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其の28

其の30




歴史評定 のお話 其の29


僕様さん
E-mail:
s98437@cis.ahimane-u.ac.jp

軍師の能力

皆さんは三国志の中においてもっとも優れた軍師は誰だと思いますか。
この場合の軍師は政治家ではなく軍略家としての評価でおねがいします。
僕の独断では、郭嘉かホウ統だと思いますが。

島津維新入道義弘さん
E-mail:
isin@din.or.jp

私の考える理想の軍師像

僕様さん はじめまして 島津維新入道義弘と申します。僕様さんは郭嘉かホウ統だとお考えのようですが、私の意見は少し違います。確かに郭嘉は理想の軍師の一人だと考えています。

しかしホウ統は理想とは程遠いと私は考えています。

理想の軍師の条件とは、まず現実的かつ客観的に物事を考えることができる者でしょう。
そして私情をはさまず、配下の扱いに長け君主への諫言を躊躇うこと無く出来る者でしょう。
また、例え君主と意見が合わなくても自分の意見を言う事が出来どうしたら生き残れるか、どうすれば国が富むか、策がある者でしょう。

と思いついたことを申し上げてみました。 この条件に合う者として、日本の戦国時代では、本多正信、直江兼続、島左近とその辺りではないでしょうか。

ここでホウ統が軍師として落第者だった点を私なりに述べてみようと思います。

彼は劉ショウを攻める際に落鳳破で戦死しますが、なぜこうなったかに問題があります。
彼は諸葛亮が、占いで今は劉ショウを攻めるべきでないと劉備に進言します。
これを知ったホウ統が、劉備と諸葛亮の関係を妬み、諸葛亮の意見に反し攻めて、その結果死に至ります。 ここで、ホウ統の問題点は私情をはさんだことと、客観的に物事を見なかったことだと考えています。

そして三国時代の軍師の理想像ですが、呉の張昭、蜀のショウ碗、このあたりではないでしょうか? 諸葛亮は、配下の統制が、彼の晩年にはとれませんでした。そして国力を省みず魏に攻め込みました。 彼の考えは先帝劉備に対する恩と義でしょう。これが冷静さを失った理由と考えます。彼は人間として、できすぎたためにこうなったのでしょう。

長くなりましたので今回はこれで辞めにいたします。 それでは

RRさん

軍師について

>理想の軍師の条件とは、まず現実的かつ客
>観的に物事を考えることができる者でしょう。
>そして私情をはさまず、配下の扱いに長け君
>主への諫言を躊躇うこと無く出来る者でしょう。
>また、例え君主と意見が合わなくても自分の
>意見を言う事が出来どうしたら生き残れる
>か、どうすれば国が富むか、策がある者でし
>ょう。
僕の定義の中では 軍師=戦闘の補助をする人.
参謀=政略などでアドバイスをする人.ということになっていますが上の条件は軍師というよりも参謀に当てはまるような気がします
本多正信は参謀としては非常に優秀ですが まったくの戦闘オンチであり 軍師とはいえません 彼は又権謀術数の達人でもあるので参謀としては 当時屈指の存在でしょう
また 竹中半兵衛や如水は秀吉の相談役をよくやっていますが戦闘に関する知識も相当なものであったと思われます
これらは参謀も軍師もできるというひとですね ですが如水は秀吉に能力を警戒され過ぎました 竹中もですが如水ほどではありませんね
秀吉の心もしっかりとつかんでいたのですが彼は戦術マニアであって権謀術数の達人というわけではないですね
ということで軍師ということでは竹中の兄貴に一票挙げたいです
ちなみに孔明君の天下3分の策はとうじとしては常識ですので孔明が初めて考えた偉大な戦略家であるとは言えないと思います
彼の本質は政治家です

島津維新入道義弘さん
E-mail:
isin@din.or.jp

その通りですね

>僕の定義の中では 軍師=戦闘の補助をする人.
>参謀=政略などでアドバイスをする人.ということになっていますが上の条件は軍師というよ
>りも参謀に当てはまるような気がします

