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歴史game のお話 其の115


北条あんしんパパ氏康さん

将星録 大友リプレイ第5回

将星録 大友リプレイ 第5回「島津滅亡」

吉弘鑑理じゃ。今回は内城攻めの総大将として包囲軍を指揮する事になった。
いよいよにっくき島津家を滅ぼす事ができるわい。
何せ島津家には何度も痛い目に合わされてきたからのう。
今からその時が楽しみじゃ。(見とれよ、義弘め必ずひっ捕らえてやるわい)

1561年5月
現在内城には1500人の兵しかいない。しかし御館様の命令で島津家の一門衆が集結している時に攻め取れとのこと。今すぐ攻めて滅亡させたいのは山々じゃが、御館様の言いつけでは仕方が無い。
まあせいぜい城兵を飢えさせてやるとしよう。

1561年2月
もう、年が明けてしまったにもかかわらず、いまだに内城には島津の一門衆が集結しない。
おまけに一万田殿は島津の間者に撹乱されまくっておるし、こんなではたとえ島津の方の条件がそろってもこちらが城攻めもままならぬわ。
そんな時、我が息子高橋紹運が都於郡城で元服を済ませた。さすがわしの息子だけあって武に秀でておる。(ま、わしほどではないがな。なんじゃ、その疑わしそうな目は)
ま、とにかくこれで我が大友家もより強力になった事は確かじゃ。
しかしあの孫七郎(紹運)が元服とはわしも歳をとったのう。
早速、紹運には家宝を与え包囲軍に加わってもらうとしよう。

1562年10月
もう我慢の限界じゃ。幸い城の中には貴久、義弘、歳久、家久の4人が入っている。これだけいれば御館様も文句は言うまい。残る義久はこの際浪人としてでもよしとしよう。
行くぞ者ども!わしに続けー!
ふう、さすがの島津も兵を100人近くまで減らせば脆い物よ。これでついに当初の目的であった島津家の滅亡を達成した。皆の者、勝鬨じゃあー!
さらに良い時には良い事が続く物じゃな。当主の貴久殿がいうには、自分の首と引き換えに息子達の命は助けてやってくれとの事。本当は貴久殿も助けたかったのじゃがこれ以上無理強いをしても無駄だと分かったので望みをかなえる事にした。
島津家の4人の息子の内3人に「お父上の事は気の毒だが、これも何かの縁。
さすがにわしらをここまで苦しめただけの事はある。今後はその力、大友家のために使ってはくださらぬか。」と誘ったところ、3人の中で最も年長者の義弘殿が「分かりました。過去の事は水に流してこれからは大友家の将として存分の働きをしてごらんに入れましょう。」と、快諾してくださった。
敵対していた時はあれだけ手強かったが、味方になった時のなんと心強い事よ。これで次は府内城にちょっかいを出している相良じゃな。
11月
取り合えずここまで来たので、いったん内城の内政にかかる事にした。
何やら府内城の方がきな臭いようじゃ。わしらはここを離れられないので立花殿と紹運に向かってもらう事にした。
問題は相良と龍造寺が手を組んでいた場合じゃな。
その時は他の者にも行ってもらわなくてはなるまい。
12月
島津義久殿が都於郡城の付近で見付かったようじゃ。内城からこんな所まで流れていたとは、これほどの逸材を野に埋もれさせておくのは惜しすぎる。
そこで吉岡殿が登用に行ったところ、快く引き受けてくださったらしい。
いやはやまったく良かったわい。
さらに、龍造寺の軍勢が相良の後詰めを攻撃したとの事。これで相良、龍造寺の2家を同時に敵に廻すという最悪の事態は免れたわい。

