乙三さん
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乙三です。
いやー、モタモタしているうちに、マモルさんに自分が言いたかったことをあらかた言われちゃった。大部分、賛成です。いま内緒で会社からアクセスしていますので、ホラ話を手短に述べます。
一、はじめは倭寇によって日本にもたらされましたようです。マモルさんのご指摘の通り、輸入品の値段を吹っかけるのはありがちことですが、逆に云えば高くても買い入れる大名がかなりいたと思われます。
信長が鉄砲に着目した最初の武将という訳ではなく、それ以前にも鉄砲の威力は評価されていた。しかし入手しにくかったため普及しなかったと考えられます。
一、しかし実際に国産化してみると輸入品よりも安価に製造・販売できたし、それによって普及が加速された。
大名の鉄砲保有数が増えて実戦に投入されるようになると、その評価と需要がますます高まっていって、それが鉄砲生産能力の拡充を促し、入手が容易になったことが大名の鉄砲装備率をさらに高めていった。
一、鳥銃と種子島銃の製法の違い。国産化の課程で製法が、主として鋳造部品を組み立てる鳥銃の方式から、鍛造に近い種子島銃の方式に変化した。
製法の変化によって、より強度が高く、より軽量になり、かつ射程と命中精度に優れた銃に改良された。威力と実用性が増したことにより、一気に販路が拡大したと考えられます。
鳥銃の製法(私の想像では...)
[1] 断面が短辺を丸く凹ませた台形状もしくは扇形の鋳物の棒を作ります。
....鋳物の棒の1本には尾栓になる円筒状の部分が予め付いており、もう1本には火口(点火孔)する穴が開けてあり、他は単純な台形もしくは扇形です。
[2] それを6本(前後)組み合わせた上に"鋳掛け"で接着し、筒を作ります。
..."鋳掛け"とは、溶かした鉄をかけて部品をくっつき合わせる技術です。
[3] 管の数ヶ所ないし十数ヶ所を輪でかしめ、補強します。
....これで銃身の形ができます。
[4] 銃床に固定し、点火装置など細かい部品を組み付けて完成。
種子島銃の製法(若干の想像を含みます)
[1] 鉄の棒を芯にして、細長い鋼の帯を巻いて管にします。
[2] 管の全長、何層にもわたって細長い鋼の帯を螺旋状に巻き付けます。
....これで銃身の形ができます。
[3] それを炉の中で溶けそうになるまで高温に熱して材料を焼結し、同時に金槌で打って(鍛造工程)さらに強固に銃身を一体化させます。
[4] 再び熱して芯の鉄棒を抜いた後、銃身の断面が6角形になるように研磨します。
....6角形の断面は鳥銃のデザインの名残でしょうが、研磨することによって必要な強度を保ちながら軽量化できたと思われます。
[5] 銃身の一方の口に雌ネジを切り、また火口を開け目当てを組み付けるなど銃身に直に施さなければならない加工を行います。
[6] "焼き入れ"を行います。
..."焼き入れ"とは表層の含有炭素を除去して表面硬化を促し、また表面に一酸化鉄の皮膜を生じさせて防錆性を高める工程です。
[7] 銃身の雌ネジを切った口を雄ネジの尾栓で締め、銃身はでき上がり。
[8] 銃身を銃床に固定し、点火装置など細かい部品を組み付けて完成。
なお当時の日本では、鉄砲や大筒は"張る"すなわち貼って作るものだったそうです。古来の侍言葉には、動作の対象に応じて異なる動詞を用いた傾向があります。
例えば刀は"切る(斬る)",槍は"突く",弓矢は"射る",鉄砲は"放つ"であり、動詞だけで何をどうしたいのか伝えることができたようです。これは戦場で一言を発するだけで命令を理解させるために工夫され、形成されていった習慣でしょう。
因みに戦場で"うて"と命じられたときは、「敵の大将を"討て"」すなわち「敵の大将に攻撃を集中させて首を"討ち"とれ」という意味だったでしょう。そういう状況でないときには、「石を"打て"」すなわち「石を投げよ」という意味や「敵を"伐て"」すなわち「敵軍を討伐せよ」という意味に使われたと思います。
現代では銃は"撃つ"ものですが、当時は"うつ"という動詞の対象が広かったので誤解を避けるために敢えて限定した使われ方をしていて、それで鉄砲が"放つ"になったと考えられます。
そういう視点に立つと、鉄砲や大筒が"張る"ものであって、"鋳る"すなわち鋳造品でなく"打つ"すなわち鍛造品でもない別の製法をとっていたことが窺われます。
前回の話の続きは、(調べ直しているので)別の機会に...
かしこ
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