全くおっしゃる通りでした。 私は「軍師」と「参謀」を区別しないでお話しておりました。
誤解を招く表現で申し訳ありませんでした。

そうですね、RRさんのおっしゃる通り、私の以前の意見は軍師より、参謀という方が正しいですね。

しかしRRさんの 参謀=政略などでアドバイスをする人というのは私の意見と少々違いまして
 参謀=戦闘、政略 問わず、君主にアドバイスをする者

こう考えています。 すると、軍師の適任者として、新たな考えとしては、
山本勘助、真田幸隆、昌幸、幸村、そして、鍋島直茂、毛利元就(大内義隆の傘下だった時に軍師のような事をやっていますし、彼の軍略と考え方、物の見方がまさに軍師)

三国時代では、カク 彼に尽きると思います。

以上です。

もぺっとさん
E-mail:
moppet@quartz.ocn.ne.jp

軍師

島津維新入道義弘さんはじめまして。
私は理想の軍師はホウ統そのものだと考えております。
ご指摘の落鳳坡の件は後世の作家「羅貫中」による完全な作り話であり、孔明を浮かび上がらせるエピソードのひとつとしてつくったものと思われます。
正史ではホウ統が蜀攻めに参加し、孔明が荊州を守っているのでホウ統がいかに劉備に信頼されていたかがわかります。もし、嫉妬するとしたら孔明のほうでしょう。また、孔明・ホウ統の師匠として有名な水鏡先生(司馬徽)もあきらかにホウ統の方が孔明よりも能力が上だと認めていました。さらに孔明が赤壁の戦いの時に呉に派遣されたことでも当時、それほど孔明が重んじられてなかったことがうかがえます。
ホウ統が理想の軍師だとあげる理由の一つに、ホウ統の人物の評価の仕方が上げられます。ホウ統は能力の低いものにも決して悪い事はいわずに良い面だけを述べ、やる気をおこさせたといいます。この点魏延を疎んじ馬謖を重用した孔明とは対照的であったと言うべきでしょう。
ホウ統が落鳳坡で戦死しなければ蜀の丞相は間違いなく彼の手に渡っていただろうし、劉備もそのつもりで孔明を荊州の留守番役にしたのだと思われます。
蒋[王宛]・張昭は現代の軍師の意味でいえば、ちょっとはずれているし張昭はじいさんのくせにいじけることが多かったですね。(笑)
他に理想の軍師として成公英なんていいと思います。

カメさん
E-mail:
kowkame@jan.ne.jp

三国時代の軍師

 初めまして、カメと言います。
 面白そうなお話をいているようなので、混ざらせて下さい。

 軍師が軍略巧みでなければならないと言う定義で考えますと、魏では程恩・劉岾・狂あたり、呉は周瑜・呂蒙で蜀は粒統・法正などが該当するのではないでしょうか。

 ただ、ゲームの影響もあってか、軍師というのは参謀や元帥と混同しがちですよね。

磁石さん
E-mail:
beeky@tecnet.or.jp

結局のところ

諸葛亮の「天下三分の計」は当時の戦略上的を得た献策だったと思います。
実際に根無し草同然の劉備を皇帝にまでしただけで立派な軍師といえると思いますが。同じような意味で魏ではやはりジュンイク、カクカでしょう。
ただし軍師=参謀となると話しは違ってくるかもしれませんが、その辺は演義で誇張されすぎたきらいもあるし、軍師一人より立派な大将がいた方が強かったような気がしますので、分からぬとします。
それをあえて言えばカクかなあ。

ヒューベリオンさん
E-mail:
d198169y@edu.tyhr.hokkai~s~u.ac.jp

軍師に関して

 僕が思うに、三国志上の最高の軍師はカクだと思います。
軍師といえば、軍略について考える人だと思いますが、この時期軍略にのみ長けていた人はいなかったと思うので、政略にも通じていた人にもなると思いますが、諸葛亮は、明らかに政治家(宰相)でしょう。個人的には、ホウ統が好きなのですが、なにぶん早死にしているので、残念ながら最高のとは言えないでしょう。その点、カクは、曹操、曹否と二代に仕え、それ以前にもトウ卓、張シュクらにも軍師として重用されていたのは、やはり優れていたからでしょう。それでいてジュンイクのように主君から警戒され過ぎることもないようにしていたのは、素晴らしいことです。