1563年2月
内城で何と足軽の修行ができるとの事。わしが城内にいたら、わしが修行に行ったのじゃが、残念ながらわしはしばらく内城の商業開発を行わなくてはならないので、現在城内にいて足軽がAの義久殿に行っていただく事にした。
本来なら義久殿のような内政の特殊能力をたくさん持っている者は内政から先に行うのが基本じゃが、これを終了すれば義久殿の足軽兵科がSになるので今回は特例じゃ。
できれば次はわしか、一万田殿が良いのう。
7月
また相良が攻めてきたらしい。まったく懲りない奴等じゃのう。御館様が3000の騎馬鉄砲隊を含んだ5000の部隊でほとんど無傷で撃退しているが、いやはやここまで鬱陶しい物とは思わなんだ。適当なところで何人かは斬首の必要があるかのう。
一刻も早く内政を一段落つけて八代城に攻め込まねば。さすれば、相良も府内城に手を出せなくなるであろう。
といっても、まだしばらくはかかりそうじゃがな。

現在の勢力ベスト5
城家臣兵 士
北条家52212万2千
大友家42711万9千
大内家41612万3千
長宗我部家4169万4千
浦上家4165万5千

感想
とうとう島津家を滅亡させる事ができました。やっとここまで来たという感じですね。
そろそろ各地で大きめの勢力が誕生しているようです。そんな中で我が大友家も全国2位の実力をつけました。しかし、3〜5位の大名が全て西日本というのは今後天下統一を目指すに当たって大きな障害になりそうです。
この中でまず真っ先にぶつかるのは大内家でしょうが、その時大内家はどうなっているでしょうか。
東日本では北条家が今後どこまで勢力を広げるかがポイントになりそうです。
それでは次回をお楽しみに。

北条あんしんパパ氏康さん

将星録大友リプレイ第6回

将星録 大友リプレイ 第6回 「うっとうしいったらありゃしない」

高橋紹運です。今回、内城、肝付城、都於郡城の3城は内政をする事になったので、対相良最前線で戦う予定の私が進行をする事になりました。
本来なら御館様か、立花殿が選ばれるべきなのでしょうが、大友家武闘派の若手代表という事で(どんな訳?)私になったようです。
それでは、始めるといたしましょう。

1563年7月
府内城の西の丘陵地帯を越えて相良勢がやってきました。その数およそ5ユニット。兵にして15000、かなりの大軍です。
しかもその中には相良家にその人ありといわれている赤池長任や犬童頼安など名だたる名将の旗印が見えます。
これは心してかからないと、いかに御館様とはいえ苦戦をするかもしれません。
8月
御館様に大村純忠と有馬義貞が向かってきましたが、さすがは御館様。
鎧袖一触でこの2将の率いる部隊を撃退なされた。残念ながら大村、有馬の両名は逃しましたが、これでいよいよ敵は赤池、犬童の両名に絞られてきました。ここからが正念場です。
早速、御館様が赤池長任の側面を急襲。御館様率いる騎馬鉄砲隊の一斉射撃により、大混乱を起こした赤池長任部隊は時を経ず全滅。敵将赤池長任を捕らえました。(さすがは御館様)
赤池長任ほどの将をむざむざ殺すのも忍びないのか、御館様が声をかけたところ「よかろう、そうと決まれば腹が減って死にそうです…」とのこと。
相良家を代表する名将の言葉とは思えませんが、まぁよしとしましょう。
9月
犬童頼安と甲斐宗運がさらに御館様に向かってきました。
犬童頼安にはさすがの御館様も若干苦戦なされましたが、甲斐宗運には余裕の勝利で撃退されました。
ふと、私が八代城の方を見ますと八代城の周りにさらに軍勢が。これはいかんと思い物見を遣わしたところ城の周りにいたのは何と佐賀城から攻め込んできた龍造寺勢と判明。
なんと相良は府内城を攻めている隙に龍造寺に城を包囲されてしまった模様。
どうやらこれでしばらく相良は手も足も出なさそうなので、私と御館様は府内城に引き揚げる事にしました。
11月
龍造寺家が八代城に攻め込んだようです。しかし、今まで1度も攻め込まれていないだけあって八代城の守りは堅く、どうやら龍造寺勢は撤退を余儀なくされたようです。
おかげで困った事に、また相良勢が府内城に向かってきました。
しかも今度は大名の相良晴広率いる5000の兵を含む5ユニット兵19000。
今度は支城に入れないと危険かもしれません。そこで、赤池殿にも府内城から出陣していただく事になりました。

