圧した結城勢が葦名を圧倒し東北に進出し、細川勢は大内を圧倒し中国・四国をほぼ統一。細川勢は東方進出もはかり、六角・本願寺も滅ぼした。
 これに対し我が軍も葦名領となっていた越後を攻略し、六角からも3城を獲得した。

 最後に能登・越中で生き残っていた長尾家に対し斉藤・細川が同時に侵攻。斉藤が越中、細川が能登を攻略し長尾勢も滅亡。
 近隣の弱小勢力は一掃され、我が国と国境を接するのは細川・結城のみとなった。

1558年春 細川優位
 3城を領有し六角に対する防波堤となっていてくれた北畠だが、細川に攻め込まれてあっけなく滅亡。援軍を派遣するひまもなかった。
 細川は中国でも大内に対し優勢を維持。今回獲得した城の数は我が軍11に対し細川軍16。かえって差がひろがってしまった。

 細川勢が圧倒的に有利な状況下、斉藤に勝機はあるのか?次回は「電撃戦」の巻です。


1558年春時点の勢力状況

武将兵士
細川831894300
斉藤501133550
結城2641960同盟国
隆造寺24550
秋月20680

 プレイ時間 : 160分(トータル592分)

ちゃちゃおさん
E-mail:
chacha16@mug.biglobe.ne.jp

斉藤道三 第4回 その6

 第4回 その6 「電撃戦」の巻

 前回の戦いで周囲の弱小勢力を全て滅ぼした結果、我が国と領土を接しているのは東の同盟国結城、西の超大国細川のみとなりました。
 それまでは六角家という緩衝地帯(あえて滅ぼさないでおいた)が間に広がっていたため戦わずにすんでいましたが、いよいよ決着の時が来ました。

 今回我が軍がとれる作戦は

1.細川と同盟した後、結城との同盟を破棄して結城を倒す
2.結城との同盟は維持して細川と戦う

 の二者択一なわけですが、様子を見ながら適切な方を選んでいこうと思っております。


1558年夏 奇襲攻撃
 順調に大内領に侵攻し九州にまで到達した細川軍だが、斉藤に対しては油断していたようだ。我が国からの貢ぎ物攻勢に気をよくしたのか、近江・伊勢には兵がいるものの能登・加賀など北陸を守る兵はゼロ。

 これほどのチャンスは2度と来ないと思った私は細川討伐を決意。越中に780の兵を集結して一挙に北陸に侵攻し8城を無血占領した。
 勢いにのった我が軍はさらに若狭・北近江にも攻め込み(830vs230)さらに5城を攻略。多数の敵将を捕らえ配下に加えた。

 こうして細川軍との戦いは友好国に対する奇襲攻撃という卑怯な戦法をとった我が軍の大勝利に終わった。

 東西に敵がいる細川軍に対し、織田・武田などの名将を加え精鋭揃いの斉藤軍。このまま順調に細川領に侵攻し天下統一も時間の問題と思われた。だが、1559年は・・・。

 次回は「正面衝突」の巻です。

1558年秋の勢力状況
武将兵力
細川791874300
斉藤631314000
結城31491030

 プレイ時間25分(トータル617分)

ちゃちゃおさん
E-mail:
chacha16@mug.biglobe.ne.jp

斉藤道三 第4回 その7

第4回 その7 「正面衝突」の巻
 細川を奇襲して13城を獲得した我が斉藤軍。勢いにのって細川を滅ぼしてしまいたかったのですが・・・。

1558年秋から1559年春 細川・結城急上昇
 我が軍の奇襲で13城を奪われた細川軍だが、急きょ国境線に兵を派遣して我が軍を釘付けにした後、九州への侵攻を続行。大内・秋月を滅ぼし豊前・対馬・筑前・筑後を攻略し、90城家臣210名と我が国より圧倒的に強くなってしまった。

 一方、結城軍も伊達相手に苦戦中とはいえ順調に東北に侵攻。東北を統一されたら、同盟を破棄して我が国に攻め込んでくるのは必定。困った状況だ。

1559年春 長島城防衛戦
 細川軍が尾張を強襲。350vs650と倍近い兵力だったが、長島城に鉄砲隊をこもらせてなんとか持ちこたえた。
 もう一度来たが、今度も撃退。鉄砲で守るのにむいている長島城だからこそなんとかなったというところか? 
 この戦いで細川軍の兵力は一時的だが減少。だいぶ楽になった。