子馬龍さん

日清、日露戦争の小説について

 以前、陸奥宗光の小説について、掲載した子馬龍です。磁石さん、遅くなりましたが、情報、ありがとうございました。短編でしたが、「幕末」に竜馬暗殺の下手人捜索の話がありました。
 さて、今回も小説を教えて頂きたいのですが、日清、日露戦争を取り扱った小説を教えて下さい。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」しか、知らないんですが他にもありましたら、どなたか教えて下さい。
 特に、大山巌や東郷平八郎、児玉源太郎などのことを詳しく書いているものが読みたいです。

TOKIさん
E-mail:
wbs14648@mail.wbs.ne.jp

燕人張飛

前から疑問に思ってたんですけど、吉川英治の三国志で、張飛が「燕人張飛ここにあり」とかいって名前の前に「燕人」をつけるのはなんなんでしょうか。「燕」というところの生まれなんでしょうか。知っている人いたら教えて下さい。

今思いましたが、「常山の趙子龍」ってのもありましたね。
「常山」という地名があったんでしょうか。

ぐっこさん
E-mail:
gukko@ryukoku.seikyou.ne.jp

張飛

ぶーっ。あれは誤植で、実は張飛は自ら猿人と称していたのです。
てゆうのは冗談として、燕とは幽州あたりを指す国号です。三国志6で王位を地名で名乗れるようになったから、大体の場所は分かると思いますが。
ちなみに趙雲はキ州の常山郡真定県(だったと思う)というところの出身なので、そう名乗ってるよーです。

島津維新入道義弘さん
E-mail:
isin@din.or.jp

燕という所の生まれのようです。

どうも、こんにちは。 えーと、燕人張飛というのは、燕という地名があって、そこの出身だからです。それは、吉川英治の三国志60巻のおまけみたいな漫画が二冊でてるんですがそれに載っていたはずです。あれは結構色々な資料が載ってて買いですよ。

タイトルは忘れましたが、本屋さんに行けば三国志全六十巻と一緒に売られているはずです。

ちょっと分かりづらくなりまして申し訳ありません。 では

月影龍樹さん
E-mail:
darkpent@wa2.so-net.ne.jp
HP:史傳書房

 燕人(ちなみに「えんじん」ではなく「えんひと」と読みます)というのは、旧国名である「燕」のことで、広域地名となったものです。
 「常山」は地名で、そこの生まれであることを示します。
 張飛は自分自身の出生をしらなかったといわれていますので、産を名乗ることができずにどこの出身者であるかを「燕人」という一語で表したのではないでしょうか?

TOKIさん
E-mail:
wbs14648@mail.wbs.ne.jp

ありがとーございます

こんなに知っている人がいたとは・・・・・・!
若輩者でした。もっと精進します。

あと、魏のみを書いた(調べた)本を探しています。おすすめのがあったら教えて下さい。お願いします。

シャクシャインさん
E-mail:
snt@rnac.or.jp

西南雄藩の利点?

 こちらのHPを見続けてずいぶん経ちますが、初めて投稿いたします。シャクシャインと申します。
 さて、江戸後期,特に幕末に無知な私からみなさんに伺いたいことがあります。
 倒幕の原動力となった西南雄藩の経済力ですが、開国のずいぶん前からその他の地方の諸藩より勝っていたように聞いています。特に商品作物の栽培/専売や手工業の振興,財政の整理(薩摩の図書さんなど)などについて。
 これらの動きというのは、いつ頃から、どんな形で進められたのでしょうか。しかも、なぜ西南雄藩だけ(ではないかもしれませんが)が成功したのか?
 聞けば、経世家?とかいう人たちが活躍し、自分の出身藩以外のところで辣腕を振るえる環境があったとか。私の郷里の出身者である佐藤信淵もそんな職業だったとか・・・
 江戸後期の近畿以西というのは、そんな春秋戦国みたいな環境だったのでしょうか?誰か教えていただけませんか。

shimaさん

密貿易

どうも、はじめてお返事差し上げます。
幕末における西南雄藩の利点、特に経済力についてですが、私が聞いた話では、どうやら密貿易を行っていたようです。
ご存知のように、この時期は江戸幕府の方針で鎖国が行われていましたが、九州などの西南地方の大名たちは、鎖国実施後も影で、外国と貿易を行って利益を貯えていたようです。
特に、幕末になるといろいろな国から頻繁に日本に接触してきていますので、結構こうゆう事が行われていたのではないかと思います。