1564年2月
相良晴広が陣没したようです。跡継ぎは相良義陽になりました。これで少しは楽になったかと思いきや、なんと相良勢が残らず北へ向かっています。
見ると龍造寺家がまたも南下を始めた様子。
このチャンスに逃げ遅れた有馬義貞を蹴散らしましたが、大友家の禄は受けないとの事。その忠義ぶりに免じて解放したら御館様に「その心意気天晴れ」と誉めていただき、仏教書をいただきました。
これは高橋家の家宝にするつもりです。
今月になってようやく、義久殿の足軽訓練が終わったようです。
次は新納殿ですな。
3月
相良勢はほとんど龍造寺勢に蹴散らされたようです。そんな中で犬童頼安の部隊だけがなぜか立花殿の守る支城に向かっているようです。
いくらなんでも支城に篭っている立花殿に勝てる武将がこの九州にいるのでしょうか。
6月
龍造寺勢がまたも八代城を攻めましたが、どうやら落ちなかったようです。
犬童頼安が立花殿に襲いかかってきましたが、難なく撃退したとの事。
さらに今の八代城はとても手薄なので、うまく行けば御館様と私と赤池殿で落とせそうです。
そこで龍造寺勢の様子を見ながら、タイミングを計って城攻めをする事になりました。
8月
立花殿が甲斐宗運を攻撃、退却させたものの甲斐宗運は取り逃がしたとの事。(むう、悪運の強い)
八代城近辺の龍造寺勢は当主の隆信だけです。この軍勢がいなくなれば、いよいよ我が軍が八代城を包囲する番ですね。
9月
なんと、赤池殿が1人先走って八代城に取り付いてしまいました。(何やってんですかー!!)
まだ、私と御館様は八代城の内政ユニットを攻撃していたので城に取り付けなかったのです。
そこを相良義陽自らが迎え撃ってきました。これではいかに赤池殿が勇猛でもかないません。
結局、相良義陽の攻撃は何とか退けたものの、続く有馬義貞の攻撃を支えられずに退却を余儀なくされました。(まったくもう)
さらに佐賀城からは龍造寺家の軍勢が出撃したとの事。
そこでお館様と私はしばらく支城で待つ事にしました。(ヤレヤレ)

1565年1月
さすがに相良と龍造寺の2つを敵に廻すのは得策ではないので御館様を残して1回府内城に撤退する事になりました。
8月
そろそろ内城の内政が終わりそうなので、私と赤池殿と伊東殿は内城に行く事になりました。
着く頃には内城の内政も終わっているはずなので、八代城攻めを開始できます。
今回の内政は元島津家臣に勲功を貯めさせる意味があったので、だいぶ時間がかかってしまいました。これで八代城が龍造寺の攻撃をもう少し凌いでくれれば、言う事ないですね。

感想
今回はほとんど内政と相良勢の撃退で終わってしまいました。しかし、徹底した内政のおかげで吉弘鑑理、島津歳久が家老に島津義久、新納忠元が内城の足軽修行イベントで足軽Sになったのはかなり大きいと思います。
今回助かっているのは島津や相良の家臣が軒並み配下になってくれる事、龍造寺が相良とつぶしあってくれている事、この2点ですね。(時々、相良と龍造寺で同時に攻めてくる事がある)
東日本では武田家の台頭がものすごいですね。前回までトップだった北条家を抜いて堂々のトップです。ようやく、信玄入道が重い腰を上げたといったところでしょうか。(家臣45人はすごすぎ)
次回はついにあのうっとうしさ�癸韻料衫匹箸寮錣世隼廚い泙后�
相良を滅ぼせば、大内と龍造寺のもう2正面作戦も可能になるでしょう。

現在の勢力ベスト5
城家臣兵 士
武田家5457万2千
大友家42816万
北条家42312万8千
大内家41614万3千
浦上家4157万6千

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