1559年秋 丹後・伯耆攻略
 畿内の防衛は万全だが、中国地方にはほとんど兵がいない事に目をつけた我が軍は丹後・伯耆に侵攻。1100vs300という圧倒的な兵力差をいかし楽々と攻略した。

 この時点で、鳥取城より西に将も兵も全くいない地区が広がる事になった。このまま攻めてもいいし、相手が中国の守備に将兵を回してもまた好都合(畿内を攻めればいい)。尾張・美濃・若狭などの防衛も万全であり、いよいよ勝利が見えてきた。


1559年冬 3度の猛攻
 攻略したばかりの鳥取城に細川軍が攻めてきた。我が軍780に対し細川軍1060と相手の方が多いが、相次ぐ勝利に増長していた私は「自慢の武田騎馬隊で蹴散らしてくれるわ」と籠城せずに全軍出撃。
 山道を移動してくる敵を騎馬隊で蹴散らしていったが、圧倒的な敵兵力の前に騎馬隊は消耗。歩兵同士の白兵戦になり敵は全滅、味方は残り90のみという大消耗戦になってしまった。

 味方の消耗は痛いけど敵を全滅させたしいいやと思っていたら、630の兵で再攻撃。180しか兵が残っていない我が軍は籠城策をとったが、道三など主力がこもる上月城以外は全て落城してしまった。

 道三など主だった家臣は助かったからいいやと思っていたら、さらに500の兵で上月城を攻撃。40vs500ではいかに道三と言えど勝負になるわけがなく落城。
 道三こそ脱出に成功したが武田の騎馬隊など23将が敵に降伏してしまった。


1560年春時点の勢力状況

武将兵力
細川892094740
斉藤641343970
結城34631260同盟国

 鳥取城攻防戦で討って出たのは大失敗でした。籠城戦を挑んでいれば、主力部隊が撃滅され武将のほとんどが降伏といったような最悪の事態にはならなかったと思います。

 結城家の東北侵攻は順調に進んでおり、いずれ東北統一を達成しそうです。そうなれば同盟を破棄して我が国に攻め込んでくるはずです。細川を撃破して難なく統一と思いきや絶体絶命の状況に・・・天翔記は手ごたえのあるゲームだなと思っております。

 プレイ時間105分(トータル722分)

ちゃちゃおさん
E-mail:
chacha16@mug.biglobe.ne.jp

惨敗報告 天翔記

 天翔記PKの関ヶ原前夜のシナリオでちょっとプレイしてみましたが大惨敗に終わりました。その報告を以下に書きます。

☆ 豊臣家の問題点 ☆
 関ヶ原前夜シナリオの豊臣家は一見徳川と互角なように見えてその内実はボロボロという状態にあります。

 まず第一に第1軍団の行動力の低さ。家康の行動力が100以上あるのに対し秀頼は43。戦争はおろか軍備すらままなりません。

 ついで武将の能力の低さ。第2軍団以後には優秀な人材もけっこういますが、彼らを豊臣家で使うのはおかしいので移動禁止。そうすると豊臣家配下の武将に優秀な者などほとんど存在しない状況になってしまいます。福島・加藤などが家康についてしまった痛さがここに現れています。

 最後に歴然とした弱さ。日本の半分を支配しているのだから強いだろうと思われるかもしれませんが、ゼロ人プレイを行うと3年ももたずに滅亡する事もざらです。姉小路などですら3年で滅亡する事は滅多にない事を考えると、相当な弱さなのかもしれません。


☆ プレイ条件 ☆
 なるべく現実味を出したいという目的の元、いかにもインチキといった攻略法は使わない事にしました。具体的には以下の事を定めました。

 軍団間の武将の移動は禁止。地方色を出したいし、毛利の武将が上杉配下として東北で戦ったりしたらおかしいから。

 天翔記最強の必勝法とも言える内応と暗殺は使わない。というより、満足に行える武将はいないし行動力が足りないのでそもそも出来ない(笑)
 鉄鋼船を水上に浮かべて戦うと水に面した城はほぼ無敵状態になる(城より先に野戦マップ上にいる部隊を滅ぼそうとするため)が、それは行わない。