光吉さん
E-mail:
Hiroyuki.Ohtsu@ma4.seikyou.ne.jp
HP:光吉(みつきち)

正史三国志の文献紹介

初めまして、光吉です。
それがしが持っている正史三国志を紹介しましょう。
やや、専門的ですが本当に三国志が好きな方にはおすすめしたい本です。
正史三国志(確か全部で8巻ぐらいある)<ちくま学芸文庫>一冊¥1500。(消費税が3%のときの値段です)
ちなみにそれがしは1・2・3・5の4冊をもっています。
(結構高いしそれになかなか本屋に置いていません)
この本に『当書は正史三国志の我が国唯一の完訳である』とかかれています。貴重なモノかも!?
(この本は以外と本屋に置いていなくてあの紀伊国屋書店に行ってもなかなか見つかりません。)

TOKIさん
E-mail:
wbs14648@mail.wbs.ne.jp

KEIJI MAEDA

前田慶次は、金沢を出奔してのち、上杉景勝に仕えたらしいですが、実際にはどこまで出世したのでしょうか。あと、「信長の野望」での戦闘力は目をみはりますが、実際、そこまで武勇無双だったのでしょうか。前田家中では聞こえた武辺者だったそうですが。
津本陽の小説「前田利家」を見ると、

”彼は上杉景勝に仕えてのち武勇無双の者のみに許される皆朱の槍を持ち、指物の練絹に「大ふへん者」と記した。
家中の侍たちが、「あまりの事よ」と利太(慶次)の傍若無人のふるまいを咎めると、彼は笑って答えた。
「おのおのがたは武辺とお読みなされしか。われらはおちぶれて貧しければ、大不弁者と書き記してござるだわ」
大武辺者であれば武勇無双の意であるが、利太(慶次)にそう言われてみれば侍たちは言葉の返しようもなかった。”


ということで、誰か知っている人がいたら教えて下さい。

さん
E-mail:
sannta@mail.goo.ne.jp

前田慶次郎利益

一夢庵風流記(隆 慶一郎)
一応、前田利益を主人公にした小説です。
これを読めば大体どんな人か解ると思います。

島津維新入道義弘さん
E-mail:
isin@din.or.jp

花の慶次も面白いですよ

前田慶次についての本ですが、一夢庵風流記の漫画版が「花の慶次」というものです。
原作とは多少異なりますがこれもお勧めです。
私は花の慶次を読んだ後に一夢庵風流記を読みました。
花の慶次は絵が渋いです。 全18巻くらいだったと思います。
最近では全巻そろっている本屋は少ないです。
ちなみに一夢庵風流記は集英社から出てます。花の慶次は週刊少年ジャンプに連載されてました
作者は隆 慶一郎です。

晴明さん
E-mail:
zz-r@sol.dti.ne.jp

ジャンプの編集者は許せん!

 はじめまして。光栄の三国志ファンのおっさんです。唐突ですが、大の隆慶一郎ファンの私としては、原哲夫の「花の慶次」も面白く読んでいたのですが、少年ジャンプの編集部には大変腹を立てています。というのも、原作では秀吉の朝鮮出兵に先立って、慶次が朝鮮に渡り冒険をするという部分が、そっくり「朝鮮」ではなく「琉球」に書き換えられていたからです。もちろん、原哲夫自身も、原作にかなりアレンジを加えてありますが、それは漫画家として当然のことだと思います。(よい例が、夢枕貘の「陰陽師」→岡野玲子)しかし、この朝鮮の部分については、原哲夫は決して「琉球」に書き換えたくはなかったはずです。(漫画の何巻めかのカバーに、それらしき事が書いてあります。) 十中八九、これは「朝鮮」を取り上げると何かと面倒なクレームなどが付きそうだということで、ジャンプの編集者がむりやり「琉球での話」にさせたのでしょう。
 せっかく、若い人たちに(ちなみに私は37才ですが)日本に対する朝鮮の人々の根強い敵愾心の一因(秀吉の朝鮮出兵)を知らせるいい機会だったのに、トラブルを恐れて無理矢理話をねじ曲げて、それで朝鮮の人が喜ぶとは到底思われません。ここにお集まりの、歴史好きの皆さんにはおわかりと思いますが、歴史を知ることで自分の国や他の国について理解が深まることこそ大切なことだと思います。
 楽しいゲームのホームページに、随分堅苦しいことを書いてしまい、申し訳ありません。
 また、もしジャンプの関係者で、「そんな理由じゃない!」という方がおられましたら、教えていただきたいと思います。こちらの「下司の勘ぐり」でしたら、謝罪したいと思います。
長くなりました。失礼します。

島津祐久さん
E-mail:
simadu@geocities.com
HP:戦国の館

一夢庵風流記はちょっと(※)

一夢庵風流記は脚色がだいぶ入っているので、お勧めとまではいかないでしょう。 まあ其の部分を抜いて読めばいいのですが。 彼についての史料送(※)それぐらいしかありませんかね。

(※ 一部文字化けが起きていました。管理人)

山県三郎兵衛さん

前田利太

北の王国(直江兼続が主人公)童門冬二
に、前田利太のことが少しのっていました。

上杉景勝関係の本を当たってみては。
最上との戦に前田利太が登場するはずです。
このことは北越談記(軍記?)という、歴史書に書かれてあります。
だから、長編小説にちょこちょこ出てくるのでしょうね。

殿さん
E-mail:
ryuuichi@arts.kusa.ac.jp
HP:いろは

山岡荘八著「徳川家康」の謎について

 去年ぐらいから山岡荘八さんの歴史小説「伊達政宗」を読み出してからというもの、あまりの面白さに一気に読みおえて、続けざまに「柳生宗矩」を読み、禅にもハマりました。
 僕は次に岡崎市出身ということもあり、意気込んで「徳川家康」を読み始めました。予想を遥かに上回る面白さで、感動の連続でしたが、16巻の終りの辺りから、明らかに文体が変わり、まるで別人が執筆してるかのようになってしまったのです。
 それでも我慢して17巻の途中まで読み進めましたが、一向に元に戻る様子はないので(なんとなくは変わった)、遂に読む事を放棄してしまいました。
 どなたか、この山岡さんの作品の豹変振りについて御存知の方、または「あーそうそう、あれって何なんだろうねえ」と言う方はお返事下さい。

くどうさん
E-mail:
s965531@ipe.tsukuba.ac.jp

RE:「徳川家康」

私が最初に読んだのは、もう7年も前のことなのですが、文体が変わったとは気が付かなかったものの、確かに途中から読むのが苦痛になってしまった覚えがあります。
なんせ18年もかけて書かれているわけですから、もしかしたら途中で一度間が開いたとか、他の小説の執筆もあってその影響が出たとか、世相が変わったとか、いろいろな要素があるのかも知れませんね。
ただ、私が当時思ったのは、それまでは松平家の、家康の立身出世的なものもあり、信長がいて、秀吉がいて、という「刺激的」な人物との駆け引きが多かったのに対して、16巻からは、秀吉も亡く、家康より格下的存在の三成らが蠢動し始めるわけで、それでなにか物足りないような感じがするのかな、ということです。
秀吉も、頂点を極めたら「ぽかん」としてしまったのと同じように...

殿さん
E-mail:
ryuuichi@arts.kusa.ac.jp
HP:いろは

うわあ、うれしいな!(※)

 御返事くださったくどうさん、どうもありがとうございます。
非常にうれしいです。「歴史評定」は素晴らしい!本当に感謝しております。
 最近になって、久々に家康公が懐かしくなり、再び読み出しました。18年もかけて書かれていると伺い、感心すると同時に、あらためてこの小説と著者のすごさを思い知りました。
 やはり歴史というものは素晴らしいものだという事を再認識させられました。どうもありがとうございました。

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