 秀頼を殺したり隠居させたりしない。姫武将が出るまでゲームスタートを繰り返し、出たところで最も優秀な部下と婚姻させて家督を譲るなどというのは論外。
 これ以外にも、秀頼のデータを書き換えて行動力を高くする、徳川家で同時にプレイしてわざと徳川に負けさせる(笑)といったインチキのたぐいは一切行わない。


☆ ギブアップまでのプレイ経過 ☆

1599年春 ゲームスタート 
 さっそくゲームスタート。ゼロ人プレイを見た限りでは、徳川軍はまずは上田に攻め込んで真田を滅ぼす。名将揃いの真田に滅亡されてはたまらないので、畿内に呼び寄せ広大な領土を与える事にした。
 行動力が低くいため多くの家臣に命令を下すことはできないので、凡将と兵も多数真田にくれてやった。「もし真田昌幸が関ヶ原の時中央にいたら?」という歴史ifのような物だ。

 さらに、無能な小早川秀秋が指揮している九州北部に真田幸村を派遣し秀秋の代わりに軍団長にした。きっと活躍してくれるだろう。
 佐々木小次郎を在野から登用。大阪城守備隊に加え、他の武将に剣術指南をさせる事にした。

1599年秋 戦闘開始
 真田幸村が豊前で1城を攻略、後藤又兵衛を配下に加えた。
 さい先がいいと思ったのだが、家康が大軍を引き連れて常陸を攻略。佐竹など常陸の武将達は壊滅しほとんどが降伏してしまった。援軍にかけつけた上杉景勝軍も撃破され、上杉の滅亡も決まったも同然だ。

1599冬
 徳川勢が石田三成軍団の美濃に攻め込んできた。がんばれ三成!と思ったが、本多忠勝・福島正則・加藤清正らの猛攻に屈し4城を失ってしまった。11名の将が徳川勢に降伏した。

 さらに能登にも家康の本隊が侵攻。なすすべもなく蹴散らされ前田利政を始めとする10将が降伏した。

1600春 ギブアップ
 母衣太兵衛の酒飲みイベントが発生。豊臣と戦っているのに宴会とはとんでもないやつらだ思い知らせてくれると思ったが、第1軍団には攻め込むための兵すらない状況。

 九鬼嘉隆がこもる鳥羽城に徳川軍が攻めてきた。これこそ唯一のチャンスだと思い、本来やりたくはないが鉄鋼船を持っている九鬼を海へと進撃させようとした。
 ところがなんと、家康の騎馬隊が開始早々に九鬼の歩兵部隊に突撃。海に到達する前に全滅させられてしまった。

 例によって九鬼も徳川に降伏。これ以上やっても徳川に蹴散らされるだけで勝ち目はないと思った私はこの時点でギブアップした。


☆ 敗因分析 ☆
 豊臣家が弱い、私が豊臣家での勝ち方をつかんでいないといった事ももちろんあげられますが、コンピュータのえげつなさも問題だと思います。

 伊達政宗は東北、黒田官兵衛は九州といった具合に日本各地に散在する名将を一カ所に集めて攻め込んでくるのです。しかも、今回は関東・次回は畿内・そのまた次回は北陸といった具合に神出鬼没で攻め込んでくるのです。
 守りを固めようにも大半は私の手の及ばない第2軍団以下の領土ですし、徳川方の城は日本の各地に存在しており、どこに敵部隊が現れるのか全くわからない状況です。守りを固めても守りが薄い他の所を攻め取るだけなのです。

 雰囲気ぶちこわしですし、このような事をされたら弱小の我が軍に勝ち目があるわけがありません。信長の野望で関ヶ原をやるのは無理があるなというのが率直な感想です。


☆ 今回見つけたイベント ☆
 1600年の正月、福島家で正月を祝う宴が開かれ、そこに母衣太兵衛も招かれていた。巨大な盃を出し「これに満杯の酒を飲めば欲しい物をやろう」という正則に対し「名槍として名高い日本号が欲しい」という太兵衛。見事飲み干して日本号を手に入れる。後日、酔いから冷めた正則は取り消しを求めにいくが太兵衛は拒否。「黒田節」として語り継がれることになる。


 P.S. どなたか豊臣家で統一された方はいらっしゃいますでしょうか?条件を甘くしたりインチキを使ったりすれば統一できるかもしれませんが、まっとうにやって統一するのは相当難しかろうと思います。

其の97

其の99